モーツァルト@宇奈月

湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト@宇奈月
scince2010年秋。毎年9月に音楽祭を開催しております。

ガッレリアへ行く前に

2014年07月05日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
ガッレリアへ行くって言っていながら、後ろ髪引かれています。

いやあ、花嫁さんですよ。ウェディングドレスです。あ、モデルさんだ。撮影らしいですね。
朝早いので、他に人はあまりいませんが、昼間は世界中からの人であふれている場所なんです。こういう風景は、実はけっこう貴重なんです。
いよいよホントにガッレリアへ。
こういう感じです。

ガッレリアをモデルにしたディズニーランドなら、入り口の広場のところに、そうですね、駐車場のあたりに広大なだいせいどうが広がっている感じかな。
安っぽい喩えですみません。
では、世界で最も素敵なアーケードへ。

ドゥオーモのファサード

2014年07月05日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
ドゥオーモの名所を紹介し忘れました。実は、朝早いので、中には入れませんが、ここの入り口の扉、ファサードは、ゴシック建築としては珍しい三角形をしています。青銅製ですね。

ミラノの象徴ドゥオーモですが、着工は1386年ですが、巨大な建築だけになかなか完成せず、しびれを切らせたナポレオン3世が当初の予定を一部端折る形でとにかく完成しろと命じたそうです。それでも、実際にかんせいしたのは、20世紀になってから。約600年かけて作られたもので、当初のゴシック様式もずいぶん移ろっているらしいのです。それは、このファサードにも反映されているみたいですね。
レリーフは、いわゆるイコン、聖画です。巧みなものです。




ひとつひとつ聖書の有名なシーンなんでしょう。
ちなみに、建設計画のときに、プランのひとつをていしゅつしたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチですが、落選したらしいです。ですが、ミラノのひとびとは、ちゃんとダ・ヴィンチへの敬意を忘れません。それは、これから訪ねます。
どこにいっても、歴史と文化、芸術と宗教が色濃く現れてきます。
それじゃあ、ワールドバザールへ、違ったガッレリアへ。

いよいよ形になってきました

2014年07月05日 | 音楽祭について
おはようございます。
アマデウナヅキンです。
いよいよ今年の音楽祭の姿が見えてきました。
5回目の今年は、少し様子が変わります。街かどコンサートの会場として親しまれてきたいっぷく処や駅前広場が改修などのかんけいで使えなくなるため、新たな会場を設定します。また、新しい音楽祭の姿が見られそうですね。
すでに、チケットの販売が行われているスペシャルコンサートは合唱付き。合唱団もこの音楽祭のために編成されます。
乗り物王国の黒部市ならではのモーツァルト電車もひときわ工夫を凝らします。
現在、音楽祭の参加者を募集しています。また、たくさんの方から応募をいただいています。特に、新しく参加者れる方も増えています。演奏者と観客、宇奈月のまちが一体になって作られるこの音楽祭の魅力が、節目の5年目にまた新たな姿に発展します。
詳細は、間もなくお知らせできるようになると思います。
そうそう、音楽祭のサポーターの会、友の会の会員証もできるようですよ。会員限定の友の会通信も多彩な情報満載です。
ここからいよいよ高まる音楽祭への毎日にご期待ください。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像

2014年07月05日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。ワールドカップもいよいよ準決勝。さきほどのヨーロッパ同士の対決は、ドイツが勝ち抜けました。
ヨーロッパの国々は今でも多彩な民族と文化を抱えて変化しています。EUという大きな形が実現するのは、そうした人たちが交流しながらも自身のアイデンティティを持ち続けるから、かえって大きな枠組みなら受け入れられるということなんだそうです。20年くらい前の地図がそのまま使えないのは、けっこうヨーロッパだったりしますね。

ドゥオーモの広場にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像です。
イタリアは実は統一がずいぶん遅かった国です。統一に力を尽くし、最初の国王となったのが、ヴィットリオ・エマヌエール2世です。統一は、1861年のことでした。
イタリアはいくつもの王国に分かれていて、北イタリアにあったサルディーニャ王国が彼の国でした。他国からの圧力に苦しめられていて、例えば、フランスと連合してオーストリアと戦ったソルフェリーノの戦いは、スイスのアンリ・デュナンに赤十字活動を決意させるきっかけになっています。
ソルフェリーノの戦いののち、フランスのナポレオン3世は翻意し、オーストリアのロンバルディアの領有を認めさせようとして反発を買い、それがイタリア統一の機運につながったようですね。
1861年の最初のイタリア議会で国王に選出されたのが、銅像の人です。
大変尊敬を集めた人のようですね。王の頭文字"VERDI"(Vittorio Emanuele Re d'Italia)と呼ばれる、音楽家のベルディとともに、ビバ!ベルディと称えられていたそうです。
なるほどねえ。

広場の真ん中にあるんです。
振り返ると、ドゥオーモ。

数え切れないほどの尖塔が連なっています。さまざまな人々を讃えるという形で、この国の歴史や文化が継承されているように感じます。
では、これからガッレリアに向かいます。