その時は必死でがむしゃらで、無我夢中に毎日を過ごしていたはずなのに~
時はその苦労の日々までも美しい思い出に変えてくれるようです~
第2章は激動の出会いと言うタイトルでまとめてみようと思っています。
あくまでも悪口を言ったり非難したり・・それが目的ではありません。
私の宝物を披露するなんともいえないうれしい弾むような気持ちなんです。
私の35年の子育てと教え子との出会いを思い出せる間に語っておきたい!
そして、いかに楽しい良い思い出の持ち主であったのかをちょっぴり自慢したいし、「よく頑張ってきたんやなあ~」と息子や妹たちに知ってもらいたいと思ったのです。
なによりも『袖振り合うも他生の縁』と大事に出会いを慈しんできたことを数多くの教え子たちに伝え感謝したかったのです~
第1章のブログの最終日、なっちゃんという名前の書き込みが画像掲示板にあり、「黙れ、黙れ、黙れ、だまれ・・・・」とただその反復を見たとき、
「あなたにとやかく言われることじゃ~ないわ!!」と憤りを感じ削除したのですが、ちょっと小休止の原因になったこともたしかでした・・・・
妬みかそねみか~?
もっちゃんのブログは痛快そのものでしたからね~
3日続けたら辞められないくらい私には天職でしたもの~
大きな守りに囲まれて思い通りの半生を今も過ごせていますから、羨ましい妬みに似た気持ちの引き金になったのでしょうか~
不快な方は読んでいただかなくって結構ですので~
息子師匠にも相談しましたが、続けていくことに賛同を得ましたので、ゆっくりと第2章を始めたいと思います。
コメントは大きな支えであり励みですので、また気軽に話題をなげかけてくださいね~
ともに話し合って進めていければ最高です~
結婚するまでの2年間は養護学園勤務の時代でした。
女子寮の入り口に住み込みで2年間を過ごしました。
戦後でもないのに親の無い子っているのだ~と大きなショックを受けたものです。
これが私の教師のスタートでした。
母親が若い男と駆け落ちしてしまい、幼子の姉弟を残された父親は、風呂敷包みを持たせてパチンコ屋で置き去りにして姿をくらましたそうです。
児童相談所から養護施設に収容となります。
出会ったときは姉が中学2年生になって弟は5年に育っていました。
満2歳の乳児から18歳までの高校生150人くらいが生活していました。
文部省の教員免許状と厚生省の保育士の免許状が必要とかで、私は夏休みに東京都の保育士の資格を採る講習を受け、640人の中の90人あまりに入れて見事に合格できたのですよ~
そのときのうれしかったこと~!!
試験科目にピアノがあったのです。
選択になっていて、音声言語を選べるとありました。
貧しい暮らしの子ども時代でしたからピアノなんて習っていませんし、課題曲など弾けるはずもありません・・・
音声言語は絵本の読み聞かせなんです。
その場で渡される絵本を保育園で読み聞かせる時を想定しながら読みます。
これは得意中の得意でしたからね~
ラッキーと飛び上がって喜んだものです~
明日に続く~
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