motoryama7011fの鉄ヲタ日記

おでかけしたい

中山道サイクリング その5(鵜沼→垂井)

2020-11-06 23:40:15 | 旧五街道サイクリング

今回も中山道を自転車で攻略していきます。
残っているのは塩尻~日本橋と鵜沼~垂井。やっぱり最後は日本橋でゴールしたいのでサクッと岐阜県内を終わらせておくことにします。

0:30 名古屋栄を出発。ホームページから24時間乗り放題チケットを購入し出発。

前回と距離的にはそこまで変わらないのですが、内津峠や十三峠などの峠道が無いのでかなり負担は楽だったりします。


1:01 名古屋高速黒川出入口
狭い土地で高速道路に上がるためループ状に配置された構造物が夜に見ると迫力を感じます。




2:05 桃花台新交通小牧駅
廃止となったピーチライナーの方向を変えるためのループ線が見られます。


2:32 田縣神社
奇祭で有名な田縣神社にやってきました。

日が昇る頃に鵜沼宿に着けばいいやと思っていたのですがどう考えてもこれは早く着きすぎますね。
犬山あたりで快活CLUBを見つけて仮眠取ろうかと思いましたが最寄りは江南…




若干遠回りにはなりますがこんな時間に行っても暗闇なので江南へ向かいました。


5:50 ちょっと寝てから再度出発。




五条川・国道41号線を通って犬山へ。




7:06 犬山駅


犬山駅の改札横にはロッテリアがあるのでここで朝ご飯を食べていくことにします。おいしい。




8:00 名鉄犬山線 犬山橋
折角なのでここで撮影をしていくことにします。


南側からの向きのほうが日が当たる向きではありますが影の処理が難しそうですね。


犬山城を見ながら木曽川を渡り、岐阜県に入ります。


犬山橋を渡り新鵜沼駅へ入るミュースカイ。
2編成を連ねた8両での運転。これはかっこいい。


新鵜沼駅の前を通って少し行ったところで高山本線の特急ひだ1号もタイミングよく見られました。


8:30 鵜沼宿
ここから先が中山道の未踏区間。鵜沼宿で一番宿場っぽさが映えるのは結局この場所な気がしました。


鵜沼宿から三柿野にかけては大部分が片側2車線の国道21号線になっています。
三柿野駅が近づくと川崎重工の巨大な工場群が見えてきます。


三柿野駅のすぐ近くで名鉄各務原線を跨ぎ越します。
この辺りは川崎重工と航空自衛隊岐阜基地に囲まれていてかなり異質な雰囲気があります。


川崎重工の工場に行くためだけの踏切。なんかここだけ築港線みたいな雰囲気ありますよね。


岐阜基地のすぐ近くで国道21号線と旧中山道が分離します。
画面左手に緩くカーブしていく国道21号線に対し中山道はまっすぐ進んでいきます。

この辺りまで来ると岐阜基地の戦闘機が爆音で飛び立っていくのに何度も遭遇します。
ただ、通常の旅客機と比べかなり速度が出ているので低空であっても音が遅れてやってくるのを感じます。
音が聞こえてからカメラを用意するようでは撮影は間に合いませんね…




9:37 新加納町付近にやってきました。
途中で草むらに突撃して引っ付き虫だらけになったので剥がしつつカメラを準備して戦闘機を構えることにしました。





かなり速くてブレちゃいますが、どうやらF-2戦闘機というやつらしいです。
Twitterに画像を乗っけると即答してくれる方々がいるのが助かります()


こんなのも撮れました。さっきのとエンジンの位置が違う気がしますね。
画像サイズからわかる通りかなり小さく映ったものをトリミングしています。




ところで、現在いるこの新加納町。加納から6kmほど離れているのに加納を冠しているのは結構不自然です。
名鉄の路線図を見ていると、「なんでこんな離れたところに新加納が!?」とか「加納と茶所を統合して新加納に…できないだと!?」とか思う方は結構いるかと思います。




鵜沼の次の宿場町は加納なのですが、その間は17kmと極端に距離が開いています。
そのため、正式な宿場ではないのですが宿場に準じた施設として発生したのが間の宿(あいのしゅく)。
例えば東海道では宿場町ではないのに宿場町っぽい有松・本宿などもこの間の宿にあたります。
中山道では馬籠峠の途中の休憩所として設けられていた大妻籠があったりします。

そんなわけで、あくまで加納宿が遠いのでそれを補う役割から新加納宿とつけられました。
宿泊は禁じられていたものの長い宿場間の休憩施設として発展していたようです。




10:04 新加納駅
新加納駅と隣の新那加駅は同じ新○○ですがその意味が大きく異なることが分かるかと思います。




新加納駅のすぐ北側には高山本線が並走していますが駅は設けられていません。
ちょうどいいタイミングで高山本線も撮影出来てラッキーでした。


一帯の滞留水を境川へ流していたことからその名がついた切通地区。
ここも宿場ではないのですが、古くは美濃国を治めた長森城があった場所ということで後に切通陣屋(藩庁)が置かれることとなり中山道の休憩地としてにぎわいました。


岐阜市内の市街地にありながら道の両側とも保存されている細畑の一里塚。
ここに限ったことではないのですが、一里塚というのは街道の両端に土を盛って造っているので二子山・双子山といった呼び名がされることが多いような気がします。
地名にするほどではないけれど目印として使えることからか、付近にバス停が設けられるときには一里塚を名乗るよりそっちのほうが親しみやすいのかもしれません。




細畑駅を過ぎると大きく北に進路を変える各務原線と異なり、中山道はまっすぐ西へ進み茶所駅にあたります。


川を渡って加納駅方面へ。


茶所駅を過ぎると中山道は旧に北へ向いたり結構うねうねと加納宿の中を進んでいきます。
一般的に旧街道は極力まっすぐ進むもので、桝形など宿場内のクランクはあれどここまでコの字型に折れているのは不思議なものです。
これにももちろん理由がありまして、岐阜大学付属小中学校がある場所に昔の加納城がありその城下をうまく通るためにこんな感じになっているようです。




加納大手町の地名が表す通り、学校が並んでいる敷地には加納城の大手門が設けられていました。




そろそろお腹が減ったのでここで岐阜駅へ寄り道。


11:18 岐阜駅のドトールにて昼食。おいしい。


岐阜市内線へ直通列車が走っていた時期もあった鏡島。




12:13 長良川を渡ってすぐの場所には河渡(ごうど)宿があります。
名前が示す通り川を渡った先の宿。川は増水すると通れなかったりするのでこういった場所には宿場が置かれがちです。


12:33 美江寺駅
本数の少ない樽見鉄道、列車のタイミングは合いませんでした。


12:38 美江寺宿に到着。
2時間半ほどかけて加納までの1区間を漕いだのに対して、約1時間で河渡・美江寺と進んできました。
極端に速度を変えたつもりもないのですが、やっぱり鵜沼~加納の間が大きく開いていることを実感します。


美江寺で面白いなと思ったのがこちらの看板。広重画と同じ構図の景色が見られることがPRされています。


パッと見だと何の変哲もない景色なのですが、浮世絵に描かれた景色を同じ視点で見られるというのは結構面白いことですよね。


迷いそうな道でも親切な案内があって助かります。特に岐阜県内はこういった看板が親切だなと感じました。




13:21 東赤坂駅
駅ホームの雰囲気は近鉄の駅らしさがします。待合室の上屋とごつい架線柱の影響でしょうか?




10分ほど待てば上下列車の行き違いが見れる時間だったので休憩もかねて待機。
東急7700系と京急塗装になった近鉄600系の並びが撮れました。東急と京急が並んでいるということは実質蒲蒲線なのでは…?


13:43 赤坂宿 赤坂港会館


赤坂はかなり内陸部ですが、杭瀬川水運の川湊として栄えたようです。
また、東海道本線からもよく見える金生山の石灰石・大理石採掘も古くから有名です。
江戸時代には肥料用に石灰が、明治期は洋館建築に大理石が、近代化とともにセメントや製鉄の材料として需要があり掘り続けられた結果金生山の形は大きく変わってしまっています。




13:45 赤坂本町駅跡
ロープ式の遮断機があったであろう形状を残した西濃鉄道市橋線の踏切。
旅客扱いをしていた頃にはここに赤坂本町駅が設けられていました。

街の名前を冠した国鉄の駅が別に設けられていて、旧街道沿いに私鉄の駅を設けるときって○○本町駅ってなりがちですね。
東海道では吉原本町、藤沢本町を通ってきましたし中山道では板橋本町もそうですよね。




赤坂宿本陣跡を出て少し進むと、西濃鉄道昼飯線の廃線跡が見られます。
美濃赤坂駅からやって来た線路は一旦中山道を横切って美濃大久保駅へ、スイッチバックして昼飯駅へ向かっています。






こちらが美濃大久保駅跡。荷役用のホームが現在も綺麗に残っていますが線路は剥がされています。




この駅より先にはすぐに矢橋工業の工場群が控えています。




美濃大久保駅は中山道から少し外れた場所にありますが、昼飯線の終点昼飯駅は中山道沿いに見えます。


東海道本線の勾配緩和線、新垂井経由の下り本線。10分ほど待ってみましたが列車はやってきませんでした…


14:27 垂井追分道標
ここで中山道から大垣・名古屋方面の美濃路が分岐します。
前回は大垣から垂井追分を通って三条大橋まで漕いだのでこれにて中山道の岐阜県内区間は制覇となります。




垂井駅にて少々休憩し、帰りは概ね美濃路に沿って帰ります。


美濃路の宿場はこんな感じで、一夜城で有名な墨俣を通るのですが遠回りになることから横着して岐阜羽島経由で進むことにしました。


15:12 太平洋前バス停
やたら壮大な名前ですが、太平洋工業の工場の前という意味みたいです。


15:20 奥の細道結びの地として知られる大垣。
この写真の左側すぐに奥の細道結びの地記念館があります。


15:26 新規川
名前を付けずに保存したような変な名前の川。名前の通り江戸時代に人工的に開削されたことからこの名がついたそうです。


大垣大橋を渡って揖斐川を越えます。




次に渡る羽島大橋で長良川を越えます。ここでは東海道新幹線とかなり近い距離で並走するので歩道を走るとかなりの迫力を感じられると思います。




折角なので羽島名物のSOLAR ARKを絡めて新幹線を撮影。
綺麗に晴れた青い空と黄金色の田んぼの組み合わせがいい感じでした。




新幹線から度々見える「727cosmetics」の看板。近くで見ると結構大きいんですよね。


16:13 岐阜羽島駅
岐阜羽島への新幹線駅誘致に尽力したとされる大野伴睦夫妻像。なんか指導者様って感じの雰囲気がありますよね。


何とは言いませんが、羽島のぞみパーキング…


あとは羽島名物
こんなおいしい水があったのだろうか?
超☆海洋深層水100%マハロ

なんかも近くで見てきました。岐阜羽島って駅規模に対して変なものが多い気がするんですよね。


16:40 ホームセンターバロー羽島インター店
岐阜羽島駅からちょっとだけ離れますがせっかくここまで来たので寄るしかないと思いまして。


さばいどるのサイン入りポスターが見たかったんですよね。かほなん推してます。


旅客が多すぎて廃線となった名鉄起線で知られる起を過ぎ、この辺りからおおよそ美濃路の経路に戻ります。


何となく旧街道っぽい道を選んで走行。東海道や中山道などの五街道に比べて脇街道ってあんまり案内が無くて辿るのが大変なんですよね…


17:39 美濃路萩原宿問屋場跡
美濃路を示すものが全然なく不安ながらの走行でしたが、どうやらこの辺りは美濃路で正解だったみたいです。


並んでいる家の雰囲気が宿場っぽさありますよね。雰囲気は伝わるかと思います。




18:15 名鉄名古屋本線の国府宮駅の南側で踏切を渡ります。
国府宮神社一の鳥居と御神燈が線路沿いからも見えるこのポイント。これだけ立派なのはこの目の前の道が美濃路のため。
旧街道や脇街道から主要な神社への分かれ道に大きな鳥居を設けるというのは多賀大社の高宮大鳥居などもそんな感じでしたね。

この踏切を渡る少し手前の地点に稲葉宿がありました。
稲葉宿を抱える稲葉村と小沢村の合併によって稲沢村が誕生、これが現在の稲沢市のルーツとなっています。


18:28 稲沢付近で電車の車窓に見える三菱電機のエレベータータワー。でかい。


18:58 枇杷島駅




19:35 名古屋駅ナナちゃん人形前に返却完了。
対戦ありがとうございました。


20:10 運動後のメシがうまい!



最後に今回のルートの振り返りを。
直接旧街道・脇街道に関係のない江南への寄り道は色を薄くしています。
上街道沿いルートは以前鵜沼から帰ってくるときに通っていますからあんまり関係がないですね。
愛知県内に一切踏み入ることなく滋賀県へ抜けていく中山道とそこからのアクセスを図った脇街道のルートがザックリとわかるかと思います。


そしてこちらが現在の自転車旧五街道制覇マップ。
鵜沼~垂井を漕いだことで中山道が塩尻から三条大橋までストレスなくスムーズにつながったのが気持ちいいですね。
地図上ではまっすぐ引いたほうがいい感じに思えますがこれが十三峠やうとう峠に阻まれて結構大変だったりしたんですよねぇ…

中山道の中間地点は以前紹介した通り原野駅や道の駅日義木曽駒高原の近く。
もう中山道は半分以上制覇しているわけです。あと240kmほどということで頑張れば3日で行けそうな距離まで来ました。頑張るそ…

おわり。



紹介コード入力で30分無料クーポンをGETしよう!


LINEスタンプお願いします

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« glafitで巡る広島(広島DC) | トップ | 中山道サイクリング その6(塩... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旧五街道サイクリング」カテゴリの最新記事