ミセスローゼンの上人坂日記

サングラスして山を焼く女かな


峠の山羊のようなかぼちゃん。

何事も本気で取り組むと生活はそれ一色となりがちだ。俳句は生活の詩。生活を豊かにしてくれる反面、生活の中に容赦なく食い込んでくる。好奇心が貪欲に、自然界みな友達と思え、丁寧に生きる意欲が湧く。どんな苦労も俳句にすると他人事みたいに笑えるし、それがよい句なら誇りにも思える。一方、妻/夫や子供と団欒中にも、夏休みで家族旅行中にも、深刻な相談の真っ最中にも、つい句帳に手を伸ばしてしまう俳人の性が自分でも疎ましい。車や自転車乗ってる途中に俳句できて、止まれる所まで忘れないよう何度も口の中で繰り返しぶつぶつ言う変なおばさん。それが私。私は句帳は持たない。iPhoneに打つ。友や娘とチャットするも俳句打つも見た目は同じだから。夜中に目覚めてポツポツ俳句を打ってても、ああ時差のある方の娘の悩み聞いてる優しい母、と尊敬して貰える。何でも俳句にしてうざいなお前は、と思われず済む。何書いてんの?と聞かれ、俳句、と毎回言うのは何か嫌。チャットだよ、と嘘を言ってしまう。杉田久女も嘘ついてたか。夫のいぬ間にせっせと俳句を作り、夫の前ではカウチで漫画読み映画見る。みんなそんな感じ? 家族に遠慮ある? 俳人夫婦とか俳句一家ならいいだろうけどね。チェリストとかはその点、練習、鑑賞、体力作り、趣味の時間、とメリハリあっていいよね。俳句は二四時間できちゃうだけに、逆に切り替えるのが難しいのだ。
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