塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

名も無き人間の普段から

2024-12-15 00:06:01 | 日記

 僕は来年49歳ですから、年金支給までまだまだ勤務が続きます。

 

 昭和の時代、女性は夫か恋人の収入に生活を頼ったせいもあるのでしょう、父親が定年の日は

 

 「お疲れさまでしたね」

 「長年勤めてご苦労なさって」

 

 とねぎらったものです。

 

 それは勤務先も同様で、花束や記念品を贈呈し敬意を払ったと聞きますが、僕は違いますよ。

 

 そのころ僕はひとりですから、定年の日に帰宅しても暗い部屋の電気をつけることから始める、そんな未来でしかありません。

 

 川崎フロンターレの旗頭、中村憲剛が引退試合を行い、20000人の観衆が集まりました。

 

 川崎フロンターレはプーマと契約していますが、中村本人はミズノ契約選手のためでしょうか、集まった選手たちはミズノが作成した記念ジャージでプレイしたのが印象的でしたね。

 

 これはプーマも致し方ないと思ったのでしょうか。

 

 ただ、彼のように引退試合をファンが待ち望むことは、例外中の例外です。

 

 選手は名もなき存在が一般的

 学生からプロになっても、練習にすらついていけず、自己嫌悪となる

 そしてクラブからあっさり戦力外通告を受ける

 

 ことの方が事例としては多いわけですからね。

 

 ただ、これは中村憲剛の存在を無視する話では当然ありませんよ。

 

 彼の残した戦績と功績は素晴らしいものですし、引退試合をファンも彼個人も待っていました。

 

 僕のような名もなき人間が多い、という一般の話をしたいだけです。

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