昨日の続き。私はL.G.B.T.Q.N.B. の人々が嫌いではない。彼らはセンスがあって頭がよい。話をしてて面白いし、他へのシンパシーがすごくある。自分は何者かという問題に無自覚な人々や、狭い世界しか知らないで自分達とちょっとでも違う人達を認めない人々よりはずっと好きだ。だが、彼らは「ユニークでありたい」という切望から逃れられない人々なんじゃないか、と気になるだけだ。私も14歳の頃そうだった。舞台の上なら別の自分になれる、ユニークな自分になれる、と信じていた。ユニークでありたい。しかし孤独は恐ろしい、という気持ちの行き着く先が無かった。今私は57歳になり、俳句を作っている。ユニークな俳句を作る為に、ユニークな自分になりたいとは思わない。女でも男でもない自分自身の魂がぽつんとあるのを感じる。それが薄くなり拡散され、花になり、雪になり、月になる。全くユニークでもなく、孤独でもない。死後の魂はこんな風に平和に自然に還るのかと思う。俳句を作るとは少しずつ死ぬ練習をすることなのかもしれない。そういう感じを一度経験すると、ユニークでありたいとかどうでもよくなる。自分を含む自然界の仲間がただ愛おしいだけである。
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