日本にスキー技術が伝わって100年。なぜか富山県ではキャンペーンをしていないのですが、このメモリアルを各地のスキー場ではイベントにしていて、来週11日は、スキーが伝わったとされるその場所、新潟県上越市金谷山スキー場で「レルヒ祭」が行われています。このイベントは毎年開催されていますが、今年は、100年を記念してかなり大々的に展開していて、加藤清史郎くんもゲストにくるそうです。なんで?と思いましたが、ああ、直江兼続の幼少役をやってブレイクしたってことだと、ずいぶんあとになって気付きました。
レルヒが伝えたスキー技術が1本杖のもので、踵を上げたテレマークポジションで制動する技術でした。現在のアルペンスキーとは少し様子が違いますね。2本の杖で、2本のスキーを平行にというか同時操作で滑走するスタイルの、いわゆるアルペンスキーを伝えたのは、オーストリア・チロル州のサンアントンのハンネス・シュナイダーだと言われています。このスキーの天才は、映画や書籍などでも紹介され、アールベルク滑走術と呼ばれたスキー技術を世界中に広めました。
シュナイダーは来日して、日本各所でスキーを指導しましたが、有名なのは野沢温泉でしょう。ここにはスキー博物館もあって、スキーの歴史をつぶさに展示しています。なかでも、ハンネス・シュナイダーのコーナーでは、実際にシュナイダーが使用した板もあって、当時、このスポーツがどれほどモダンで冒険心溢れるものだったかがよくわかります。
一方イギリスにはカンダハースキークラブというのがあって、このクラブとサンアントンのアールベルクスキークラブが共同で開催したのが、世界で初めてのアルペンスキーレースでした。現在でも、こことキッツビューエル、ウェンゲンで開催されるレースだけは特別のクラシックレースとして、その伝統へのリスペクトがなされています。F1なら、シルバーストーン、モンテカルロ、モンツァというところでしょうか。
野沢温泉では、シュナイダーの名前を付けたコースの他に、カンダハーコースというのをもっていて、FISの公認レースコースとして競技会に使っています。競技会のないときには、一般開放されているので、ぜひチャレンジしてみたいものです。
シュナイダーは、野沢の他に、やはり同じようにシュナイダーにちなんだコース名をもつ妙高池ノ平などいくつかのスキー場でデモンストレーションをしますが、残念ですが、富山県には立ち寄っていません。
それでも、オーストリアの人々が伝えたものは、モーツァルトと同じように、私たちのくらしにしっかりと刻み込んでいるようです。
ちなみに、シュナイダーの風貌を写真で見ると、いやあ、なかなかのボヘミアン。ちょっとした変わり者だったのかなと思わせます。そういう天才を生むのも、オーストリアの土地柄かもしれません。アールベルクのライオンと呼ばれた名スキーレーサー、カール・シュランツを思い出しました。1960年代から70年代にかけて活躍したスキー選手ですが、何と札幌オリンピックでは追放されています。クナイスル社の広告に出ていたということでアマチュア規程違反ってことなんですが、何とも時代を感じさせる話ですし、「動く広告塔」とののしられたスキーヤーは、むしろ、先を走っていた人なのかなと思わせます。
レルヒが伝えたスキー技術が1本杖のもので、踵を上げたテレマークポジションで制動する技術でした。現在のアルペンスキーとは少し様子が違いますね。2本の杖で、2本のスキーを平行にというか同時操作で滑走するスタイルの、いわゆるアルペンスキーを伝えたのは、オーストリア・チロル州のサンアントンのハンネス・シュナイダーだと言われています。このスキーの天才は、映画や書籍などでも紹介され、アールベルク滑走術と呼ばれたスキー技術を世界中に広めました。
シュナイダーは来日して、日本各所でスキーを指導しましたが、有名なのは野沢温泉でしょう。ここにはスキー博物館もあって、スキーの歴史をつぶさに展示しています。なかでも、ハンネス・シュナイダーのコーナーでは、実際にシュナイダーが使用した板もあって、当時、このスポーツがどれほどモダンで冒険心溢れるものだったかがよくわかります。
一方イギリスにはカンダハースキークラブというのがあって、このクラブとサンアントンのアールベルクスキークラブが共同で開催したのが、世界で初めてのアルペンスキーレースでした。現在でも、こことキッツビューエル、ウェンゲンで開催されるレースだけは特別のクラシックレースとして、その伝統へのリスペクトがなされています。F1なら、シルバーストーン、モンテカルロ、モンツァというところでしょうか。
野沢温泉では、シュナイダーの名前を付けたコースの他に、カンダハーコースというのをもっていて、FISの公認レースコースとして競技会に使っています。競技会のないときには、一般開放されているので、ぜひチャレンジしてみたいものです。
シュナイダーは、野沢の他に、やはり同じようにシュナイダーにちなんだコース名をもつ妙高池ノ平などいくつかのスキー場でデモンストレーションをしますが、残念ですが、富山県には立ち寄っていません。
それでも、オーストリアの人々が伝えたものは、モーツァルトと同じように、私たちのくらしにしっかりと刻み込んでいるようです。
ちなみに、シュナイダーの風貌を写真で見ると、いやあ、なかなかのボヘミアン。ちょっとした変わり者だったのかなと思わせます。そういう天才を生むのも、オーストリアの土地柄かもしれません。アールベルクのライオンと呼ばれた名スキーレーサー、カール・シュランツを思い出しました。1960年代から70年代にかけて活躍したスキー選手ですが、何と札幌オリンピックでは追放されています。クナイスル社の広告に出ていたということでアマチュア規程違反ってことなんですが、何とも時代を感じさせる話ですし、「動く広告塔」とののしられたスキーヤーは、むしろ、先を走っていた人なのかなと思わせます。