やはりショックが引き金になったように思われます。
一人暮らしをさせられないと思い始めました。
当時は介護認定もなく当然支援もなかったのですが、宅配弁当の給食センターは利用できていましたから、炊事の出来ない母の食事はずっと宅配弁当を頼み助けてもらっていたのです。
毎月の第4土曜日はいろんな支払いをする日と決めていたので、3年間は金曜日の夜の飛行機で帰り、土・日を過ごして月曜日の授業に間に合うように奈良に帰っていました。
常に何かにせきたてられる思いで落ち着けない帰省でした。
退職してからは奈良と大分とを半分ずつ、二人の母は同じ大正5年生まれなので親孝行させてもらおうと決めて半月ずつ行ったり来たりを続けていました。
一人暮らしの心細さは同年の義母には理解できていると思っていたのです。
奈良は長男夫婦も同居なので孫もいるし、9人の大家族だから義母は淋しい思いや不自由はしないと思い込んでいました。
これが大きな誤算だと後で分かったのですが・・・
そんなある日のことでした。
おしゃれ好きな母はこの日は朝から美容院へと出かけていきました。
私一人が留守番をしていると郵便が届きました。
見ると二番目の妹のはがきが入っていました。
「こんにちは。昨日21日は大風で、畑の土が舞い上がり、千葉県等、関東の空は茶色になりました。 竹田は?」
<色鉛筆の風景画。茶色の空が描かれています。>
状差しに入れにいくとそこには、はがきの束がありました。
月ごとに括ってありました。
私のまったく知らないことでした。
夜、妹に電話をかけてみました。
「郵便受けに新聞を取りにいく母の姿を見て、何にもどこからも手紙がきていないし、はがきが一枚あったら喜ぶだろうなあと思って~
電話はその時だけで消えてしまうしね・・・
何回も眺めて楽しんで思い出してもらえるかなあって思い、出し始めたのよ。」ということでした。
その通りです!
何度も新しいのを見るように繰り返し見ています。
以前、お父さんの10年日記を発見した時、「親孝行な4人娘を授かってうれしい」という喜びのページを読みました。
「私のことを孝行娘と言ってくださるの?」とドキッとした自分を思い出しました。
このことだったのですねえ、お父さん。
親に喜んでもらおうと心を砕き自分にできる最高の方法で実行する妹を見てそう思いました
妹のはがきは、淡い色調のきれいなもので、大きな字体で読みやすく工夫されています。
お母さんの宝物になっていました。
一日に何度も出して眺めています。
「思えばこそ・・・ねえ~」と紙面をいとおしそうに撫でています。
気がついたら即実行に移し、仕事と家庭を両立して朗らかな人生を送っている妹に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
優しい妹をもてて幸せです。
お父さん、ありがとう!
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もっちゃんです
tuyosi
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