ギリシャの旅をして、遺跡や植物の報告をした。次に、庭園について記事を書こうとして ハタと困った。国立庭園や遺跡の風景は素晴らしかったが、所謂、西洋や東洋でいう庭園 というような区画された場所に作られた庭園は目につかなかった。 これは、ギリシャの歴史からくるものだという思いに至った。紀元前の古代ギリシャ全盛の時代 は都市国家が形成され、ポリス自体が美しい風景の中に形成されている。その後、ローマの 属州となり、東ローマ帝国の時代はコンスタンチノープルを中心とした中央集権国家の一 地方となり、15世紀からはオスマントルコ帝国による支配を受けた。即ち、中世や近代に おいてアテネなどのギリシャの都市を首都とする王国が築かれたことはなかった。 一方、西洋や東洋、日本のように王様や貴族による支配が近世まで続いた国々では、 権力者達が寛ぎや美の観賞を楽しみ、また自らの力を誇示(近隣や他国に見せつける) するため、築城や庭園造りを行ったが、ギリシャではこのような時代を経ていない。 都市国家が自らのポリスや神殿を風光明媚な自然の中に建設した。この街全体の風景や 神殿の風景を庭園と言っても良いように思える。現代のアテネ市内には広大な国立庭園が あり、市民の憩いの場となっている。ジャガランダを始めとして色々な樹木に覆われた庭園は、 アクロポリスなどと同じようにスケールの大きな、いかにもギリシャ的な感じだ。 というわけで、再掲になる部分もあるが、スケールの大きなポリス庭園、遺跡庭園を掲載して、 ギリシャの旅シリーズを終わりとしたい。
ギリシャ旅にお付き合い下さり、ありがとうございました。
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