塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

改めて考えるブランドの占有率

2020-06-03 22:14:22 | 日記
 欧州各国リーグのスパイク着用率を集計すると、ナイキ、アディダス、プーマの3社で9割のシェアを得ていると、フットボール・ウエブマガジンが伝えています。

 アンブロのような伝統あるブランド、アンダーアーマーやニューバランスのような振興ブランド、ミズノとアシックスという国内ブランド。

 つまり残りの1割の市場に、数多くのブランドがひしめく形ということで、この構図は実に歪に見えます。

 日本での流通はありませんがロットは愛用者がいますし、これもごく少数でしょうがホマを履く選手もいるでしょう。

 逆に言いますと日本から誕生したガビック、日本企画のペナルティやアスレタがもし海外で市場を攻めるとすれば、実に厳しい、どれだけ明確で緻密な計画を立てても選手の獲得はおぼつかない。

 という現実が待っているように見えます。

 ではJリーグが目指すように、スパイク契約も東南アジアを目指すのでしょうか。

 Jリーグが東南アジアに打って出たのは、彼らの多くが目覚ましい経済発展を遂げており、観光や映画、アニメーションで日本にどこか好感を抱いているためと思います。

 また、現状リーグは再開されていませんが、J1の集客力や運営力が群を抜いていることも事実ですし、レ・コンビンやティーラシンなと、ベトナム代表、タイ代表の移籍は日本国内でもおおむね評価されてきました。

 ミズノがチャナティップを迎え入れたのが、まず彼が選手として素晴らしい資質をもっているためです。

 当時に彼と協力することで、タイ・プレミアリーグを軸にタイと周辺地域への浸透を目標に掲げているのでしょうね。

 あれだけの契約選手を抱えたディアドラは影響力が皆無ですし、コンケーブのようにその活動がどこかわかりにくいブランドもあります。

 それだけブランドが市場を開拓することは、難しい道のりというわけなのでしょう。
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ドイツ代表が失った、二人の選手

2020-06-03 17:35:15 | 日記
 先日の日本経済新聞に

 「心を病んだらいけないの うつ病社会の処方箋 新潮選書」

 という書籍案内が掲載されていました。

 ドイツはワールドカップ優勝4度、その実力とブンデスリーガの充実度、いつの時代でも世界に知られる名手を生み出してきた、誰もが一目置く存在です。

 しかし過去にはうつ病を告白し、自分をさらけ出すことと同時に引退した選手がいました。

 ハノーファー ロベルト・エンケ
 バイエルン・ミュンヘン セバスチャン・ダイスラー

 エンケに関して言えば、日本のソロメディアから彼の死に関する著作が翻訳されて出版されています。

 著者のロナルド・レングは、過去ワールド・サッカーダイジェストにコラムを執筆していたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 一例ですが2002年12月15日号の73ページで彼は

 「プレミア最年少ゴール記録を更新したルーニーは、オーウエンの再来と祭り上げられているけど」

 という形で、彼なりの考察を傾けています。

 僕は原作本も翻訳本も所有、そして読んでもいません。

 しかし、彼が幼いお嬢さんが病死し、その悲しみだけでなく彼自身がうつ病を患っており、その為に踏み切りに飛び込んだという話を、エンケが高いした当時に断片的に聴いた記憶があります。

 今のドイツではノイアー、レノにシュティーゲンという代表に相応しい選手がいますが、ノイアーの前にはレネ・アトラー、その前にはエンケとヒルデブラントがいました。

 GKのポジションはひとつしかなく、シュティーゲンが漏らしているように、正統な競争が無いとみる向きもある一方、代表監督から優遇されているという見解が、第1GKには寄せられるのかもしれません。

 エンケはこうした他者のするどいまなざしが、重荷に感じたのではないでしょうか。

 ダイスラーはヘルタ・ベルリンからバイエルンに移籍しました。

 2000代初頭のドイツ代表はダイスラーに代表される技術ある選手に乏しく、90年代から引き継がれた体力と精神力に頼らざるを得ませんでした。

 メーメット・ショルとダイスラーは、その技術を高く評価され代表の活性を担うと言われていましたが、ダイスラー自身は故障があまりに目立つことでも有名でした。

 これからという時に襲い掛かる故障
 周囲に答えられない自分のもどかしさ

 もし僕たちが投げかける言葉や眼差しがもっと異なれば、彼らはもっと違う歩みをしていたようにも感じます。

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検索エンジンで「独身のプロ」で調べてみたら

2020-06-03 17:10:44 | 日記
 僕はこれまで勤務形態が皆さんとは異なり、午後に出社して深夜(23時から23時30分)に帰宅することが多く、テレビドラマを見る習慣がありませんでした。

 ここ数カ月、実は皆さん同様に夕方には帰宅できる環境に変化し、従って各局が手掛ける名作ドラマの再放送を視聴する習慣が出来つつあります。

 その中で火曜日の22時信越放送(東京都ではTBS)が放送する

 「逃げるは恥だが役には立つ」

 を見ていまして、脚本家の方は原作を参考にしながら執筆しているとしても、主人公の津崎がつぶやく

 「僕はプロの独身だ」

 という言葉に、相当な気持ちが入っているのではないでしょうか。

 この言葉を聞いて

 「ああ、僕もプロの独身予備軍だな」
 「いや、既にプロかもしれないな」
 「津崎の生きてきた設定が、僕が歩んできた人生を当てはめているようだな」

 と、凄くしっくりくる感覚を味わっています。

 女性との交際経験が実にとぼしく、同時に自己肯定能力が著しく低く、容姿に優れた男性に対してすぐに負けを認めてします。

 漫画ですから原作者の方が、描くにあたり様々な角度から男性を考察して出来上がったのが津崎、と言う人物像なのでしょうが、おそらく担当者も出版社もこれだけ主人公に似た男性が多い事。

 これには驚いたでしょうね。

 僕も喧嘩はしませんし、容姿や話が素晴らしい男性にはすぐに席を譲ってしまいます。

 レッドスターやステアウア・ブカレストなど東欧クラブが、チャンピオンズ・リーグでリバプールはバルサと対戦した際、すぐに音を上げてしまう状況と同様と言えます。

 ちなみに、彼が劇中でつぶやく「プロの独身」という言葉を検索エンジンに載せたところ、すぐに様々な答えが出てきて凄く面食らってしまいました。

 僕は自分で料理をし、アイロンがけ、洗濯、風呂掃除を行いますが、むしろ苦ではないのですよ。

 よくサッカー選手の妻が夫に料理を振る舞う場面が放送されますが、あれを見る限り

 「ああ、プロのサッカー選手でなくて良かった」
 「まあ、僕に手料理を振る舞う、好意を寄せる女がいるとは思わないしな」
 「それに僕から求愛されて、嬉しいと感じる女性がいるはずがない」

 と徹底した自己肯定能力の低さを、自分でかんがみる毎日なので。
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他人様と関わりたくない、という心理

2020-06-03 10:38:54 | 日記
 テレビ朝日の看板番組の一つが「ポツンと一軒家」

 頻度が少ないとしても郵便局や役場の利用、そして食料の購入など多くの用事が伴う利用のいずれにしても、あれだけ離れた場所に住居を構えることは、僕のような独り者でも不思議に思うことはあります。

 ただ、僕が思うに今、多くの方(僕もそうですが)」

 「他人様と関わることを遠慮したい」
 「自分の時間は自分のためだけに費やしたい」

 と考えているのではないでしょうか。

 僕は今日と明日非番なんですが、頭の中で「こんなことをしよう」と考えていました。

 しかし、既に両親は

 「畑に出かけて作業をしろ」

 と、僕の休日や考えをまるきり無視する形で、様々な事柄を要求します。

 (ちなみに両親は既に出かけて、自分たちの買い物を楽しんで帰宅したところですが)

 遠く離れた集落に住むことは、自分が自分のためだけに費やせる空間を維持できる、そのためには皆が求める日常が無くても良い、と考えていると想像します。

 皆出生率の低下を気にしますが、低くなっていくことは当たり前ですよ。

 僕が生まれた1976年は、郵貯の利子が8パーセントを超え、定期的な収入の増加も見込まれました。

 つまり自分のために金を使える余裕と、家族や他人様のためにつかる金もあった
 金があれば時間も買える

 という時代だったと推測します。

 しかし、今は自分のために金を使えないのに、どうして子供のためだけに自分が我慢しなくてはならないんだ、どうして自分ひとりの時間を楽しめないんだ、と思う方が増加しているのではないでしょうか。

 僕は託児所や女性の環境を整備するよりも

 「自分のためにお金を使うことは、全く悪い事ではなくむしろ当然の心情である」
 「自分のために時間を費やすことは贅沢ではなく、当然の事」

 という解釈で物事を整備したらどうかと考えるのです。

 サッカー観戦を「生」でしたいのであれば、やはり相応の場所に住む必要がありますが、生観戦にこだわらなければ今は雑誌や映像が簡単にタブレットやパソコンで見られますしね。

 僕はサッカー・ダイジェストに代表される専門誌、レイクに代表される男性誌の発売日にがすぐに書店にてかけたくなります。

 しかし、それ以外の時はもっと人のいないところに住みたい、両親が何でこんなに僕に要求を出すのか(僕には弟がいますが彼にはさっぱり要求をしない)と考える事が最近多いので。

 そんな時、少し遠くに住んでバブアーの「ビデイル」やトリッカーズの「カントリーブーツ」の効能を味わうのはどうか、とも想像します、

 あくまで「想像」ですが。
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尻とセンター・ミッドフィルダーの間柄

2020-06-03 10:23:31 | 日記
 サンマーク出版「スタンフォード式疲れないからだ」の129ページに

 「お尻の筋肉は体のエンジン」

 という記述があります。

 続く130ページでは、「座りっぱなしというのは、お尻という大切なエンジンがずっとオフになっている状態」とも記されています。

 サッカーでは、縦のラインを人間の背骨にたとえる事があります。

 GK、センターハーフ、センターフォワードに繋がるラインの事ですよね。

 ただ、上記の言葉を布陣に当てはめるならば、お尻はセンター・ミッドフィルダーに相当し、ここに適任者を配置することが望ましいと思われます。

 これを過去のセレソンで見てみたいと思います。

 1970年 クロドアウド
 1994年 マウロ・シルバ
 2002年 ジウベルト・シウバ

 1994年はドゥンガ、2002年はクレベルソンもよく知られた存在ですが、過去優勝した際の軸となったセンター・ミッドフィルダーの人選には大きく頷けます。

 何故かといいますと、通常優勝した際は必ずセンターフォワードに実力者が多く、彼らがMVPや得点王、そして主役として見られる頻度が圧倒的に高いためです。

 1970年 ペレ、トスタン、ジャイルジーニョ、ジェルソン
 1994年 ロマーリオ ベベト
 2002年 ロナウド、リバウド、ロナウジーニョ

 ちなみに94年大会はミューレルとロナウドがサブであったという、彼らの層の厚さが見て取れる陣容でした。

 ただ、センターフォワードにどれだけ優れた選手を配置しても、独力で得点を得られるわけではありません。

 ブラジルの4-2-4、4-2-3-1、3-4-2-1、いずれにしても良い守備が攻撃を補い、良い攻撃が守備を補うわけです。

 良いセンター・ミッドフィルダーがいなければ、フルバックはオーバーラップが出来ませんし、左右両サイドに効果的にパスを散らす役目も彼らは担っています。

 94年はリカルド・ローシャとリカルド。ゴメスという出場当確の両センターバックが怪我のため離脱、それでも多くの批判を浴びながら優勝したブラジルは凄いとしか言えませんよね。

 
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