■12月25日(日、290日目)
・毎日jp---『福島第1原発:損賠支援 政府保証枠4兆~5兆円規模へ』
『政府は24日、12年度予算案で、東京電力福島第1原発事故に伴う損害賠償を支援する原子力損害賠償支援機構への政府保証枠を現在の2兆円から4兆~5兆円規模に拡大する方針を決めた。
機構は東電に出資や融資ができ、その原資として、機構が銀行から資金を借りる時に政府は保証を付けている。東電は今後、福島第1原発の廃炉費用などが膨らむ見通しで、政府保証枠が拡大されると機構は銀行から資金を借りやすくなり、東電の資金需要に柔軟に対応できる。予算案の国会提出までに具体的な保証枠を決定する。
政府は保証枠とは別に機構に対して5兆円の交付国債の発行枠を持つが、機構が交付国債を現金化して得る資金は賠償にしか使えず、廃炉などの費用には充てられない。【野原大輔】』
■12月24日(土、289日目)
・CNN---『ニュージーランドでM5.8の地震 負傷者も』
『ニュージーランドのクライストチャーチ近くで23日、マグニチュード(M)5.8の地震が2回発生した。米地質調査所(USGS)が伝えた。
1回目のM5.8の地震1 件が起きた約8分後にM5.3の地震1 件が発生。その約1時間20分後に再びM5.8の地震が発生した。
同国当局の発表によると、この地震1 件の影響で少なくとも2人が負傷したという報告があるという。また、クライストチャーチ空港が閉鎖された。
最初の地震の震源地はクライストチャートから東北東へ約26キロの地点で、震源の深さは約4.7キロ。2回目の震源地はクライストチャーチから約15キロ離れた地点で深さは4.9キロだった。
クライストチャーチでは2月に大規模な地震が発生し、多数の死者が出ている。』
→東日本大震災にかき消されてしまったが、クライストチャーチでは今年2月、M6.3の地震があり、日本人留学生を含む182人が死亡している。大地震後、数年内に『最大マグニチュードマイナス1』程度の余震が起きる可能性が高いというが正にその通りだ。スマトラでは本震の5年半後にM7.5の大規模な余震が発生している。首都圏直下地震の発生確率は今後30年で98%。東北大震災発生により10数%確率が上がったという。まだまだ備えは必要だ。
・共同通信---『水深5千メートルの泥にセシウム 東北の太平洋、原発放出』
『東日本大震災の震源域である東北地方の太平洋海底で、水深約5千メートルの深海の泥から、東京電力福島第1原発事故で放出されたとみられる放射性セシウムが検出されたことが、産業技術総合研究所(茨城県つくば市)などの研究グループの23日までの調査で分かった。
セシウムが検出された泥は水深約120メートルから約5千メートルまで広く分布。全体として高濃度ではないが、測定結果についてグループの池原研・産総研副研究部門長は「おおむね、福島県に近いほど濃度が高い傾向にある」としている。』
■12月23日(金、288日目)
・日経web---『原発事故、緊急事態宣言は2時間後 事故調の中間報告』
『東京電力福島第1原子力発電所に関する政府の事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎東京大名誉教授)が26日に発表する中間報告の概要が明らかになった。3月11日夜に菅直人前首相が発令した「原子力緊急事態宣言」で、東電の通報から発令まで2時間余りかかり、政府が即断できなかった経緯を記載。避難指示への影響があったのかどうか、今後調べる。政府の情報提供の遅れのほかに、東電の事故対応の混乱ぶり、津波への備え不足などを指摘する内容になっている。
緊急事態宣言は災害時の避難指示などに欠かせない国の手続き。原子力災害対策特別措置法では経済産業相の報告後、直ちに首相が宣言すると定めている。
東電は原子炉の水位が確認できなくなり、11日午後4時45分に経産省原子力安全・保安院に通報。5時ごろから当時の保安院長が官邸で状況を説明した。菅前首相は詳しい説明を求め、東電幹部も官邸に呼び出した。5時42分から海江田万里元経産相が報告したが、菅前首相は6時12~17分に与野党首脳会談に出席。結局、緊急事態宣言を発令したのは7時3分で、避難指示が出たのは9時23分だった。
政府が原発の状況把握に手間取り、宣言まで2時間かかった。事故調は、当時、首相補佐官だった細野豪志環境相らのヒアリングを実施した。中間報告では事実関係の記載にとどめるが、年明けに菅前首相らもヒアリングし、避難指示への影響などを評価し、来夏の最終報告で全体像を描く。
菅前首相は日本経済新聞社の取材に対し、「原発事故以外の災害対応も求められる状況下で、できる限りの対応をとった。緊急事態宣言やその後の避難指示などが特段遅れたとは考えていない」と書面で回答した。
中間報告では緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)が住民の避難に活用できなかったことを問題視。放射性物質の飛散を予測した文部科学省と原子力安全委員会、保安院がいずれも公開責任があると考えず、予測の公表が遅れ、避難指示に生かせなかったとしている。
このほか東電の事前想定の甘さも挙げた。震災と原発事故が同時に起きる複合災害を考えず、中越沖地震での柏崎刈羽原発の被災の教訓が生きなかった。全電源喪失を想定した訓練をせず、10メートル超の津波を試算していたのに浸水対策もしなかった。
東電の事故対応では過酷事故を想定した手順書や連絡体制などに不備があり、1号機の非常用復水器や3号機の高圧注水系などでの冷却が滞ったことなどを指摘。津波による浸水で電源を喪失したが、地震で安全上重要な機器が機能を失った証拠はないとしたうえで、最終判断には原発内での調査が必要とした。』
・毎日jp---『福島第1原発:「損傷恐れ停止」 3号機高圧注水系』
『東京電力は22日、福島第1原発3号機の原子炉を冷やす高圧注水系(HPCI)を運転員が停止させた理由について、振動が大きくなり損傷が懸念されたためと発表した。この対応について東電は「妥当だった」としている。経済産業省原子力安全・保安院から指示を受け、調査結果を分析、公表した。
3号機では「原子炉隔離時冷却系(RCIC)」が地震翌日の3月12日午前11時36分に停止し、原子炉水位が低下。バッテリー(蓄電池)で駆動するHPCIを自動起動させた。しかし、原子炉の圧力が操作手順書の基準以下になって性能が低下し、振動も大きくなったことから、運転員が壊れて放射性物質が漏れるのを懸念。代わりの注水方法の準備が進んでいたことから、HPCIを停止し代替注水に切り替えられると判断したという。所長には停止後に報告された。
だが実際には注水のために原子炉圧力を低下させる弁が、電源喪失で開けず、代替注水ができず、炉心溶融を招いた。HPCIをめぐっては、政府の事故調査・検証委員会の調べで、現場が独断で止めたことが分かっている。【岡田英、久野華代】』
・東京web---『3号機爆発前日 代替準備前に注水停止』
『東京電力は二十二日、福島第一原発事故発生直後の三月十一~十五日の事故対応状況をまとめた報告書を公表した。3号機では、注水に使う装置を切り替える際、準備が整っていないのに、片方の装置を停止させた結果、六時間も注水が止まる事態を生んでいたことを明らかにした。この空白の時間が炉心溶融につながった可能性がある。
注水が中断したのは三月十三日未明。圧力容器からの蒸気の力を使って水を送る装置(HPCI)を使っていたが、動力源の蒸気が乏しくなってきたことから、ディーゼルポンプ(DDFP)への切り替えを決め、HPCIを手動停止させた。
しかし、原子炉内は過熱によって高圧になっており、DDFPの力では注水できない状態だった。本来は、炉内の圧力を下げてから切り替えるべきだが、圧力を逃がす弁が開かず、注水できない状態が続いた。HPCIに戻そうとしたが、既に起動するための電源が失われていた。
弁の操作に必要な直流電源が失われていたため、運転員たちは原発内の自動車からバッテリーを集め、弁の電線をつなぎ替え、約六時間後に弁を開けた。
DDFPによる注水が始まったが、核燃料の溶融は進んでおり、3号機は翌十四日午前に水素爆発した。
東電の松本純一原子力・立地本部長代理はHPCIを止めた理由を、運転員たちは「当時、HPCIのタービンの回転が操作手順書より遅く、いつ止まるかわからない」などと懸念していた、と説明。判断は妥当だったと強調した。
HPCIの操作は政府の事故調査・検証委員会も着目しているが、今月二十六日の同委の中間報告直前に、東電が自ら説明した。』
■12月22日(木、287日目)
・東京web---『福島第一 炉内確認まで10年 工程表発表16年度から水棺』
『政府と東京電力は二十一日、福島第一原発1~4号機の廃炉に向けた工程表を発表した。原子炉内の溶けた核燃料の状態を把握するだけでも十年近くを要し、燃料の取り出しや、建屋の解体まで含めると最長四十年かかるとする内容だ。
工程表は三期に分かれる。第一期は、原子炉建屋内のプールに入った使用済み核燃料の取り出し開始までの二年間。十年後までの第二期は、格納容器に溶け落ちた核燃料の取り出しに着手するまで。第三期は、核燃料の回収を終え、建屋解体が終わるまでの三十~四十年後までとした。
使用済み核燃料の取り出しは、最も多く入っている4号機から始め、3、1、2号機の順で行う。
原子炉内の核燃料取り出しで焦点となるのは、燃料から出る高い放射線を遮るため格納容器を水で満たし、圧力容器を水没させる「水棺」が実現できるかどうか。1~3号機とも格納容器は損傷しており、損傷場所を調べて補修し、二〇一六年度から水張りを実現させる、としている。
圧力容器内の核燃料の状態が映像で確認できるのは水張りが終わった後になる。放射線に加え、現在の容器内には濁った汚染水があるからだ。
溶けた核燃料の取り出しには、高線量の環境でも遠隔操作できる装置、核燃料を入れる特殊な容器の開発も必要となる。
こうした技術開発が進まなければ、工程表通りにいかない恐れもある。
枝野幸男経済産業相は「否定しない」と認めつつ、「実現可能な工程表と目標年限を定めた。実現していく十分な可能性がある」と強調した。』
■12月21日(水、286日目)
・時事通信---『10年以内に溶融燃料取り出し=廃炉終了、最長40年―工程表を策定―福島事故』
『東京電力福島第1原発事故で、政府・東電中長期対策会議の初会合が21日開かれ、原子炉内で溶けた核燃料の取り出しを10年以内に始め、30~40年後の廃炉完了を目指すとした工程表が策定された。
工程表は廃炉計画を3期に分けた。第1期は核燃料プールからの使用済み燃料取り出し開始までで2年以内、第2期は炉内の溶融燃料取り出し開始までで10年以内とされ、第3期の廃炉作業終了は30~40年後とされた。
溶融燃料の取り出しでは、2015年度末ごろから格納容器下部を補修し、水で満たす冠水作業に着手。19年度半ばごろから圧力容器内の本格調査に入り、21年末までに取り出しを始めるとした。』
・毎日jp---『東日本大震災:福島第1原発事故 NRC委員長が視察 ステップ2「作業の一部」』
『米原子力規制委員会(NRC)のグレゴリー・ヤツコ委員長は20日、東京都内で記者会見し、日本政府が東京電力福島第1原発の収束へ向けた工程表の「ステップ2」完了を宣言したことについて「原子炉にはオフサイト(原発敷地外)に影響を与えるだけのエネルギーはない」と政府の見解を支持した上で「(ステップ2完了は)除染や廃炉に向けた大きな作業の一部に過ぎない」と指摘した。
ヤツコ委員長は18日に来日。福島第1、第2原発を視察した。初めて実際に事故現場を見た感想を「損傷の大きさに襟を正す思いで、作業員の仕事に感服した」と語った。
ステップ2完了については「望まれている元の状態に地域を戻すという大きな作業の全体の一部でしかない」と述べ、来春発足予定の原子力安全庁(仮称)について「独立性や規制が強化される新機関の設置は喜ばしく、全面的に協力する」と語った。
その後、細野豪志・原発事故担当相らと事故対応について協議。細野担当相は「米国支援のおかげでオンサイト(原発敷地内)の事故は収束した。今後30年以上かかる廃炉でも米国の力添えがあれば必ず乗り越えられる」と、今後の協力を求めた。【関東晋慈】』
・産経web---『IAEA事務局長、「事故収束」判断を評価 福島第1原発』
『国際原子力機関(IAEA)の天野之弥(ゆきや)事務局長が21日、枝野幸男経済産業相と会談し、政府による福島第1原発事故の収束宣言について「(原子炉は)不安定な状態を脱しており、収束の判断を尊重する。冷温停止を予定より前倒しで達成したことを評価する」と述べた。
事故収束宣言をめぐっては、佐藤雄平福島県知事らが「時期尚早」と不快感を示しているが、天野事務局長は「原子炉内の事故そのものと、外部の問題は分けて考えるべきだ。9月時点でも内部は基本的に安定していた」と指摘。そのうえで、「使用済み燃料の処理、炉の解体、除染といった(外部の)作業は長期的に続く。IAEAとしても協力したい」と話した。
また、定期点検中の原発に対するストレステスト(耐性検査)について、早ければ来年1月にもIAEAが結果を評価する方針を表明。評価にあたり「2、3の原発への訪問も必要」として、IAEAの担当者を現地に派遣する考えを明らかにした。』
・東京web---『放射能汚染樹皮1万6千トン堆積 製材業者、東電に賠償請求』
『福島県の製材所などで製材時に出る樹皮や木くずが放射性物質に汚染され、少なくとも1万6千トン程度が処分できず、保管されていることが21日、分かった。各地で牛肉の出荷停止に発展するなど問題となった汚染稲わらの2倍以上に相当する膨大な量。東京電力福島第1原発事故が原因とみられ、稲わら同様、他県に問題が拡大する恐れもある。
樹皮などは震災がれきと異なり、処理費用に国の補助はない。福島県木材協同組合連合会に加盟する約200社は東電に保管や処理費用の賠償請求を順次開始、年内に請求を終える方向。』
■12月20日(火、285日目)
・日経web---『福島原発1・2号機、地震直後に冷却状況誤認 排気遅れ誘発か』
『東日本大震災後、福島第1原子力発電所2号機の非常用冷却装置が実際はしばらく動いていたのに東京電力が「動作していない」と誤認していたことが19日分かった。一方、1号機は動いていないのに「動作している」と認識。判断ミスの連鎖が圧力を抜くベント(排気)作業の遅れにつながり、炉心溶融(メルトダウン)による水素爆発を早めた可能性がある。
事故直後、清水正孝前社長に代わって指揮を執っていた小森明生常務(元福島第1原発所長)が日本経済新聞に明らかにした。政府の事故調査・検証委員会(畑村洋太郎委員長)もベント作業の遅れの原因を調べており、こうした経緯に関心を寄せているもようだ。
2号機では地震直後、「原子炉隔離時冷却系」と呼ぶ非常用冷却装置を手動で起動したが1分後に自動停止。その後、手動起動を繰り返したが、外部電源喪失などにより午後4時36分以降、現場も本店も「(冷却装置は)動いておらず注水できなくなった」と判断した。
一方、1号機の別タイプの冷却装置「非常用復水器」は「動いていると認識していた」(小森常務)。現場も本店も全電源喪失時に自動停止する仕組みを知らなかった。ベントは「(冷却できている1号機より)2号機が先になるという認識を持っていた」。1、2号機のベント作業は同時にできない構造という。
ところが12日午前2時55分、2号機の非常用冷却装置が動いているのを作業員が確認したため、原子炉内部の圧力が高まっていた1号機優先に方針転換。午後2時半に1号機のベントを実施したが手遅れで、12日午後3時36分に水素爆発した。』
■12月19日(月、284日目)
・共同通信---『細野氏、「事故収束」の表現陳謝 問題化の可能性も』
『東京電力福島第1原発が冷温停止状態に達したとして政府が宣言した「事故収束」について、細野豪志原発事故担当相は18日、佐藤雄平福島県知事らとの会談後、記者団に「『収束』という言葉を使うことで事故全体が収まったかのような印象を持たれたとすれば、私の表現が至らず、反省している」と陳謝した。
野田佳彦首相が記者会見し、国内外に向けてアピールした事故収束の表現が不適切だったと認めるもので、今後問題化する可能性もある。
佐藤知事は細野氏らとの会談で「収束という言葉自体、県民は『福島県の実態を本当に知っているのか』と思っている」と述べて不快感を示した。』
・asahi.com---『原発で怒鳴る菅氏、克明に 池田前経産副大臣が手記』
『東京電力福島第一原発事故の際、政府の現地対策本部長だった池田元久前経済産業副大臣が3月11日から5日間を手記にまとめた。当時の菅直人首相が震災翌日に原発を視察し、東電社員を怒鳴り散らした様子などが細かく描かれている。
3月12日午前4時すぎ、対策本部に菅氏の原発視察の連絡が入った。池田氏は「指揮官は本部(官邸)にとどまるべきだ。どうしても来るなら万が一のことがあってはならない」と考え、現地対策本部があるオフサイトセンターへの変更を打診。だが原子力安全・保安院は菅氏側に伝えなかったという。
菅氏は原発に到着後、待機用のバスに乗り込むと隣に座った武藤栄東電副社長(当時)に「なぜベント(排気)をやらないんだ」と迫った。池田氏は「怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいてもよく分からなかった」と振り返った。
菅氏は原発に入ると、作業員が行き交う廊下で「何のために俺がここに来たと思っているのか」と怒鳴り、吉田昌郎所長(当時)はベントの指示に「決死隊をつくってでもやります」と答えた。菅氏の口調がきついため、池田氏は同行した寺田学首相補佐官(同)に「総理を落ち着かせてくれ」と頼んだ。池田氏は「指導者の資質を考えざるを得なかった」という。
オフサイトセンターは「仮眠設備がなく、机に突っ伏して睡眠を取る。食糧はレトルトカレーとご飯1日2食だけ」だったという。対策本部は15日に福島県庁への移転が決まり、池田氏は5月に病気で入院し、本部長を代わった。(磯貝秀俊)』
→池田氏は元新聞記者らしい。その手記を全文読みたいものだが、まだどこにも無いようだ。どういう形ででてくるのか。
・毎日jp---『福島第1原発:損賠支援 政府保証枠4兆~5兆円規模へ』
『政府は24日、12年度予算案で、東京電力福島第1原発事故に伴う損害賠償を支援する原子力損害賠償支援機構への政府保証枠を現在の2兆円から4兆~5兆円規模に拡大する方針を決めた。
機構は東電に出資や融資ができ、その原資として、機構が銀行から資金を借りる時に政府は保証を付けている。東電は今後、福島第1原発の廃炉費用などが膨らむ見通しで、政府保証枠が拡大されると機構は銀行から資金を借りやすくなり、東電の資金需要に柔軟に対応できる。予算案の国会提出までに具体的な保証枠を決定する。
政府は保証枠とは別に機構に対して5兆円の交付国債の発行枠を持つが、機構が交付国債を現金化して得る資金は賠償にしか使えず、廃炉などの費用には充てられない。【野原大輔】』
■12月24日(土、289日目)
・CNN---『ニュージーランドでM5.8の地震 負傷者も』
『ニュージーランドのクライストチャーチ近くで23日、マグニチュード(M)5.8の地震が2回発生した。米地質調査所(USGS)が伝えた。
1回目のM5.8の地震1 件が起きた約8分後にM5.3の地震1 件が発生。その約1時間20分後に再びM5.8の地震が発生した。
同国当局の発表によると、この地震1 件の影響で少なくとも2人が負傷したという報告があるという。また、クライストチャーチ空港が閉鎖された。
最初の地震の震源地はクライストチャートから東北東へ約26キロの地点で、震源の深さは約4.7キロ。2回目の震源地はクライストチャーチから約15キロ離れた地点で深さは4.9キロだった。
クライストチャーチでは2月に大規模な地震が発生し、多数の死者が出ている。』
→東日本大震災にかき消されてしまったが、クライストチャーチでは今年2月、M6.3の地震があり、日本人留学生を含む182人が死亡している。大地震後、数年内に『最大マグニチュードマイナス1』程度の余震が起きる可能性が高いというが正にその通りだ。スマトラでは本震の5年半後にM7.5の大規模な余震が発生している。首都圏直下地震の発生確率は今後30年で98%。東北大震災発生により10数%確率が上がったという。まだまだ備えは必要だ。
・共同通信---『水深5千メートルの泥にセシウム 東北の太平洋、原発放出』
『東日本大震災の震源域である東北地方の太平洋海底で、水深約5千メートルの深海の泥から、東京電力福島第1原発事故で放出されたとみられる放射性セシウムが検出されたことが、産業技術総合研究所(茨城県つくば市)などの研究グループの23日までの調査で分かった。
セシウムが検出された泥は水深約120メートルから約5千メートルまで広く分布。全体として高濃度ではないが、測定結果についてグループの池原研・産総研副研究部門長は「おおむね、福島県に近いほど濃度が高い傾向にある」としている。』
■12月23日(金、288日目)
・日経web---『原発事故、緊急事態宣言は2時間後 事故調の中間報告』
『東京電力福島第1原子力発電所に関する政府の事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎東京大名誉教授)が26日に発表する中間報告の概要が明らかになった。3月11日夜に菅直人前首相が発令した「原子力緊急事態宣言」で、東電の通報から発令まで2時間余りかかり、政府が即断できなかった経緯を記載。避難指示への影響があったのかどうか、今後調べる。政府の情報提供の遅れのほかに、東電の事故対応の混乱ぶり、津波への備え不足などを指摘する内容になっている。
緊急事態宣言は災害時の避難指示などに欠かせない国の手続き。原子力災害対策特別措置法では経済産業相の報告後、直ちに首相が宣言すると定めている。
東電は原子炉の水位が確認できなくなり、11日午後4時45分に経産省原子力安全・保安院に通報。5時ごろから当時の保安院長が官邸で状況を説明した。菅前首相は詳しい説明を求め、東電幹部も官邸に呼び出した。5時42分から海江田万里元経産相が報告したが、菅前首相は6時12~17分に与野党首脳会談に出席。結局、緊急事態宣言を発令したのは7時3分で、避難指示が出たのは9時23分だった。
政府が原発の状況把握に手間取り、宣言まで2時間かかった。事故調は、当時、首相補佐官だった細野豪志環境相らのヒアリングを実施した。中間報告では事実関係の記載にとどめるが、年明けに菅前首相らもヒアリングし、避難指示への影響などを評価し、来夏の最終報告で全体像を描く。
菅前首相は日本経済新聞社の取材に対し、「原発事故以外の災害対応も求められる状況下で、できる限りの対応をとった。緊急事態宣言やその後の避難指示などが特段遅れたとは考えていない」と書面で回答した。
中間報告では緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)が住民の避難に活用できなかったことを問題視。放射性物質の飛散を予測した文部科学省と原子力安全委員会、保安院がいずれも公開責任があると考えず、予測の公表が遅れ、避難指示に生かせなかったとしている。
このほか東電の事前想定の甘さも挙げた。震災と原発事故が同時に起きる複合災害を考えず、中越沖地震での柏崎刈羽原発の被災の教訓が生きなかった。全電源喪失を想定した訓練をせず、10メートル超の津波を試算していたのに浸水対策もしなかった。
東電の事故対応では過酷事故を想定した手順書や連絡体制などに不備があり、1号機の非常用復水器や3号機の高圧注水系などでの冷却が滞ったことなどを指摘。津波による浸水で電源を喪失したが、地震で安全上重要な機器が機能を失った証拠はないとしたうえで、最終判断には原発内での調査が必要とした。』
・毎日jp---『福島第1原発:「損傷恐れ停止」 3号機高圧注水系』
『東京電力は22日、福島第1原発3号機の原子炉を冷やす高圧注水系(HPCI)を運転員が停止させた理由について、振動が大きくなり損傷が懸念されたためと発表した。この対応について東電は「妥当だった」としている。経済産業省原子力安全・保安院から指示を受け、調査結果を分析、公表した。
3号機では「原子炉隔離時冷却系(RCIC)」が地震翌日の3月12日午前11時36分に停止し、原子炉水位が低下。バッテリー(蓄電池)で駆動するHPCIを自動起動させた。しかし、原子炉の圧力が操作手順書の基準以下になって性能が低下し、振動も大きくなったことから、運転員が壊れて放射性物質が漏れるのを懸念。代わりの注水方法の準備が進んでいたことから、HPCIを停止し代替注水に切り替えられると判断したという。所長には停止後に報告された。
だが実際には注水のために原子炉圧力を低下させる弁が、電源喪失で開けず、代替注水ができず、炉心溶融を招いた。HPCIをめぐっては、政府の事故調査・検証委員会の調べで、現場が独断で止めたことが分かっている。【岡田英、久野華代】』
・東京web---『3号機爆発前日 代替準備前に注水停止』
『東京電力は二十二日、福島第一原発事故発生直後の三月十一~十五日の事故対応状況をまとめた報告書を公表した。3号機では、注水に使う装置を切り替える際、準備が整っていないのに、片方の装置を停止させた結果、六時間も注水が止まる事態を生んでいたことを明らかにした。この空白の時間が炉心溶融につながった可能性がある。
注水が中断したのは三月十三日未明。圧力容器からの蒸気の力を使って水を送る装置(HPCI)を使っていたが、動力源の蒸気が乏しくなってきたことから、ディーゼルポンプ(DDFP)への切り替えを決め、HPCIを手動停止させた。
しかし、原子炉内は過熱によって高圧になっており、DDFPの力では注水できない状態だった。本来は、炉内の圧力を下げてから切り替えるべきだが、圧力を逃がす弁が開かず、注水できない状態が続いた。HPCIに戻そうとしたが、既に起動するための電源が失われていた。
弁の操作に必要な直流電源が失われていたため、運転員たちは原発内の自動車からバッテリーを集め、弁の電線をつなぎ替え、約六時間後に弁を開けた。
DDFPによる注水が始まったが、核燃料の溶融は進んでおり、3号機は翌十四日午前に水素爆発した。
東電の松本純一原子力・立地本部長代理はHPCIを止めた理由を、運転員たちは「当時、HPCIのタービンの回転が操作手順書より遅く、いつ止まるかわからない」などと懸念していた、と説明。判断は妥当だったと強調した。
HPCIの操作は政府の事故調査・検証委員会も着目しているが、今月二十六日の同委の中間報告直前に、東電が自ら説明した。』
■12月22日(木、287日目)
・東京web---『福島第一 炉内確認まで10年 工程表発表16年度から水棺』
『政府と東京電力は二十一日、福島第一原発1~4号機の廃炉に向けた工程表を発表した。原子炉内の溶けた核燃料の状態を把握するだけでも十年近くを要し、燃料の取り出しや、建屋の解体まで含めると最長四十年かかるとする内容だ。
工程表は三期に分かれる。第一期は、原子炉建屋内のプールに入った使用済み核燃料の取り出し開始までの二年間。十年後までの第二期は、格納容器に溶け落ちた核燃料の取り出しに着手するまで。第三期は、核燃料の回収を終え、建屋解体が終わるまでの三十~四十年後までとした。
使用済み核燃料の取り出しは、最も多く入っている4号機から始め、3、1、2号機の順で行う。
原子炉内の核燃料取り出しで焦点となるのは、燃料から出る高い放射線を遮るため格納容器を水で満たし、圧力容器を水没させる「水棺」が実現できるかどうか。1~3号機とも格納容器は損傷しており、損傷場所を調べて補修し、二〇一六年度から水張りを実現させる、としている。
圧力容器内の核燃料の状態が映像で確認できるのは水張りが終わった後になる。放射線に加え、現在の容器内には濁った汚染水があるからだ。
溶けた核燃料の取り出しには、高線量の環境でも遠隔操作できる装置、核燃料を入れる特殊な容器の開発も必要となる。
こうした技術開発が進まなければ、工程表通りにいかない恐れもある。
枝野幸男経済産業相は「否定しない」と認めつつ、「実現可能な工程表と目標年限を定めた。実現していく十分な可能性がある」と強調した。』
■12月21日(水、286日目)
・時事通信---『10年以内に溶融燃料取り出し=廃炉終了、最長40年―工程表を策定―福島事故』
『東京電力福島第1原発事故で、政府・東電中長期対策会議の初会合が21日開かれ、原子炉内で溶けた核燃料の取り出しを10年以内に始め、30~40年後の廃炉完了を目指すとした工程表が策定された。
工程表は廃炉計画を3期に分けた。第1期は核燃料プールからの使用済み燃料取り出し開始までで2年以内、第2期は炉内の溶融燃料取り出し開始までで10年以内とされ、第3期の廃炉作業終了は30~40年後とされた。
溶融燃料の取り出しでは、2015年度末ごろから格納容器下部を補修し、水で満たす冠水作業に着手。19年度半ばごろから圧力容器内の本格調査に入り、21年末までに取り出しを始めるとした。』
・毎日jp---『東日本大震災:福島第1原発事故 NRC委員長が視察 ステップ2「作業の一部」』
『米原子力規制委員会(NRC)のグレゴリー・ヤツコ委員長は20日、東京都内で記者会見し、日本政府が東京電力福島第1原発の収束へ向けた工程表の「ステップ2」完了を宣言したことについて「原子炉にはオフサイト(原発敷地外)に影響を与えるだけのエネルギーはない」と政府の見解を支持した上で「(ステップ2完了は)除染や廃炉に向けた大きな作業の一部に過ぎない」と指摘した。
ヤツコ委員長は18日に来日。福島第1、第2原発を視察した。初めて実際に事故現場を見た感想を「損傷の大きさに襟を正す思いで、作業員の仕事に感服した」と語った。
ステップ2完了については「望まれている元の状態に地域を戻すという大きな作業の全体の一部でしかない」と述べ、来春発足予定の原子力安全庁(仮称)について「独立性や規制が強化される新機関の設置は喜ばしく、全面的に協力する」と語った。
その後、細野豪志・原発事故担当相らと事故対応について協議。細野担当相は「米国支援のおかげでオンサイト(原発敷地内)の事故は収束した。今後30年以上かかる廃炉でも米国の力添えがあれば必ず乗り越えられる」と、今後の協力を求めた。【関東晋慈】』
・産経web---『IAEA事務局長、「事故収束」判断を評価 福島第1原発』
『国際原子力機関(IAEA)の天野之弥(ゆきや)事務局長が21日、枝野幸男経済産業相と会談し、政府による福島第1原発事故の収束宣言について「(原子炉は)不安定な状態を脱しており、収束の判断を尊重する。冷温停止を予定より前倒しで達成したことを評価する」と述べた。
事故収束宣言をめぐっては、佐藤雄平福島県知事らが「時期尚早」と不快感を示しているが、天野事務局長は「原子炉内の事故そのものと、外部の問題は分けて考えるべきだ。9月時点でも内部は基本的に安定していた」と指摘。そのうえで、「使用済み燃料の処理、炉の解体、除染といった(外部の)作業は長期的に続く。IAEAとしても協力したい」と話した。
また、定期点検中の原発に対するストレステスト(耐性検査)について、早ければ来年1月にもIAEAが結果を評価する方針を表明。評価にあたり「2、3の原発への訪問も必要」として、IAEAの担当者を現地に派遣する考えを明らかにした。』
・東京web---『放射能汚染樹皮1万6千トン堆積 製材業者、東電に賠償請求』
『福島県の製材所などで製材時に出る樹皮や木くずが放射性物質に汚染され、少なくとも1万6千トン程度が処分できず、保管されていることが21日、分かった。各地で牛肉の出荷停止に発展するなど問題となった汚染稲わらの2倍以上に相当する膨大な量。東京電力福島第1原発事故が原因とみられ、稲わら同様、他県に問題が拡大する恐れもある。
樹皮などは震災がれきと異なり、処理費用に国の補助はない。福島県木材協同組合連合会に加盟する約200社は東電に保管や処理費用の賠償請求を順次開始、年内に請求を終える方向。』
■12月20日(火、285日目)
・日経web---『福島原発1・2号機、地震直後に冷却状況誤認 排気遅れ誘発か』
『東日本大震災後、福島第1原子力発電所2号機の非常用冷却装置が実際はしばらく動いていたのに東京電力が「動作していない」と誤認していたことが19日分かった。一方、1号機は動いていないのに「動作している」と認識。判断ミスの連鎖が圧力を抜くベント(排気)作業の遅れにつながり、炉心溶融(メルトダウン)による水素爆発を早めた可能性がある。
事故直後、清水正孝前社長に代わって指揮を執っていた小森明生常務(元福島第1原発所長)が日本経済新聞に明らかにした。政府の事故調査・検証委員会(畑村洋太郎委員長)もベント作業の遅れの原因を調べており、こうした経緯に関心を寄せているもようだ。
2号機では地震直後、「原子炉隔離時冷却系」と呼ぶ非常用冷却装置を手動で起動したが1分後に自動停止。その後、手動起動を繰り返したが、外部電源喪失などにより午後4時36分以降、現場も本店も「(冷却装置は)動いておらず注水できなくなった」と判断した。
一方、1号機の別タイプの冷却装置「非常用復水器」は「動いていると認識していた」(小森常務)。現場も本店も全電源喪失時に自動停止する仕組みを知らなかった。ベントは「(冷却できている1号機より)2号機が先になるという認識を持っていた」。1、2号機のベント作業は同時にできない構造という。
ところが12日午前2時55分、2号機の非常用冷却装置が動いているのを作業員が確認したため、原子炉内部の圧力が高まっていた1号機優先に方針転換。午後2時半に1号機のベントを実施したが手遅れで、12日午後3時36分に水素爆発した。』
■12月19日(月、284日目)
・共同通信---『細野氏、「事故収束」の表現陳謝 問題化の可能性も』
『東京電力福島第1原発が冷温停止状態に達したとして政府が宣言した「事故収束」について、細野豪志原発事故担当相は18日、佐藤雄平福島県知事らとの会談後、記者団に「『収束』という言葉を使うことで事故全体が収まったかのような印象を持たれたとすれば、私の表現が至らず、反省している」と陳謝した。
野田佳彦首相が記者会見し、国内外に向けてアピールした事故収束の表現が不適切だったと認めるもので、今後問題化する可能性もある。
佐藤知事は細野氏らとの会談で「収束という言葉自体、県民は『福島県の実態を本当に知っているのか』と思っている」と述べて不快感を示した。』
・asahi.com---『原発で怒鳴る菅氏、克明に 池田前経産副大臣が手記』
『東京電力福島第一原発事故の際、政府の現地対策本部長だった池田元久前経済産業副大臣が3月11日から5日間を手記にまとめた。当時の菅直人首相が震災翌日に原発を視察し、東電社員を怒鳴り散らした様子などが細かく描かれている。
3月12日午前4時すぎ、対策本部に菅氏の原発視察の連絡が入った。池田氏は「指揮官は本部(官邸)にとどまるべきだ。どうしても来るなら万が一のことがあってはならない」と考え、現地対策本部があるオフサイトセンターへの変更を打診。だが原子力安全・保安院は菅氏側に伝えなかったという。
菅氏は原発に到着後、待機用のバスに乗り込むと隣に座った武藤栄東電副社長(当時)に「なぜベント(排気)をやらないんだ」と迫った。池田氏は「怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいてもよく分からなかった」と振り返った。
菅氏は原発に入ると、作業員が行き交う廊下で「何のために俺がここに来たと思っているのか」と怒鳴り、吉田昌郎所長(当時)はベントの指示に「決死隊をつくってでもやります」と答えた。菅氏の口調がきついため、池田氏は同行した寺田学首相補佐官(同)に「総理を落ち着かせてくれ」と頼んだ。池田氏は「指導者の資質を考えざるを得なかった」という。
オフサイトセンターは「仮眠設備がなく、机に突っ伏して睡眠を取る。食糧はレトルトカレーとご飯1日2食だけ」だったという。対策本部は15日に福島県庁への移転が決まり、池田氏は5月に病気で入院し、本部長を代わった。(磯貝秀俊)』
→池田氏は元新聞記者らしい。その手記を全文読みたいものだが、まだどこにも無いようだ。どういう形ででてくるのか。