人間賛歌・もっちゃん4649

電話 (追憶の日々)


お父さん 今日は電話がテーマです


5年前のブログを読むと 上海に風邪引きのまま出かけた

主人のことを案じている話が出てきました


人生を気力で押してきた人ですから めったに愚痴やマイナス言葉は 

言わない人ですが 出発前の様子がちょっと気がかりだったのです


大陸は空気が乾燥しているから 彼も不安だったと言っていましたが

張りのある元気な声を聞けて ほっとしているところです


彼との電話の思い出は 私が調布 彼が奈良という頃に始まりました


昭和40年卒でしたので 電話代と新幹線代に 給料は毎月消えていました


商社に勤めていたので東京に出張というのがあり 領事館のもめごとなど

何時もクリアしてくるので 彼が専門のように来ていました


彼は10年ごとの周期で体調が崩れ また持ち直すのですが

昭和55年が それまでで最悪でした


奇跡的に乗り切り その頃から電話連絡が再開しました


車での移動がふえてきたので 自分の居場所を知らせておきたかったのでしょう


自動車電話が普及し始めたころに いち早く取り付けました

彼には必需品だったのです


確かに命拾いしたのも、この自動車電話のお蔭でした


長男が結婚していた頃だから 15年くらい前のことです


土曜日の夕方 これから高速に乗って家に帰るから~という

自動車電話がありました


いつもなら30分ほどで インターをおりたという連絡が入るのに

なかなか かかってきません


家まで二十分ほどだし 今日は直接帰ってくるのだと

勝手に解釈していたのです


雨の夜でした

7時を過ぎても連絡がないので 車に電話をかけてみました


高速道路の待避場所に 止まっているということでした


運転の距離感がつかめないので 車の流れが少なくなるまで

ここにいるといいます


土曜日でしたので 昼食を食べ損ない 空腹が原因のようですが

尿意ばかりで脱水が気になります


8時半に 「どう?」と様子を聞いても動けないようです


大阪の今里を過ぎた辺りというのですが どこに連絡して

救出してもらったら良いのか分かりません


高速道路の途中ですから 救急車を呼ぶと 

主人の車はどうなるのかなあと考えました


通勤では私も運転しているけど 高速道路にはまったく縁がないし

走れないので困ってしまいました


新婚で別居していた息子宅に電話したのが 10時前でした


わけを話し 嫁さんは高速道路の運転経験があるのかと聞いてみると

「大丈夫!暴走族の腕前やで~」とのこと


主人の救出がやっと始まり 家に帰ってきた時には 日付が変わっていました


肝臓疾患なので 身体のだるさは日常のことです


私は簡単に疲れたとか 安易にしんどいとか言ってしまうのですが

彼は口に出しません


言葉に出してしまうと おしまいだと思っているようです

いつもぎりぎりのところで 頑張っているのだと思いました


子供が小さい時に

「三人の息子には、どこで倒れても父さんは頑張っていたということを示したい」

と 私に良く言っていました


その通りを今も貫いています


私は母の介護に専念している立場ですから 奈良のことは一切 彼にお任せです

また彼もそれを守ってくれています


3人の息子が ぴったりと父に寄り添い 助けてくれているようで安心しています


あれほど電話連絡を 朝夕取り合っていたのが 嘘のような日々です


これもよけいな心配はさせないでおこうという

意志の表れなのだと思います


「声を聞きたくなったら電話をかければいいのだし

いつもは 嫁はんは死んだと思っている」そうです


そんな主人のことを しっかりお守りくださいね お父さん!!



シンビジュームです






PS

置手紙のことづて欄が不具合中ですので、

コメントの設定を開始したいと思います。


皆様のお声を楽しみにお待ちしています(*^_^*)





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