結婚して37年目の年に 実家の母の独居生活が
認知症のために無理となりました
奈良に嫁ぎ 退職して2年経っていましたので 介護に専念する許可が出て
遠く九州山脈の中央に帰ってまいりました
父親の故郷でした
大阪の大空襲で焼け出されて 祖母と母の三人で
ここに疎開したのが3歳の時でした
以来18歳で高校卒業するまで 竹田で暮らしていました
資格を身に付けなくては 小柄な私に何ができると思案して
教職に就きたいと その道を探す途中で
連れ合いとの不思議な出会いに巡り合ったのです
波乱万丈の道すがらですから 詳しくは語れませんが
母の病気が判明したのが 還暦を共に過ぎた時でしたから
「俺はここまで命を長らえさせてもらえたのだから これからは思い通りに
してくれていいから~♪」という連れ合いの許可をもらえました
62歳の時でした
母との二人三脚は夢のような平穏な生活で
何の不安もなく いつまでも続くのではないかと思えるような日々でした
68歳の時に 母は94歳の幸せな人生に幕を下ろしました
お墓参りは奈良での文化を引き継いでいたせいで
連れ合いの真似をして 週一を心がけていました
同じことを続けていることが奈良の家族の一員だと
自覚していたからだと思います
古希を過ぎた時に 健康体が自慢だった私に
脊柱管狭窄症だと診断され 奈良に帰る自信が無くなりました
人のお世話どころか 自分のこともままならない晩年になるという考えに至り
連れ合いに相談をかけました
3人の息子を一人 九州の陸続きに寄越してくれないだろうかと・・・
夜中の急激な痛みに動けなくなったときに 息子に電話したら
車ですぐに対応して貰えると安心だからと・・・
71歳の年末に 父の許しが出たから宮崎に引っ越しする予定だと
息子夫婦からの連絡が入り 新年早々 宮崎市民となりました
安心の境地に辿りついたかのように 連れ合いは
72歳の生涯を安らかに閉じました
実家のお墓参りを週一で心がけている私ですから
「連れ合いとぜひ同じお墓に!」と竹田で墓地を探して
1周忌までに子供一同で建立いたしました
開眼供養も宗派のお寺様にお願いして勤めましたし
墓誌も刻み ここに来ればゆっくりとお話しできると
安らぎの場所を得たのでした
月一のお参りは気合を込めて 体調の許す間は
勤めたいと思っています
7月分のお礼参りは立派に果たせましたので
昨夜は一度も起きることなく 安眠しすぎて
今朝は少し寝坊したのです
朝の片づけを済ませてPCの前に座りました
おかげで すっきり気分にどっぷりと浸っています(*'▽')
昨日お参りを済ませて家に帰ると なんと
先月のカサブランカと同じように 鹿の子百合の開花を
見つけました
まるで喜んでくれている証だと 私には見えたのです(^_-)-☆
早速アップしましたので ごらんくださいね♪
鹿の子百合です
PS
置手紙のことづて欄が不具合中ですので、
コメントの設定を続けたいと思います。
皆様のお声を楽しみにお待ちしています(*^_^*)