モーツァルト@宇奈月

湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト@宇奈月
scince2010年秋。毎年9月に音楽祭を開催しております。

リハーサルが見られるのも素敵です

2014年09月27日 | 演奏
音楽祭では、会場の制約もあって、しばしば演奏会場でそのままリハーサルが行われます。オープンな場所なので、演奏を聴きにこられたみなさんがそのまま練習風景を見られることもあります。
昨年、オーケストラのリハーサルを公開しましたが、音楽が生まれ、育まれ、さらに研ぎ澄まされていく瞬間は実に興味深いものです。
もちろん、本番の演奏とは違うのですが、音楽家がどの表現に心を寄せているのかがよくわかります。また、わずかな調整と配慮で大きく演奏が変わっていくこともいっしょに体験できます。
華・HANAさんたちの練習風景です。

お客さんたちの方よりも、内側の感情とかきもちとか、思いとか、描きたい願いのようなところをより繊細にコントロールして、それぞれの響きを、内側の声とでもいうのかな、そういうものと照らしながら探っておられるように思えました。意志や意図が働いているとでもいう感じでしょうか。それはそれでとても緊張感のある場所でした。

本番の上演では今度はその意識がお客さんの方を向きながら、お客さんの気配や気持ちをとらえて自分から現れるしぜんな表現に委ねていく。そのことで、会場としてその場の音楽が生まれていく瞬間が繰り返されるように思えました。
音楽は人が作り出すものだから、こういう風景が現れるんですね。

これだけみるとロックスター

2014年09月27日 | 出演者
昨年のオペラ・ルスティカーナさんのオペラ「フィガロの結婚」全幕上映ですっかりオペラのおもしろさを知った方も少なくないと思います。
延対寺荘で山崎太郎さんが、「フィガロの結婚」を一人三役で演じられました。

まるでロックスターですね。
だけど、アマデウスの時代の市民芸術というのか、ポップスというのか、いわゆる伝統芸能よりもより大衆に愛され、親しまれる音楽が、実は、アマデウスが作った数々の楽曲であった可能性はあります。実際、アマデウスは特定の階層だけでなく多くの人々に音楽を届けられるようなプロデュースもしていたようです。
そう考えると、今のロックスターのような(ロックスターってのもちょっと古いかな)ポジションにオペラ歌手がいたことだって考えられます。

歌舞伎の役者絵もブロマイドですしね。みんながそれを真似てお芝居をするシーンは、落語にはよく出てきます。新劇が生まれる前は、お芝居といえば歌舞伎のシチュエーションでしたから。おそらく、ヨーロッパでは、例えば、私たちがお軽寛平を見るように、オペラの1シーンを演じ、楽しむのでしょう。(例を挙げられないのが残念)

山崎さんのエンターティメントは、伴奏の森田基子さんまで笑わせていました。現在の様々につながるいろいろな要素を音楽はもっていて、さらに、その部分が今も十分に楽しめることにも驚かされます。

モーツァルトを話す時は、本当にうれしそう

2014年09月27日 | 出演者
横島勝人さんのプレミアムトーク「モーツァルトへの旅」は、また、アマデウスの音楽を深く感じる手がかりをたくさんいただきました。

アマデウスのことを語る横島さんが本当に楽しそうです。中条アナウンサーの表情を見るとそれがまたよくわかりますよね。
アマデウスは、天才という呼び名が必ずつけられるほどに才気に満ち溢れた人でした。現在の音楽に、もちろん、アマデウスにも最も影響を与えているバッハには天才という表現を使わないのですよね。天才というあたりには、その人の人柄とか、常人離れした伝説めいたことがつきまとうのでしょう。
伝説の天才を語るときには、語っている人も聞いている人も楽しくなる。プロ野球の長嶋でんせつみたいなかんじですね。そこに毀損する感じは、ありません。

顧客があって音楽が生まれる時代に、自ら音楽の範疇を広げた改革者としてのアマデウスの姿も話してもらえました。
「モーツァルトの旅」シリーズでは、生演奏も入ります。

音楽は好きだけれど、ソナタって?フーガって?アンダンテってどういうこと?カンターレは、サッカーのチーム?(地元にカターレというJ2のチームがあるんです)という人も少なくないと思います。そういうことを丁寧に話していただけるだけでなく、こういう音楽ですと演奏してもらうとこれがずいぶんわかりやすい。
学校の授業でもこういうのがいいなあ。小学校の時に経験した40年くらい前の音楽鑑賞ではとにかく静かに聞きなさいでしたから。今は、このプレミアムトークのように音楽の楽しさをさまざまな表現するものになっているらしいですね。地元のコラーレでも、アウトリーチプログラムをやっていると聞きました。
この会場は、みんなが音楽そのものと音楽を生み出すもの、音楽によって変化していくものを感じながら、まったくあっという間の時間を過ごしました。