週の半ば、水曜日の夜でございます。
今日から学部2年生向けの学生実験の本実験が始まり、益々もって忙しい毎日を過ごしています。並行して、私の本筋の研究である抗菌蛋白質の活性検討についても、実験に必要な変異蛋白質の1種類目が既に発現(先週1週間かけて酵母培養で得ました)されているので、今後本精製していかねばなりません。そんでもって、来週には2種類目の変異蛋白質の培養発現が控えています・・。しかも、毎週金曜日は授業TA(ティーチングアシスタント)が入っており、さらにはSTAとしての学科公式動画の製作も進めなければならないので、間違いなく今が大学院進学以来最も忙しい時期だと思います。この峠を越えれば、徐々に道も緩やかになってくると思うので、踏ん張りどころですね。
そんなわけで、冒頭からブログ更新をサボっている言い訳を書き連ねたわけですが、恐ろしいことに今年もあと1カ月と20日で終わってしまうので、そろそろ夏休みから書き残している記事の補完速度を上げていかないといけませんです、はい。
と言いつつ、今夜はまず直近の未補完記事、「日本普通列車2429D乗車の旅」の続きを書きます。(これが終わればねぶたの記事が書けるはず・・)
10月23日土曜日の早朝、相変わらずの睡眠不足(この日は1時間半・・)の中、私は鉄道研究会のメンバー3人とともにレンタカーで滝川駅へ向かいました。
計4人のメンバーのうち、私ともう1人が実際に列車に乗車、残り2人が沿線の数々の撮影ポイントから走行写真を撮るという役割分担になっていました。写真撮影班も車で終点の釧路まで追っかけます。これはなかなかのハードワークですぞ・・。
札幌を出て1時間半、滝川市街に至りました。休日の午前9時前だからか、シャッター通りだからか、人通りが少ない気が・・。郊外の国道沿いの量販店に客をとられている様子がひしひしと伝わってきました。
そして本日の始発駅、滝川駅に到着。
以前に普通列車から特急に乗り換える際にホームに降りたことはありますが、外から駅舎を見たのは初めてでした。
基本的にオーソドックスな国鉄中規模駅らしい佇まいの建物ですね。
滝川駅の列車案内表示LEDです。旭川方面への列車が並ぶ中、ポツンと「普通 釧路行き」の文字があります。
今でこそ札幌から釧路へのメインルートは石勝線経由ですが、そもそもはこちらの滝川から釧路へ向かうルートの方が先に完成し、約70年に渡って主要幹線の地位を保っていました。ですから、未だに「根室本線(開業当初は釧路本線)」の始発駅は滝川駅となっています。つまり、今回乗る2429D滝川発釧路行きは、旧釧路本線全線を走破する由緒正しき列車なのです。(但し、狩勝峠越えのルートは若干開業当時と異なっています)
9時24分、滝川駅1番線ホームに2429Dに使われるキハ40が入線してきました。塗装に注目してください。なんだか懐かしい朱色です。正確には朱色5号という色で、国鉄が1970年代に塗装費用の削減を狙って首都圏の気動車向けに導入し、その後全国の一般気動車向け標準塗色となった色です。いわゆる一つのリバイバルです。
ちなみに、この写真の左の車両の色が、現在のJR北海道のキハ40の標準塗色です。今年の3月のダイヤ改正を機に、3輌のキハ40が朱色5号に塗り替えられて運用されています。実は、わざわざ土曜日に2429D釧路行きに乗った理由は、土曜日のみこの朱色のキハ40がこの列車に投入されるからだったりします。(私は正直知りませんでしたが・・)
2429D列車の側面には、「釧路」のサボが掲示されています。こちらも、この列車専用に用意されたもので、「日本一長い距離を走る定期普通列車(2429D)」との文字が下部に記されており、今年8月から新たに使われ始めました。専用サボがある普通列車って凄いですね。
今日は滝川から富良野までキハ40-777単両で、富良野からはキハ40-1758を増結した2輌編成での運行でした。キハ40-777は昭和57年製造と、バリバリの国鉄時代生まれです。
車内の扇風機には懐かしい「JNR」ロゴが・・!今となっては貴重な国鉄の名残です。扇風機自体も結構レトロな形ですよね。
さらに座席はボックスシートが並び、窓も開閉可能。国鉄らしさをよく残したこの車両で、滝川を9時37分に出発し、遥かな旅路が始まりました。
この時点での乗客数は、予想以上に多く、ほぼ満席でした。(半分くらいが鉄道ファンっぽかったです)
///その3へ続く///
今日から学部2年生向けの学生実験の本実験が始まり、益々もって忙しい毎日を過ごしています。並行して、私の本筋の研究である抗菌蛋白質の活性検討についても、実験に必要な変異蛋白質の1種類目が既に発現(先週1週間かけて酵母培養で得ました)されているので、今後本精製していかねばなりません。そんでもって、来週には2種類目の変異蛋白質の培養発現が控えています・・。しかも、毎週金曜日は授業TA(ティーチングアシスタント)が入っており、さらにはSTAとしての学科公式動画の製作も進めなければならないので、間違いなく今が大学院進学以来最も忙しい時期だと思います。この峠を越えれば、徐々に道も緩やかになってくると思うので、踏ん張りどころですね。
そんなわけで、冒頭からブログ更新をサボっている言い訳を書き連ねたわけですが、恐ろしいことに今年もあと1カ月と20日で終わってしまうので、そろそろ夏休みから書き残している記事の補完速度を上げていかないといけませんです、はい。
と言いつつ、今夜はまず直近の未補完記事、「日本普通列車2429D乗車の旅」の続きを書きます。(これが終わればねぶたの記事が書けるはず・・)
10月23日土曜日の早朝、相変わらずの睡眠不足(この日は1時間半・・)の中、私は鉄道研究会のメンバー3人とともにレンタカーで滝川駅へ向かいました。
計4人のメンバーのうち、私ともう1人が実際に列車に乗車、残り2人が沿線の数々の撮影ポイントから走行写真を撮るという役割分担になっていました。写真撮影班も車で終点の釧路まで追っかけます。これはなかなかのハードワークですぞ・・。
札幌を出て1時間半、滝川市街に至りました。休日の午前9時前だからか、シャッター通りだからか、人通りが少ない気が・・。郊外の国道沿いの量販店に客をとられている様子がひしひしと伝わってきました。
そして本日の始発駅、滝川駅に到着。
以前に普通列車から特急に乗り換える際にホームに降りたことはありますが、外から駅舎を見たのは初めてでした。
基本的にオーソドックスな国鉄中規模駅らしい佇まいの建物ですね。
滝川駅の列車案内表示LEDです。旭川方面への列車が並ぶ中、ポツンと「普通 釧路行き」の文字があります。
今でこそ札幌から釧路へのメインルートは石勝線経由ですが、そもそもはこちらの滝川から釧路へ向かうルートの方が先に完成し、約70年に渡って主要幹線の地位を保っていました。ですから、未だに「根室本線(開業当初は釧路本線)」の始発駅は滝川駅となっています。つまり、今回乗る2429D滝川発釧路行きは、旧釧路本線全線を走破する由緒正しき列車なのです。(但し、狩勝峠越えのルートは若干開業当時と異なっています)
9時24分、滝川駅1番線ホームに2429Dに使われるキハ40が入線してきました。塗装に注目してください。なんだか懐かしい朱色です。正確には朱色5号という色で、国鉄が1970年代に塗装費用の削減を狙って首都圏の気動車向けに導入し、その後全国の一般気動車向け標準塗色となった色です。いわゆる一つのリバイバルです。
ちなみに、この写真の左の車両の色が、現在のJR北海道のキハ40の標準塗色です。今年の3月のダイヤ改正を機に、3輌のキハ40が朱色5号に塗り替えられて運用されています。実は、わざわざ土曜日に2429D釧路行きに乗った理由は、土曜日のみこの朱色のキハ40がこの列車に投入されるからだったりします。(私は正直知りませんでしたが・・)
2429D列車の側面には、「釧路」のサボが掲示されています。こちらも、この列車専用に用意されたもので、「日本一長い距離を走る定期普通列車(2429D)」との文字が下部に記されており、今年8月から新たに使われ始めました。専用サボがある普通列車って凄いですね。
今日は滝川から富良野までキハ40-777単両で、富良野からはキハ40-1758を増結した2輌編成での運行でした。キハ40-777は昭和57年製造と、バリバリの国鉄時代生まれです。
車内の扇風機には懐かしい「JNR」ロゴが・・!今となっては貴重な国鉄の名残です。扇風機自体も結構レトロな形ですよね。
さらに座席はボックスシートが並び、窓も開閉可能。国鉄らしさをよく残したこの車両で、滝川を9時37分に出発し、遥かな旅路が始まりました。
この時点での乗客数は、予想以上に多く、ほぼ満席でした。(半分くらいが鉄道ファンっぽかったです)
///その3へ続く///
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