人間賛歌・もっちゃん4649

癒しの出会いを


癒しの隠れ場所  (2006-11-12 の自分史より)

新任の場合、山の学校へ3年以上赴任しなければならないと
当時は暗黙の了解があったのでした。
すでに長男が生まれていましたので、家から通える
ぎりぎりの山の学校が任地でした。

電車とバスに1時間以上乗り、待ち時間を入れると
かなり通勤時間のかかる不便な土地でした。

でも、景色も人もすべてが別天地で
癒しの出会いを2年間いただけました。

大分の実家は奥豊後の竹田という盆地の城下町です。
山紫水明の中に開けた故郷でしたから、バスの車窓の途中から
雰囲気が故郷と違和感なく重なって来た時には
驚いて目を凝らして見入ったものでした。

ここも城下町跡で、家並みも代官屋敷跡の黒門も
竹田の町を彷彿とさせてくれました。

奈良ではじめて見つけたまさに居心地の良い
癒しの隠れ場所でした。

退職して奈良と大分を半月ずつ往復していた時、旅の疲れや
もろもろの疲れを週に一度はこの地を訪ねて温泉プールで癒していました。

ここで過ごした2年間はまさに毎日が
癒しの連続だったと今では思えています。

1年目は副担任でしたが、2年目は持ち上がりの学年でしたので担任できました。

もう、40年近い前のことなのにしっかり覚えています。
忘れもしません。
2年生5組で2階の教室の端っこでした。

家庭訪問の時に42名学級でしたので、Yさんのおじいちゃんが
「42番の出席番号はいやだから、孫の番号を変えてください!」という
申し出をなさり、おろおろしたのを覚えています

若かりし頃の懐かしい思い出です。

純朴で元気な生徒ばかりで、楽しい1年間を過ごしました。
次男を懐妊したので、通勤が往復3時間以上は無理になるし、
3月末に平坦部に転勤させてもらったのです。

次男が出産した知らせを聞いた教え子たちは、遠い所を自宅まで
訪ねてきてくれて、犬のぬいぐるみをお祝いに
持ってきてくれたのですよ。

戌年生まれでしたし、柴犬のかわいい利発な顔がとってもお気に入りとなり、
それが犬好きの始まりだった気がしています。

もうすでにその時は3年になりクラス替えがあったりで
ばらばらになっていたはずなのに~と思うと、いじらしくってありがたくって
犬のぬいぐるみを抱えて涙を流したことを思い出します。

真に厚い生徒たちで、奈良の名門校が家の近くにあり、
そこに合格すると先生に会えるから~と頑張ってくれたのも確かでした。

その中の二人は中学教師になりました。
いろんな研修会で会う機会も多く、まるで分身のような
愛しさを感じていたのです。

教師集団も家庭的な雰囲気の濃い 人情の厚い人たちでした。
今も女性教師のみ、お正月明けの一日をゆっくり温泉で
一泊のお喋り会を続けているのです。

昭和45年にそこで勤務していたと言う限定があるので、
人数は増えることはありませんが、本当に身内のような温かさを
感じる小さな同窓会なのですよ。

その中では私が一番若く27歳でした。
この同窓会では一番の若手で、いつまでも頭が上がりません。

奈良に帰ってくるのを今も待っていてくださる
ありがたい仲間なんですよ。

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今朝の癒しをお届けしますね

岩根絞りです(いわねしぼり)




桃太郎です(ももたろう)




玉之八重曙です(たまのやえあけぼの)




PS

3日前に㍶の荒らしを防いでくれていたサイトから契約を続行するかの
連絡を受けたので 問い合わせたところ 長年の間に3本ほど
契約していたことが分かり 合計2万円ほど年払いしていたので
今は自分史も完了したので 勿体なくて解約しました

影響が出てくるのはある日突然かもしれないので
事前に連絡をと思いました
長い間仲良くしてくださって ありがとうございました

ブログの更新が可能な間は 追憶の世界を今まで通り
アップしようと思っています。


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