塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ユナイテッド、ネイマール獲得に用意した金額が破格である

2017-03-28 00:29:44 | 日記
 マンチェスター・ユナイテッドがネイマールの獲得資金に240億円準備、と指摘されています。

 これはネイマールと代理人である父親の発案ではなく、あくまで金額はクラブ間で行われるものです。

 NFLのようにリーグ全体でサラリーキャップの取り決めがあり、すべてのチームが金額を遵守する必要がある競技とは異なり、欧州サッカーの契約違約金が年を追うごとに上昇しています。

 もし僕がネイマールの立場だとしましょう。

 「果たして俺が240億円もの金額に値する選手だろうか」
 「この金額に見合うだけのプレイを、毎試合見せられるはずがない、俺も人間だぜ」

 とひどく不安になると思います。

 バイエルンのレバンドフスキのように、仮にバルサ、レアルに移籍してもすぐに馴染めるであろう選手はいると思います。

 一方でバイエルンはまず彼の商談には乗らないと思います。

 言い換えればクラブは選手が感じる必要のない重圧から守る、言い換えれば

 「売らない事でクラブの戦力を維持する」
 「売らない事でシーズン・チケット、スポンサー収入を維持する」

 事も検討すべきではないでしょうか。

 NFLはサイン・ボーナスにドラフト、そしてトレードという形で常に代謝を行い、ファンに新鮮味を与えていますが、それはNFLの市場がまだまだ米国中心であることも影響していると思います。

 欧州サッカーのように世界規模で視聴者がいるならば、選手は移籍で注目を集めるものですが、僕ならばカンベンしてよ、と思うはずです。
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改めて考えてみたマリーシアという意味合い

2017-03-28 00:06:33 | 日記
 稀勢の里関が千秋楽で2勝挙げたこと、地元の方の大歓声を見ていると、関取衆が与える影響の大きさがわかりました。

 同時に過去、Jクラブに在籍していたブラジル人選手から

 「日本はマリーシアが足りない」

 と指摘され続けてきたことも理解できたように思います。

 マリーシアを我が国では「ずる賢い」と訳しますが、僕はブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンなど南米諸国が生み出した「生活の知恵」と捉えています。

 彼らにとってサッカー、コパ・アメリカ、ワールドカップ、リベルタドーレスは3度の食事同様、まさに生活の根本ですからね。

 リードして後半45分を迎えているのであれば、ボールを自陣でまわして時間稼ぎをする
 相手コーナーフラッグ付近でボールをキープ
 審判に適度にアピールする

 つまり、時間稼ぎや審判との意思疎通は勝ち点を得るために重要であり、相手も行っているのだから、我々も行って初めて対等である、と彼らは考えます。

 一方の日本は大相撲、柔道、剣道など、初心者、有段者、横綱だろうが幕下だろうが

 威風堂々と真正面からぶつかる
 心技体を常に高める

 というように、卑怯な手段を用いることに嫌悪感があります。

 南米サッカーでみられる顕著なマリーシアは、日本社会が秩序を得るために育んできた威風堂々、お天道様が見ている、という考えからは完全に逸脱していますよね。

 横綱があれだけの痛みを我慢してたったのも、横綱があるべき姿を見せる責務があったためでしょう。

 最近ではサッカーも情報が浸透し、マリーシアの持つ背景が知られるようになりましたが、タイ戦の視聴率はどうなるでしょうか。
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