東日本大震災から一年が過ぎた。楽天ブックスに予約していた本日発売の『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』いわゆる民間事故調の報告書が昼前に届く。報告書は400ページ強。通勤途中に読める大きさではないので読みきるまでには暫くかかりそうだ。別便で東京新聞原発事故取材班の『レベル7 福島原発事故、隠された真実』も届く。
この備忘録もまさか1年も続くとは思わなかった。3月12日~15日頃まで原発が最大のピンチだった。そのころのブログを見返してみると全然危機感のない内容が綴られている。本当に危機は隠されていたのだと改めて思う。政治的観点からは敢えてその時点では公表する必要性は無かったのかもしれないが。夏頃、秋頃、何が報道されていたのかとランダムにブログを読み返してみた。どの時点でも看過できない(記録に留めておきたい)様々なニュースが出てきている。本当に大変な1年だったのだと思う。
東電も原発も罪深いものだ。
東電のHPには14時に社長名で次の文章が掲載された。
=====
当社福島第一原子力発電所の事故発生から1年にあたって
東北地方太平洋沖地震の発生から1年にあたり、改めて、震災によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
当社福島第一原子力発電所の事故により、発電所周辺地域の皆さまをはじめ、福島県の皆さま、さらには広く社会の皆さまに、現在も大変なご迷惑とご心配をおかけしていることを、改めて心より深くお詫び申し上げます。
併せまして、事故発生以降この1年間、国内外を問わず、関係する数多くの皆さまに多大なるご協力とご支援をいただき、改めて心より深く感謝申し上げます。
当社は、責任の重さと果たすべき役割を常に意識し、福島第一原子力発電所の安定状態の維持、中長期にわたる廃止措置等への取り組みを、何よりも安全に十分配慮しながら確実に進めてまいります。そして、事故により被害にあわれた方々に寄り添った迅速・適切な賠償の実現に、当社グループを挙げて、真摯に取り組んでまいります。
3月11日という日を、当社グループ社員一人ひとりがしっかりと心に刻み、安全を最優先に、全身全霊をもって課題の解決に努めてまいります。
平成24年3月11日
東京電力株式会社
取締役社長 西澤俊夫
=====
■3月11日(日、367日目)
・東京web---『人為ミスで原発事故拡大 福島1年、IAEA天野氏』
『【ウィーン共同】国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長は10日、東京電力福島第1原発事故から1年を前に共同通信と単独会見し、事故拡大の背景に経済産業省原子力安全・保安院の東京電力に対する監督不足など「数々の人為的ミスがあった」と強調した。
また、福島事故で世界の人々が原子力発電に「不安を感じたのは間違いない」と述べ、日本での新たな原発建設の可能性についても「国内世論が受け入れるような雰囲気にはないと感じている」と話した。
IAEAは原子力の平和利用促進を設立目的としており、事務局長として踏み込んだ発言。』
■3月10日(土、366日目)
10日午前2時25分ごろ、茨城県で震度5弱の地震があった。茨城県高萩市で震度5弱。
■3月9日(金、365日目)
政府が福島第1原発事故への対応を行った原子力災害対策本部の議事概要などを公表したというが、それらは何処で見ることができるのか。何処で入手できるのか。入手する手段まで報道して欲しいものだ。と、思いながら捜していたら首相官邸のサイトで見つかった。ただ首相官邸のHPからリンクを辿って探し出すのはなかなか難しい。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/genshiryoku/index.html
・日経web---『原発事故「戦争だ」 政府混迷、議事概要で明らかに 』
『東日本大震災に対処する会議の議事録がなかった問題で、政府は9日、福島第1原子力発電所の事故を受けた原子力災害対策本部などの議事概要を公表した。当時の閣僚らは「米スリーマイル事故が3つ重なった」「統率がとれていない」などと発言。情報不足から意見がかみ合わず、政府の意思決定は混迷した。突然の大地震と原発事故の前に国の備えが機能不全に陥った様子がうかがえる。不十分な連絡体制は復旧を急ぐ現場と、政府・東京電力本店が再三衝突する形で表れた。
震災当日の昨年3月11日夜に開いた原子力災害対策本部の初会合で、松本龍防災担当相は「官邸に情報が入っていない」と発言。1号機の水素爆発後の同13日には、海江田万里経済産業相が「深刻な破損はない旨報告を受けている」と述べた。
同14日には菅直人首相が「避難範囲は20キロメートルで十分」との見方を説明したが、玄葉光一郎国家戦略相が「違う意見もある」と反論。同戦略相は同17日にも「これは戦争だ。3つのスリーマイル事故が重なったようなものだ」と語った。同15日は片山善博総務相が「消防活動への要請も断片的かつ子供っぽい」「統率がとれていない」と悲鳴を上げた。
昨年7月19日、平野達男復興担当相は「除染をしても簡単には戻れない高線量の地域」に言及。「福島県双葉町などは帰還できないことを覚悟している」と述べた。
政府・東電統合対策本部の議事概要では、現場との衝突も描かれている。同11月2日には、核分裂が続く再臨界の可能性を発表した東電本店に対し、吉田昌郎所長が「作業員がおびえる」と主張。再臨界は起きていないとの立場から「(会見できちんと説明しないなら)明日の作業を全てストップさせる」と述べた。
累積100ミリシーベルト超の放射線を浴びた作業員は5年間作業できないとの見解を厚生労働省が示したとする報道を受け、同4月29日の会議で吉田所長は「人を割けなくなり、収束シナリオが厳しくなる」と指摘。同5月に予定していた厚労相の視察を「本部が認めても発電所長としては拒否する」と反発した。(肩書は当時)』
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819595E2EBE2E0908DE2EBE2E1E0E2E3E09F9FEAE2E2E2
・毎日jp---『<福島第1原発>炉心溶融の可能性指摘 対策本部議事概要 毎日新聞 3月9日(金)11時49分配信』
『政府は9日、東京電力福島第1原発事故への対応を行った原子力災害対策本部の議事概要などを公表し、事故が発生した昨年3月11日午後7時すぎに開かれた第1回会議から炉心溶融(メルトダウン)の可能性が指摘されていたことが明らかになった。翌12日正午すぎからの第3回会議でも炉心溶融を懸念して避難範囲の見直しに言及した閣僚もおり、政府が早い段階から炉心溶融の可能性を認識していたことがうかがえる。
第1回会議では、全電源が失われ、電池で動く原子炉冷却装置だけが動いていることが指摘され、この状態が「8時間を超え、炉心の温度があがるようなことになるとメルトダウンに至る可能性もあり」と報告された。ただし、この時点では放射性物質の外部放出が確認されていなかったことから「直ちに特別の行動は不要」との発言もあった。
第3回会議では、玄葉光一郎国家戦略担当相(当時)が「メルトダウンの可能性がある。避難地域(当時は半径10キロ圏内)を考え直す必要はないのか」と懸念を示し、菅直人首相(同)も「楽観はできない」と発言。その約3時間後に、1号機で最初の水素爆発が発生した。
その後、12日夜に開かれた第4回会議では、海江田万里経済産業相(同)が1号機の中央操作室や敷地境界で放射線量が大幅に上昇していることを報告。菅氏が「チェルノブイリ型(の水蒸気爆発)はあり得るのか。スリーマイルのようなメルトダウンがあり得るのか」と問いかける場面もあった。
一方、実際は原子炉圧力容器や格納容器が破損し、核燃料によって汚染された水が外部に漏れ出す事態に発展したにもかかわらず、13日午前10時すぎの第5回会議では、海江田氏が「1号機で爆発が起きたが、原子炉は頑丈な鋼鉄製の格納容器に納められており、深刻な破損はない旨報告を受けている」と話すなど、被害を過小に見積もっていたことを示す発言もみられる。また、13日の第6回会議では、菅氏が「戦後における我が国最大の危機である」と発言した。
政府は当時、議事を記録していなかったことへの批判を受け、会議の出席者のメモや関係者への聴取などをもとに議事概要を作成した。【西川拓】』
http://mainichi.jp/select/science/news/20120309k0000e040175000c.html
・日経web---『炉心溶融の恐れ、震災当日に指摘 政府対策本部 福島第1原発 』
『政府は9日、東京電力福島第1原子力発電所の事故対応にあたった原子力災害対策本部の未作成だった議事録に代わる議事概要を公表した。東日本大震災当日の昨年3月11日夜の第1回会議で「(冷却停止が)8時間を超え炉心の温度が上がるようなことになると、炉心溶融(メルトダウン)に至る可能性もある」と報告されていたことが分かった。発言者は確認できないが、事故直後から炉心溶融を念頭にした対応を迫られていた。
公表したのは昨年3月11日夜から同12月26日までの23回分。出席者は首相と関係閣僚、班目春樹原子力安全委員長ら。議事録が作成されていなかったため、事務局員のメモなどをもとに、主な発言の概要をまとめた。ただ、18回目までは録音が残っておらず、当時の会議の様子がどこまで忠実に反映されているかはわからない。
3月11日午後7時3~22分の第1回会議では、放射性物質の漏洩は確認されていないとして「直ちに特別の行動は不要」と報告。ただ、海江田万里経済産業相(当時)が「10キロメートル範囲の人を、どこかの時点で避難させる必要があるかもしれない」と言及、「日本で初めてのことで波紋も呼ぶ」としていた。
北沢俊美防衛相(同)は「発電機は何機あればいいのか」と発言し、ルース駐日米大使や米軍から支援の申し出があったことを報告した。また、松本龍防災担当相(同)が「官邸に情報が入っていない」と発言するなど、当時の官邸の混乱ぶりがうかがえる。
同12日の第3回会議では、菅直人首相(同)から「1号機などから住民には健康被害を及ぼすことはない微量な放射能が流出している」と説明。玄葉光一郎国家戦略担当相(同)が「メルトダウンの可能性がある。避難地域は10キロメートルでいいのか。考え直す必要はないのか」と発言していた。』
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819595E2EBE2E2EA8DE2EBE2E1E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2
■3月8日(木、364日目)
・毎日jp---『福島第1原発:前消防総監、部下に危険な命令…苦悩今も』
『昨年3月19日未明、東京電力福島第1原発3号機建屋への放水作業を成功させた東京消防庁の新井雄治前消防総監(60)が毎日新聞の単独インタビューに応じ、「部下の安全を確保できないのに命令をかけたのは許されないと今も思う。本来あってはならないことだった」と、死と隣り合わせの命令を下した苦悩を打ち明けた。そのうえで、放射線を防護できる免震重要棟の存在を知らされていなかったことを痛恨事として挙げ、「情報共有という阪神淡路大震災の教訓が生かされていなかった」と述べた。【千代崎聖史】
新井氏は昨年7月に総監を退任。震災から1年を機にインタビューに応じた。
新井氏によると、部隊派遣の発端は、3月17日午後6時ごろの意外な内容の電話だったという。知事部局からの依頼で、石原慎太郎都知事に電話すると、「(菅直人)総理が、東京消防庁があまり協力してくれないと言っている。どうなんだい」と言われ、「16日に特殊災害対策車を出したり既に協力している」と説明。知事は「もう一度総理と連絡を取る」と言って、電話はいったん切れた。
知事から再度の電話があり、「政府も非常に混乱している。ただ、他に方法がない。やってくれるなら政府としてお願いしたいと言っているがどうか」と聞かれたため、「準備はしてるので部隊を出します」と回答。首相からの出動要請という超法規的な部隊派遣が決まった。
17日朝、自衛隊ヘリの放水が芳しい効果を上げなかった時点で、新井氏は出番を確信。東京・荒川の河川敷で屈折放水塔車を使った大規模な放水訓練を始めさせていた。「15分あれば水を出せるとの報告が夕刻には届いていた。事前に被ばく対策のアドバイスを受けていた特殊災害支援アドバイザーの山口先生(芳裕・杏林大医学部教授)の存在も大きかった。最大の懸念は4号機の情報が全くなく、爆発の可能性を否定できないことだった」
それでも、派遣命令を下したことについて新井氏は「あの危機的状況で、選択の余地はなかった。ただ、部下を安全に活動させるのが私の最大の責任。命令をかけたのはある意味、任務放棄だった。本当に矛盾だと。その後もずっと感じている」と振り返った。
また、免震重要棟について「総務省消防庁は存在すら知らず、我々にも伝わらなかった。知っていれば現場での作業の拠点にできた。後で抗議し、総務省も初めて知ったぐらい。阪神淡路大震災の反省から官邸に危機管理センターを作り、情報共有がされるはずだったのにできていなかった。全体を仕切る人がいなかったことが理由だと思うが、最大の反省材料だ」と述べた。
◇東京消防庁の放水作業
東京電力福島第1原発3号機の使用済み核燃料プールを冷却するため、東京消防庁は11年3月18日、ハイパーレスキュー隊を派遣。遠距離大量送水装置「スーパーポンパー」と「屈折放水塔車」を組み合わせた「無人放水」を試みた。岸壁が地震で崩壊し、ホース延長車が入れなかったため、隊員らは長さ50メートル、重さ100キロのホース7本を手作業でつなぐなどした。放射線を浴びるのを最小限に抑えるため、約50人の隊員が交代しながらつなぎ合わせ、19日未明から放水を実現させた。毎日新聞 2012年3月8日 15時00分』
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120308k0000e040209000c.html
■3月7日(水、363日目)
・産経web---『首都圏の地震、大震災前の3倍に増加 文科省「M7いつ起きても…」』
『首都直下地震が想定されている南関東の地震活動が東日本大震災後に活発化し、地震の発生頻度は現在も大震災前の約3倍と高い状態となっていることが7日、文部科学省の特別プロジェクト研究で分かった。研究チームはマグニチュード(M)7程度の首都直下地震について「いつ発生しても不思議ではない」としている。
南関東で起きたM3以上の地震の数を大震災の前後半年間で比較したところ、大震災後は約7倍に増加。徐々に減少しているが、現在も約3倍で「地震災害発生リスクは現在も高い」との見解を示した。
国はM7程度の首都直下地震の発生確率を30年以内に70%としている。研究チームは確率がどの程度上昇したかは示していない。
また、首都直下地震のひとつである東京湾北部地震の揺れは、従来想定の震度6強を上回る震度7との推定を正式に公表。沈み込むフィリピン海プレート(岩板)と陸のプレートとの境界が従来想定より約10キロ浅いことが分かったためで、震度7は東京23区の湾岸部や多摩川河口付近と予想した。
国が首都直下地震の発生確率の計算で評価対象としている過去の5つの地震について、震源域の調査結果も公表。明治27年の明治東京地震はフィリピン海プレート内部または太平洋プレート上面▽明治28年の茨城県南部地震は太平洋プレート内部▽大正10年の茨城県南部地震、翌年の浦賀水道付近の地震はフィリピン海プレート内部と分かった。
研究プロジェクトには東大地震研究所、京都大防災研究所、防災科学技術研究所(茨城県つくば市)が参加した。』
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120307/dst12030714250010-n1.htm
■3月6日(火、362日目)
共同通信---『福島原発の汚染水、依然流出か 海のセシウム濃度下がらず』
『東電福島第1原発周辺の海で放射性セシウムの濃度の下がり方が遅いとの分析結果を、気象研究所の青山道夫主任研究官らが6日までにまとめた。事故で発生した高濃度の放射性物質を含む汚染水が、見えない部分から漏れ続けている可能性があるという。
事故後の昨年4月、海への汚染水の流出が発覚し、東電は地中に薬剤を入れて止めた。東電は「この3~4カ月は濃度低下が緩やかだが、昨年3月より大きく下がっている。11月ごろから下がりきったところで推移しており、漏えいがあるとは考えていない」としている。
青山さんらは、東電が測定した原発付近の海水の放射性セシウム濃度を分析。』
http://www.47news.jp/CN/201203/CN2012030601002005.html
・読売online---『セシウム流出量、東電推計の6倍…海洋研試算』
『東京電力福島第一原子力発電所の事故で、原発から海に流出した放射性セシウム137の総量は最大で5600テラ・ベクレル(1テラは1兆)に上るとの試算を、海洋研究開発機構がまとめた。
東電の推計量の約6倍にあたる。6日に開かれた日本原子力研究開発機構の研究報告会で発表した。
海洋研究開発機構の宮沢泰正主任研究員らは、福島県の沿岸など約500地点で採取した海水のセシウム濃度や、潮の流れなどをもとに、昨年5月7日までにセシウムが移動した経路を模擬計算した。その結果から、海に流出した高濃度汚染水のセシウムの総量は、4200~5600テラ・ベクレルと算出された。このほか、同原発から大気中に放出され、雨などによって海に沈着したセシウムは1200~1500テラ・ベクレルになった。(2012年3月6日21時29分 読売新聞)』
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120306-OYT1T01065.htm
■3月5日(月、361日目)
大震災からもうすぐ1年を迎える。TVもその他メディアも特集記事が多い。
ダイヤモンドオンラインには海江田経産大臣のインタービューが載っている。『一番のピンチはどのタイミングだったのか』の問に『やっぱり15日だろう。本当に神に祈る気持ちだった。「なんとか収まってくれ」と。あのとき、得体の知れない怪物と人類が戦っていて、押しまくられていた。1号機から4号機まで水素爆発し、目の前が真っ白になった。次から次へと、事態が悪化していく情報が入ってきて、本当に打つ手がないのではないかと思った。』
産経ニュースはNYタイムズの記事を紹介。
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ニューヨーク・タイムズ(米国)
不信の連鎖、米国の懸念裏付け
「壊れた原子炉をめぐる混沌の中、(当事者の)信頼は欠如し、狂乱めいた電話のやりとりが続いた」
2月28日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、民間の有識者でつくる「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」の調査報告書を紹介する記事で、事故当時の菅直人政権の対応の混乱ぶりを強調した。
記事は、事故の最も深刻な初期段階で、「日本のリーダーたちは、原発が実際にどれだけのダメージを受けているか把握しておらず、あまつさえ国民へのリスクを軽視しようとさえした」と厳しく批判する。
「主要な登場人物たちの間の信頼の崩壊が、いかに日本の当局者の(適切な)反応を妨げたかを報告書は物語っている」とし、菅氏と東電の首脳陣、そして福島第1原発の責任者の相互不信を問題視。関係者の対立が、危機の初期段階で、「ときに矛盾した情報の氾濫による混乱を生み出した」と指摘した。
記事は、報告書が放射性物質の拡散予測や、4号機の使用済み核燃料プールに冷却用の水が残っているかどうかの見極め、さらには福島第1原発に対する海水注入をめぐる菅政権の混乱ぶりを克明に描写しながら、「日本国民ばかりか、米国など同盟国に対しても、最も注意すべき情報分析を伝えていなかった」と指摘。日本の当局は原発の危険性について十分に公表していなかったとする、米国の原子力専門家の疑念を裏付けるような内容だと評価している。
同紙は「国民に危険を警告できなかったのは政府の責任」として、独自の調査を思い立った民間事故調の関係者の言葉を紹介し、「当局の発表をうのみにしがちな日本において、この種の外部調査はまれな例だ」と指摘している。(ワシントン 柿内公輔)
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・産経web---『炉心溶解 1週間後に判断 保安院「信頼性不十分」公表せず』
『東京電力福島第1原発事故で、経済産業省原子力安全・保安院が昨年3月の事故の1週間後に、1~3号機が炉心溶融していると分析していたことが分かった。保安院は「信頼性が十分でない」として公表していなかった。
保安院によると、分析したのは事故を受け原子炉の状態を調べるため新たに発足した「情報分析・対応評価チーム」。原子炉の水位や圧力、放射線量のデータを基に分析したところ、昨年3月18日午後2時45分の時点で、1~3号機の原子炉について「炉心はすでに溶融している」と判断し、「外部から注水を続ける限りにおいては、安定した状態が継続している」との評価をまとめたという。
公表しなかった理由について、保安院は「分析の基となったデータの信頼性が十分でなかったため、内部の参考資料の位置づけだった」と釈明した。
炉心溶融をめぐっては、保安院は昨年3月12日の会見で、中村幸一郎審議官が1号機について「炉心溶融の可能性がある」と言及。ただ、同日夜に中村審議官が広報担当から交代して以降は「燃料の損傷」などと説明を変え、炉心溶融という表現を使わなくなった。
保安院が炉心溶融を正式に認めたのは、東電が炉心溶融の解析結果をまとめた昨年5月で事故から約2カ月後だった。
公表遅れは政府の事故調査・検証委員会の中間報告でも「国民に対する情報提供として問題がある」と批判された。』
この備忘録もまさか1年も続くとは思わなかった。3月12日~15日頃まで原発が最大のピンチだった。そのころのブログを見返してみると全然危機感のない内容が綴られている。本当に危機は隠されていたのだと改めて思う。政治的観点からは敢えてその時点では公表する必要性は無かったのかもしれないが。夏頃、秋頃、何が報道されていたのかとランダムにブログを読み返してみた。どの時点でも看過できない(記録に留めておきたい)様々なニュースが出てきている。本当に大変な1年だったのだと思う。
東電も原発も罪深いものだ。
東電のHPには14時に社長名で次の文章が掲載された。
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当社福島第一原子力発電所の事故発生から1年にあたって
東北地方太平洋沖地震の発生から1年にあたり、改めて、震災によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
当社福島第一原子力発電所の事故により、発電所周辺地域の皆さまをはじめ、福島県の皆さま、さらには広く社会の皆さまに、現在も大変なご迷惑とご心配をおかけしていることを、改めて心より深くお詫び申し上げます。
併せまして、事故発生以降この1年間、国内外を問わず、関係する数多くの皆さまに多大なるご協力とご支援をいただき、改めて心より深く感謝申し上げます。
当社は、責任の重さと果たすべき役割を常に意識し、福島第一原子力発電所の安定状態の維持、中長期にわたる廃止措置等への取り組みを、何よりも安全に十分配慮しながら確実に進めてまいります。そして、事故により被害にあわれた方々に寄り添った迅速・適切な賠償の実現に、当社グループを挙げて、真摯に取り組んでまいります。
3月11日という日を、当社グループ社員一人ひとりがしっかりと心に刻み、安全を最優先に、全身全霊をもって課題の解決に努めてまいります。
平成24年3月11日
東京電力株式会社
取締役社長 西澤俊夫
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■3月11日(日、367日目)
・東京web---『人為ミスで原発事故拡大 福島1年、IAEA天野氏』
『【ウィーン共同】国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長は10日、東京電力福島第1原発事故から1年を前に共同通信と単独会見し、事故拡大の背景に経済産業省原子力安全・保安院の東京電力に対する監督不足など「数々の人為的ミスがあった」と強調した。
また、福島事故で世界の人々が原子力発電に「不安を感じたのは間違いない」と述べ、日本での新たな原発建設の可能性についても「国内世論が受け入れるような雰囲気にはないと感じている」と話した。
IAEAは原子力の平和利用促進を設立目的としており、事務局長として踏み込んだ発言。』
■3月10日(土、366日目)
10日午前2時25分ごろ、茨城県で震度5弱の地震があった。茨城県高萩市で震度5弱。
■3月9日(金、365日目)
政府が福島第1原発事故への対応を行った原子力災害対策本部の議事概要などを公表したというが、それらは何処で見ることができるのか。何処で入手できるのか。入手する手段まで報道して欲しいものだ。と、思いながら捜していたら首相官邸のサイトで見つかった。ただ首相官邸のHPからリンクを辿って探し出すのはなかなか難しい。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/genshiryoku/index.html
・日経web---『原発事故「戦争だ」 政府混迷、議事概要で明らかに 』
『東日本大震災に対処する会議の議事録がなかった問題で、政府は9日、福島第1原子力発電所の事故を受けた原子力災害対策本部などの議事概要を公表した。当時の閣僚らは「米スリーマイル事故が3つ重なった」「統率がとれていない」などと発言。情報不足から意見がかみ合わず、政府の意思決定は混迷した。突然の大地震と原発事故の前に国の備えが機能不全に陥った様子がうかがえる。不十分な連絡体制は復旧を急ぐ現場と、政府・東京電力本店が再三衝突する形で表れた。
震災当日の昨年3月11日夜に開いた原子力災害対策本部の初会合で、松本龍防災担当相は「官邸に情報が入っていない」と発言。1号機の水素爆発後の同13日には、海江田万里経済産業相が「深刻な破損はない旨報告を受けている」と述べた。
同14日には菅直人首相が「避難範囲は20キロメートルで十分」との見方を説明したが、玄葉光一郎国家戦略相が「違う意見もある」と反論。同戦略相は同17日にも「これは戦争だ。3つのスリーマイル事故が重なったようなものだ」と語った。同15日は片山善博総務相が「消防活動への要請も断片的かつ子供っぽい」「統率がとれていない」と悲鳴を上げた。
昨年7月19日、平野達男復興担当相は「除染をしても簡単には戻れない高線量の地域」に言及。「福島県双葉町などは帰還できないことを覚悟している」と述べた。
政府・東電統合対策本部の議事概要では、現場との衝突も描かれている。同11月2日には、核分裂が続く再臨界の可能性を発表した東電本店に対し、吉田昌郎所長が「作業員がおびえる」と主張。再臨界は起きていないとの立場から「(会見できちんと説明しないなら)明日の作業を全てストップさせる」と述べた。
累積100ミリシーベルト超の放射線を浴びた作業員は5年間作業できないとの見解を厚生労働省が示したとする報道を受け、同4月29日の会議で吉田所長は「人を割けなくなり、収束シナリオが厳しくなる」と指摘。同5月に予定していた厚労相の視察を「本部が認めても発電所長としては拒否する」と反発した。(肩書は当時)』
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819595E2EBE2E0908DE2EBE2E1E0E2E3E09F9FEAE2E2E2
・毎日jp---『<福島第1原発>炉心溶融の可能性指摘 対策本部議事概要 毎日新聞 3月9日(金)11時49分配信』
『政府は9日、東京電力福島第1原発事故への対応を行った原子力災害対策本部の議事概要などを公表し、事故が発生した昨年3月11日午後7時すぎに開かれた第1回会議から炉心溶融(メルトダウン)の可能性が指摘されていたことが明らかになった。翌12日正午すぎからの第3回会議でも炉心溶融を懸念して避難範囲の見直しに言及した閣僚もおり、政府が早い段階から炉心溶融の可能性を認識していたことがうかがえる。
第1回会議では、全電源が失われ、電池で動く原子炉冷却装置だけが動いていることが指摘され、この状態が「8時間を超え、炉心の温度があがるようなことになるとメルトダウンに至る可能性もあり」と報告された。ただし、この時点では放射性物質の外部放出が確認されていなかったことから「直ちに特別の行動は不要」との発言もあった。
第3回会議では、玄葉光一郎国家戦略担当相(当時)が「メルトダウンの可能性がある。避難地域(当時は半径10キロ圏内)を考え直す必要はないのか」と懸念を示し、菅直人首相(同)も「楽観はできない」と発言。その約3時間後に、1号機で最初の水素爆発が発生した。
その後、12日夜に開かれた第4回会議では、海江田万里経済産業相(同)が1号機の中央操作室や敷地境界で放射線量が大幅に上昇していることを報告。菅氏が「チェルノブイリ型(の水蒸気爆発)はあり得るのか。スリーマイルのようなメルトダウンがあり得るのか」と問いかける場面もあった。
一方、実際は原子炉圧力容器や格納容器が破損し、核燃料によって汚染された水が外部に漏れ出す事態に発展したにもかかわらず、13日午前10時すぎの第5回会議では、海江田氏が「1号機で爆発が起きたが、原子炉は頑丈な鋼鉄製の格納容器に納められており、深刻な破損はない旨報告を受けている」と話すなど、被害を過小に見積もっていたことを示す発言もみられる。また、13日の第6回会議では、菅氏が「戦後における我が国最大の危機である」と発言した。
政府は当時、議事を記録していなかったことへの批判を受け、会議の出席者のメモや関係者への聴取などをもとに議事概要を作成した。【西川拓】』
http://mainichi.jp/select/science/news/20120309k0000e040175000c.html
・日経web---『炉心溶融の恐れ、震災当日に指摘 政府対策本部 福島第1原発 』
『政府は9日、東京電力福島第1原子力発電所の事故対応にあたった原子力災害対策本部の未作成だった議事録に代わる議事概要を公表した。東日本大震災当日の昨年3月11日夜の第1回会議で「(冷却停止が)8時間を超え炉心の温度が上がるようなことになると、炉心溶融(メルトダウン)に至る可能性もある」と報告されていたことが分かった。発言者は確認できないが、事故直後から炉心溶融を念頭にした対応を迫られていた。
公表したのは昨年3月11日夜から同12月26日までの23回分。出席者は首相と関係閣僚、班目春樹原子力安全委員長ら。議事録が作成されていなかったため、事務局員のメモなどをもとに、主な発言の概要をまとめた。ただ、18回目までは録音が残っておらず、当時の会議の様子がどこまで忠実に反映されているかはわからない。
3月11日午後7時3~22分の第1回会議では、放射性物質の漏洩は確認されていないとして「直ちに特別の行動は不要」と報告。ただ、海江田万里経済産業相(当時)が「10キロメートル範囲の人を、どこかの時点で避難させる必要があるかもしれない」と言及、「日本で初めてのことで波紋も呼ぶ」としていた。
北沢俊美防衛相(同)は「発電機は何機あればいいのか」と発言し、ルース駐日米大使や米軍から支援の申し出があったことを報告した。また、松本龍防災担当相(同)が「官邸に情報が入っていない」と発言するなど、当時の官邸の混乱ぶりがうかがえる。
同12日の第3回会議では、菅直人首相(同)から「1号機などから住民には健康被害を及ぼすことはない微量な放射能が流出している」と説明。玄葉光一郎国家戦略担当相(同)が「メルトダウンの可能性がある。避難地域は10キロメートルでいいのか。考え直す必要はないのか」と発言していた。』
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819595E2EBE2E2EA8DE2EBE2E1E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2
■3月8日(木、364日目)
・毎日jp---『福島第1原発:前消防総監、部下に危険な命令…苦悩今も』
『昨年3月19日未明、東京電力福島第1原発3号機建屋への放水作業を成功させた東京消防庁の新井雄治前消防総監(60)が毎日新聞の単独インタビューに応じ、「部下の安全を確保できないのに命令をかけたのは許されないと今も思う。本来あってはならないことだった」と、死と隣り合わせの命令を下した苦悩を打ち明けた。そのうえで、放射線を防護できる免震重要棟の存在を知らされていなかったことを痛恨事として挙げ、「情報共有という阪神淡路大震災の教訓が生かされていなかった」と述べた。【千代崎聖史】
新井氏は昨年7月に総監を退任。震災から1年を機にインタビューに応じた。
新井氏によると、部隊派遣の発端は、3月17日午後6時ごろの意外な内容の電話だったという。知事部局からの依頼で、石原慎太郎都知事に電話すると、「(菅直人)総理が、東京消防庁があまり協力してくれないと言っている。どうなんだい」と言われ、「16日に特殊災害対策車を出したり既に協力している」と説明。知事は「もう一度総理と連絡を取る」と言って、電話はいったん切れた。
知事から再度の電話があり、「政府も非常に混乱している。ただ、他に方法がない。やってくれるなら政府としてお願いしたいと言っているがどうか」と聞かれたため、「準備はしてるので部隊を出します」と回答。首相からの出動要請という超法規的な部隊派遣が決まった。
17日朝、自衛隊ヘリの放水が芳しい効果を上げなかった時点で、新井氏は出番を確信。東京・荒川の河川敷で屈折放水塔車を使った大規模な放水訓練を始めさせていた。「15分あれば水を出せるとの報告が夕刻には届いていた。事前に被ばく対策のアドバイスを受けていた特殊災害支援アドバイザーの山口先生(芳裕・杏林大医学部教授)の存在も大きかった。最大の懸念は4号機の情報が全くなく、爆発の可能性を否定できないことだった」
それでも、派遣命令を下したことについて新井氏は「あの危機的状況で、選択の余地はなかった。ただ、部下を安全に活動させるのが私の最大の責任。命令をかけたのはある意味、任務放棄だった。本当に矛盾だと。その後もずっと感じている」と振り返った。
また、免震重要棟について「総務省消防庁は存在すら知らず、我々にも伝わらなかった。知っていれば現場での作業の拠点にできた。後で抗議し、総務省も初めて知ったぐらい。阪神淡路大震災の反省から官邸に危機管理センターを作り、情報共有がされるはずだったのにできていなかった。全体を仕切る人がいなかったことが理由だと思うが、最大の反省材料だ」と述べた。
◇東京消防庁の放水作業
東京電力福島第1原発3号機の使用済み核燃料プールを冷却するため、東京消防庁は11年3月18日、ハイパーレスキュー隊を派遣。遠距離大量送水装置「スーパーポンパー」と「屈折放水塔車」を組み合わせた「無人放水」を試みた。岸壁が地震で崩壊し、ホース延長車が入れなかったため、隊員らは長さ50メートル、重さ100キロのホース7本を手作業でつなぐなどした。放射線を浴びるのを最小限に抑えるため、約50人の隊員が交代しながらつなぎ合わせ、19日未明から放水を実現させた。毎日新聞 2012年3月8日 15時00分』
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120308k0000e040209000c.html
■3月7日(水、363日目)
・産経web---『首都圏の地震、大震災前の3倍に増加 文科省「M7いつ起きても…」』
『首都直下地震が想定されている南関東の地震活動が東日本大震災後に活発化し、地震の発生頻度は現在も大震災前の約3倍と高い状態となっていることが7日、文部科学省の特別プロジェクト研究で分かった。研究チームはマグニチュード(M)7程度の首都直下地震について「いつ発生しても不思議ではない」としている。
南関東で起きたM3以上の地震の数を大震災の前後半年間で比較したところ、大震災後は約7倍に増加。徐々に減少しているが、現在も約3倍で「地震災害発生リスクは現在も高い」との見解を示した。
国はM7程度の首都直下地震の発生確率を30年以内に70%としている。研究チームは確率がどの程度上昇したかは示していない。
また、首都直下地震のひとつである東京湾北部地震の揺れは、従来想定の震度6強を上回る震度7との推定を正式に公表。沈み込むフィリピン海プレート(岩板)と陸のプレートとの境界が従来想定より約10キロ浅いことが分かったためで、震度7は東京23区の湾岸部や多摩川河口付近と予想した。
国が首都直下地震の発生確率の計算で評価対象としている過去の5つの地震について、震源域の調査結果も公表。明治27年の明治東京地震はフィリピン海プレート内部または太平洋プレート上面▽明治28年の茨城県南部地震は太平洋プレート内部▽大正10年の茨城県南部地震、翌年の浦賀水道付近の地震はフィリピン海プレート内部と分かった。
研究プロジェクトには東大地震研究所、京都大防災研究所、防災科学技術研究所(茨城県つくば市)が参加した。』
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120307/dst12030714250010-n1.htm
■3月6日(火、362日目)
共同通信---『福島原発の汚染水、依然流出か 海のセシウム濃度下がらず』
『東電福島第1原発周辺の海で放射性セシウムの濃度の下がり方が遅いとの分析結果を、気象研究所の青山道夫主任研究官らが6日までにまとめた。事故で発生した高濃度の放射性物質を含む汚染水が、見えない部分から漏れ続けている可能性があるという。
事故後の昨年4月、海への汚染水の流出が発覚し、東電は地中に薬剤を入れて止めた。東電は「この3~4カ月は濃度低下が緩やかだが、昨年3月より大きく下がっている。11月ごろから下がりきったところで推移しており、漏えいがあるとは考えていない」としている。
青山さんらは、東電が測定した原発付近の海水の放射性セシウム濃度を分析。』
http://www.47news.jp/CN/201203/CN2012030601002005.html
・読売online---『セシウム流出量、東電推計の6倍…海洋研試算』
『東京電力福島第一原子力発電所の事故で、原発から海に流出した放射性セシウム137の総量は最大で5600テラ・ベクレル(1テラは1兆)に上るとの試算を、海洋研究開発機構がまとめた。
東電の推計量の約6倍にあたる。6日に開かれた日本原子力研究開発機構の研究報告会で発表した。
海洋研究開発機構の宮沢泰正主任研究員らは、福島県の沿岸など約500地点で採取した海水のセシウム濃度や、潮の流れなどをもとに、昨年5月7日までにセシウムが移動した経路を模擬計算した。その結果から、海に流出した高濃度汚染水のセシウムの総量は、4200~5600テラ・ベクレルと算出された。このほか、同原発から大気中に放出され、雨などによって海に沈着したセシウムは1200~1500テラ・ベクレルになった。(2012年3月6日21時29分 読売新聞)』
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120306-OYT1T01065.htm
■3月5日(月、361日目)
大震災からもうすぐ1年を迎える。TVもその他メディアも特集記事が多い。
ダイヤモンドオンラインには海江田経産大臣のインタービューが載っている。『一番のピンチはどのタイミングだったのか』の問に『やっぱり15日だろう。本当に神に祈る気持ちだった。「なんとか収まってくれ」と。あのとき、得体の知れない怪物と人類が戦っていて、押しまくられていた。1号機から4号機まで水素爆発し、目の前が真っ白になった。次から次へと、事態が悪化していく情報が入ってきて、本当に打つ手がないのではないかと思った。』
産経ニュースはNYタイムズの記事を紹介。
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ニューヨーク・タイムズ(米国)
不信の連鎖、米国の懸念裏付け
「壊れた原子炉をめぐる混沌の中、(当事者の)信頼は欠如し、狂乱めいた電話のやりとりが続いた」
2月28日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、民間の有識者でつくる「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」の調査報告書を紹介する記事で、事故当時の菅直人政権の対応の混乱ぶりを強調した。
記事は、事故の最も深刻な初期段階で、「日本のリーダーたちは、原発が実際にどれだけのダメージを受けているか把握しておらず、あまつさえ国民へのリスクを軽視しようとさえした」と厳しく批判する。
「主要な登場人物たちの間の信頼の崩壊が、いかに日本の当局者の(適切な)反応を妨げたかを報告書は物語っている」とし、菅氏と東電の首脳陣、そして福島第1原発の責任者の相互不信を問題視。関係者の対立が、危機の初期段階で、「ときに矛盾した情報の氾濫による混乱を生み出した」と指摘した。
記事は、報告書が放射性物質の拡散予測や、4号機の使用済み核燃料プールに冷却用の水が残っているかどうかの見極め、さらには福島第1原発に対する海水注入をめぐる菅政権の混乱ぶりを克明に描写しながら、「日本国民ばかりか、米国など同盟国に対しても、最も注意すべき情報分析を伝えていなかった」と指摘。日本の当局は原発の危険性について十分に公表していなかったとする、米国の原子力専門家の疑念を裏付けるような内容だと評価している。
同紙は「国民に危険を警告できなかったのは政府の責任」として、独自の調査を思い立った民間事故調の関係者の言葉を紹介し、「当局の発表をうのみにしがちな日本において、この種の外部調査はまれな例だ」と指摘している。(ワシントン 柿内公輔)
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・産経web---『炉心溶解 1週間後に判断 保安院「信頼性不十分」公表せず』
『東京電力福島第1原発事故で、経済産業省原子力安全・保安院が昨年3月の事故の1週間後に、1~3号機が炉心溶融していると分析していたことが分かった。保安院は「信頼性が十分でない」として公表していなかった。
保安院によると、分析したのは事故を受け原子炉の状態を調べるため新たに発足した「情報分析・対応評価チーム」。原子炉の水位や圧力、放射線量のデータを基に分析したところ、昨年3月18日午後2時45分の時点で、1~3号機の原子炉について「炉心はすでに溶融している」と判断し、「外部から注水を続ける限りにおいては、安定した状態が継続している」との評価をまとめたという。
公表しなかった理由について、保安院は「分析の基となったデータの信頼性が十分でなかったため、内部の参考資料の位置づけだった」と釈明した。
炉心溶融をめぐっては、保安院は昨年3月12日の会見で、中村幸一郎審議官が1号機について「炉心溶融の可能性がある」と言及。ただ、同日夜に中村審議官が広報担当から交代して以降は「燃料の損傷」などと説明を変え、炉心溶融という表現を使わなくなった。
保安院が炉心溶融を正式に認めたのは、東電が炉心溶融の解析結果をまとめた昨年5月で事故から約2カ月後だった。
公表遅れは政府の事故調査・検証委員会の中間報告でも「国民に対する情報提供として問題がある」と批判された。』