だから勉強などいくらでも出来る、
思想や主義だって鍛えられる、
否定したところで、
それらを専門的に学術として、
研究している人は沢山居る、
その事実は否定出来ないし、
不必要だと云うことも事実出来ない、
逆をいえば、
それらを用いて、
鍛えることすらしない人は、
若年層ならまだしも、
壮年期を迎えたならば、
改めて勉強をしない人は、
人生の何を鍛えるのだろう、
また、
鍛えないのなら、
どう社会を発展させるのか、
成長は個人・組織・社会に発展を齎す、
つまり、
自己錬磨が出来なければ、
成長は見込めず、
更に言えば、
自己保身に走り、
出る杭を打ち、
無能を登用すれば、
衰退を早める、
発展とは、
口で言うことではない、
一見不必要なことを、
真剣に学ぶこと、
今と言う過去だけを見つめると、
明日と言う未来を疎かにし、
知らず知らずに自身を疎かにしている。
昔、
一国の主人は、
能や茶湯など、
文化・芸能に触れていた、
つまり、
そう云うことなのだよ。