演歌が大好きで、詩吟やご詠歌なども若い頃からたしなみ、いろんな大会に出ていたほどでした。
「籠の鳥」や「明治一代女」「他人舟」「島育ち」などは子供の頃、農作業を手伝いながらリクエストして覚えこんだ歌でした。
歌の好きな母を慰めてあげようと、CDやキーボードやテレビに接続してカラオケを楽しめる器具を妹たちはプレゼントしています。
2年くらい前まではカラオケを楽しみましたが、だんだん耳が遠くなったせいか歌わなくなってしまったのです。
足が不自由になって、私の部屋まで長い廊下を歩くのが辛くなったのも原因かもしれません。
時々、夜中のトイレに起きた時に「な~がの別れとなったのか・・」とか、「ねんころ~り」などと夢の続きのような一節をぽつんと口ずさんでいることがありました。
昨夜のことです。
安定剤は夜だけ一錠服用しているのに、珍しく1時半のトイレの後、朝の5時まで歌い続けていました。
「戦友」と言う軍歌を途切れることなく繰り返し歌うのです。
戦友の死を悼む哀調をおびた挽歌です。
母の頭の中には鮮明な場面が繰り広げられているのでしょうね~
特に13番14番の歌詞は噛み締めるような嘆きの声で哀切きわまりなく歌っているように聞こえていました。
こんなに長い夜遊びは最近全くなかったし、たくさんの歌を愛した人が最後に歌いたい歌としてこの挽歌を択んだのかと、あれこれ思いながら横になって聞いていたのでした。
太平洋戦争前が青春で、戦争中に母となり、命を守る人となりました。
この軍歌は兵士を鼓舞する歌ではなく、厭戦の響きを強く持っています。
遠い異国で戦友が倒れ、形見の時計が空しく時を刻んでいる・・・
友の最期をお知らせしようと手紙を書くうちに、親御さんの気持ちを思いまた涙が・・・
認知症ですっかり赤ん坊に戻っている母ですが、昔感じた気持ちはしっかりと思い出されていたのでしょう。
確かめたしかめ歌っているように見えました。
母のベストワンの歌として覚えておいて上げようと検索してみました。
「戦友」
1)ここは御国を何百里 離れて遠き満州の
赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下
2)思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し
敵をさんざん懲らしたる 勇士はここに眠れるか
3)ああ戦いの最中に 隣に居ったこの友の
にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて
4)軍律厳しい中なれど これが見捨てておかりょうか
しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾の中
5)おりから起こる吶喊に 友はようよう顔上げて
御国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙
6)あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体
それじゃ行くよと別れたが 永の別れとなったのか
7)戦い済んで日が暮れて 探しに戻る心では
どうか生きていてくれと 物なと言えと願うたに
8)虚しく冷えて魂は 国へ帰ったポケットに
時計ばかりがコチコチと 動いているのも情けなや
9)思えば去年船出して 御国が見えずなった時
玄界灘に手を握り 名を名乗ったが始めにて
10)それより後は一本の 煙草も二人分けてのみ
着いた手紙も見せ合うて 身の上話繰り返し
11)肩を抱いては口癖に どうせ命はないものよ
死んだら骨を頼むぞと 言い交わしたる二人仲
12)思いもよらず我一人 不思議に命永らえて
赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘ろうとは
13)隈なく晴れた月今宵 心しみじみ筆とって
友の最期をこまごまと 親御へ送るこの手紙
14)筆の運びは拙いが 行燈の陰で親たちの
読まるる心思いやり 思わず落とすひとしずく
頼んでも記憶を引っ張り出してあげることは不可能ですのにね~
母の魂に深く刻まれた忘れられない歌をすらすらと披露してもらった大切な夜だったのでした\(~o~)/
今朝の癒しの花の妖精をご覧下さいね~^^
ともに元気をたくさんいただきましょう(@^^)/~~~
イチリンソウ
クマガイソウ
ハルリンドウ
スズラン
お元気でね~♪
また明日^^
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