僕は来年49歳ですから、年金支給までまだまだ勤務が続きます。
昭和の時代、女性は夫か恋人の収入に生活を頼ったせいもあるのでしょう、父親が定年の日は
「お疲れさまでしたね」
「長年勤めてご苦労なさって」
とねぎらったものです。
それは勤務先も同様で、花束や記念品を贈呈し敬意を払ったと聞きますが、僕は違いますよ。
そのころ僕はひとりですから、定年の日に帰宅しても暗い部屋の電気をつけることから始める、そんな未来でしかありません。
川崎フロンターレの旗頭、中村憲剛が引退試合を行い、20000人の観衆が集まりました。
川崎フロンターレはプーマと契約していますが、中村本人はミズノ契約選手のためでしょうか、集まった選手たちはミズノが作成した記念ジャージでプレイしたのが印象的でしたね。
これはプーマも致し方ないと思ったのでしょうか。
ただ、彼のように引退試合をファンが待ち望むことは、例外中の例外です。
選手は名もなき存在が一般的
学生からプロになっても、練習にすらついていけず、自己嫌悪となる
そしてクラブからあっさり戦力外通告を受ける
ことの方が事例としては多いわけですからね。
ただ、これは中村憲剛の存在を無視する話では当然ありませんよ。
彼の残した戦績と功績は素晴らしいものですし、引退試合をファンも彼個人も待っていました。
僕のような名もなき人間が多い、という一般の話をしたいだけです。
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