お父さん 素晴らしい出会いが5年前の5月15日にありました
チャリティーショウの券が2枚手に入ったので 仲良しのNさんと楽しい午後を過ごす
約束をして当日になるのを待っていました
その朝 Nさんは風邪を引いてしまい 病院に午前中行って なおかつ雨の中を
約束を果たすために来てくださったのです
真の人だなあって感じました
「断ってくれたら良かったのに・・・でもそうなったら一人では出てこなかったわね」と
食事をとりながら 再会を喜び合いました
せっかく来たから一人でもいいと思い 演歌大好き人間の私は
会館の中に入っていきました
「一人だからどこでも空いているところに」と簡単に思っていたけど 福祉団体の
後押しなので 仲間と来ている人が多くて パンフを置いたりして空席がありません
端から2つ目にはなにも乗っていなかったので 端の人に訊ねると
空いているという答えでした
Nさんと来ていたら おしゃべりが好きな私でも これだけ隣とはしゃべらなかったはず・・
俳優の笠 智衆さんに似た とっても穏やかで物静かな方です
お父さんが明治42年生まれでしたから 元気ならSさんと
同じくらいなのでしょうね~
とても親近感を覚えました
こんなに豊かに年を重ねた人はいないと感じました
岩手の方で15歳で父に死別し 中学校も中退して東京に働きに出たそうです
自宅の隣りからの出火で丸焼けになったり 肺結核で2年間の闘病生活があったり
波瀾万丈の人生を真っ直ぐに生き抜いてこられた方でした
明治45年生まれですが 75歳くらいに感じる輝きのあるSさんでした
ボランティア精神一筋に燃えて 人の喜びを我が喜びとして実践し続けておられる
真面目な姿勢に心を強く打たれました
外は大雨なので 送って差し上げる車の中でのお話は 克明に覚えています
20年間手話や音声テープで活動を続け 点字にも意欲を燃やしておられる姿に
一言でも多くのことを学び取りたいと感じていました
私も第2幕はボランティア活動をしたいなあと憧れていました~
娘さんが3人と息子さんが1人 幸せな人生です
最愛の奥様を8年前に亡くされていますが 歌が大好きというので
娘婿が送ってくれたそうでした
それから月に一回くらいずつ 奈良に帰った時にお土産をもって
Sさんの元を訪ねていました
いろんな指文字も教えてくださいました
「もりた」というひらがなの指の形 「森」という漢字 「田」という漢字など
午後の時間だけでは時間が足りません
もっともっと教わりたいし 汲めども尽きぬ思いを感じていました
「ボランティアという言葉を表わすのに、両手をこぶしにして 左の手首を右こぶしで
2回たたき 働くを示す。
それを差し上げるというしぐさに続けるっ伝えていたけど、今はね、
両手の指をチョキにして下に向けて人の足のイメージを作る。
それを前後に動かして、両手をならべて前に進める動きをする。
それによって、ともにあなたと歩いていきたいという意味になり、ボランティアの言葉が
表現されるようになったのですよ」とも教えてくれました
私の知らない世界を泳いでいる自信に満ちた笑顔です
人間って なんてステキなんだろうって思いました
母の介護に専念するようになって 奈良には2年余り帰っていません
年賀状は毎年出し続けていましたが とうとう今年のお正月過ぎに 娘さんから電話を
いただき 去年の夏に94歳でお亡くなりになったと教えていただきました
「もっちゃんにいただいたクリスマスローズを 大事に私が引き継いで
世話をしていきます!」とも言ってもらいました
いつまでも 素晴らしい生き方のSさんのことを 覚えておこうと思っています
奈良に帰ったら 早速お参りに伺い お礼を申し伝えたいと思っています
‘出会いがあれば 別れがある’
これが人の世の常ですから~
素晴らしい方と出会えた喜びは 大切な心の中の宝物にして大事にしまっておきたいです
Sさんの思いは 娘さんに確かに引き継がれているんだと感じました
大宇陀のアキノ温泉に行ったことを 嬉しそうに話していたそうです
3年間のお付き合いをいただいたことになります
「Sさん、ありがとうございました~(*^_^*)」と
今も感謝でいっぱいです~
満月蝋梅です
PS
置手紙のことづて欄が不具合中ですので、
コメントの設定を開始したいと思います。
皆様のお声を楽しみにお待ちしています(*^_^*)