まぁそれが資本主義の根幹で動機だ。
律令国家も同様。
共産主義にしても白黒がハッキリしてるだけで同じ動機を実現してしまう、導いてる立場だからと、宗教も同様だ。
結局はマウンティングと言うモノは無くならないのではないのか?
人より優位に立ちたい。
自分が本当に楽しみ喜びと歓びを感じる術を知らないだけなのだな、
一年間一人で過ごし情報を出来うる限りシャットダウンし、本を読み、ただただ人から単に与えられる(優しさの種まきもしてるが、)優しさと好意だけを糧に毎日を過ごして、生きているとそう思う。
友達も一歩間違えたら同様。
兄弟ですら同様。
先日虎の親子をテレビで見た、
子供はオスが三匹メス一匹。
オスよりメスは小さくて、
カラダのサイズ順に、
親が取ってきたエサに有り付ける。
当然子供のメスが一番最後。
でもこのメスが一番始めに、
親から独立した。
自分が如何に生きやすく、
同時に生き延びるか、
子孫繁栄に導けるか、
遺伝子に組み込まれているから、
仕方ないかも知れないが、
人としてではなく、
人間には理性があるのだから、
堅苦しく考えずとも、
ちょっと考えれば、
理性的に生きれば、
たぶん優位性など不要なんだ、
世の中の全ては手に入れられない。
こんな前提を知れば事足りる。
それなのに、
気が済まなきゃ奪ってまで、
自分たちと同等以下にしようとか、
つまらない考えに終始する、
ここまですると育ちを疑いたいが、
躍起になると泥棒行為も、
わからなくらなるらしい、
社会性の前提が無く生きてるから、
やはり育ちが悪いのだ。
俺の場合、
それでも側からは、
アイツは自由があっていいなぁ。
なんて声を耳にせずにも、
皮膚で感じてしまう。
既に周りがそのように、
行動を始めるからだ、
つまり、
言い方を変えれば、
俺も見えない形で、
他人にマウンティングしてるのだ、
彼らに言わせれば、
俺が意識せずとも。
理性があると思えない虎でもなく、
理性がある人間。
その人間の行いが虎と変わらないなら、
やはり人と言うのが道理だろう、
では自身が行ったわけではないことは?
やはり人なのか?
いいや、
それは妄想が始めたことだから、
妄想した人の問題、
勝手に妄想された人間は、
ただただ被害者ってこと、
自身の行いは、
誰しもが正しいと思っている、
例え間違えであっても、
自分たちが知らないことは、
全ては嘘で、
知ってることだけが正義。
法のもとですらない。
不思議なことだ。