(この崖の上に目指す穴山駅があるハズ?・・・)
始発電車で新横浜からJR中央線に乗り、八王子経由で、
上の写真の韮崎駅で下車します。
韮崎の市街地の外れの上の写真のホテルルートインコート韮崎
を過ぎて水神地区に入ります。
ホテルルートインコート韮崎には今晩1泊します。
青坂バス停の先が、下の写真の様にY字路になっています。
左の直進は甲州街道、右の坂道は七里岩ラインです。
直進して進むと、石垣の上の祠に、「行人正人」と書かれた
写真の「行人塚」があります。
この行人塚は、行者が生きたまま埋葬されて「即身成仏」
した塚だそうです?
生きたまま埋葬なんて、驚き!
更に進むと、一ツ谷の交差点の手前の三角形の土地に、
釜無川を鎮めるための「水神宮」(すいじんぐう)が
前頁の写真の様に祀られていました。(1857年建立)
この一ツ谷の交差点で国道20号に合流します。
少し進むと、上の写真の「十六石」の石碑があります。
武田信玄は、釜無川の水害から韮崎を守るため、治水工事を
行いました。
この際、堤防の根固めに並べ据えた巨石が十六石だそうです。
更に進むと、下の写真の石仏石塔が並んでいます。
3体の地蔵尊、1792年建立の庚申塔、1780年建立の
馬頭観音像が並んでいます。
少し進み、国道20号線から分かれて、下の写真の右の脇道の
下祖母石(しも うばいし)の旧甲州街道に入ります。
この分岐点には写真の様に「水難供養塔」があります。
昭和34年の台風の豪雨により釜無川が氾濫、これによる
犠牲者を供養したものです。
旧甲州街道に入ると、右手には「七里岩」(しちりいわ)の
崖が続く、のんびりとした田園風景で、楽しい街道歩きの
スタートです。
この街道沿いの延々と続く「七里岩」の名前は、この先の
信州との國境まで、崖が延々と七里(28キロ)も
連なっている、というのが由来らしいです。
のんびりとした田園風景を抜けると、広い敷地の「なまこ壁の
旧家」や「長屋門の旧家」が続いています。
上の写真は、風情のある武田家の有力家臣だったという
名家の「茅葺の武家門」です。
やがて左手に、1724年創建のここ祖母石(うばいし)の
鎮守の「神明宮」があります。
更に進むと、左手に火の見ヤグラがあり、その向いに
1721年建立の「南無阿弥陀佛名号碑」があります。
赤く塗られているところから、地元では「赤地蔵」と
呼ばれています。
その先の左手に上の写真の石塔群があります。
蚕神(かいこがみ)、石尊神、道祖神、和氣大神、九頭竜大神
などと刻まれています。
旧甲州街道は、この先で国道20号に合流します。
左手に写真の「治水護郷碑」があります。
昭和34年(1959)の台風襲来で、富士川(釜無川)が
氾濫し多数の被害者がでましたが、この水没者の冥福を
祈るための石碑だそうです。
この辺りの国道20号は、ちゃんと歩道があるので危険はない
のですが、写真の様に雑草が歩道を覆っています・・・
仕方なく、雑草をかき分けながら進みます。
国道20号線をひたすら歩いて行きます。
地図を見ると、穴山三軒屋バス停(赤丸印)の所から
300メートルくらい右に入ると、JR中央本線の穴山駅
です。
本日は、この中央本線の穴山駅から乗車して韮崎駅に戻り、
ホテルルートインコート韮崎に宿泊する予定です。
この小道の先300メートルに穴山駅があるハズなのですが
・・・
小道の先には垂直の崖がそびえています?
ということは、ここからは見えないけれども、この崖の上に
穴山駅が?
この断崖を上る道などなさそうです?・・・
え、えっ~!、うそ~!
地図では、ここから僅か300メートルで駅なのに・・・
参ったなぁ~!