ワールド・サッカーダイジェスト2000年2月3日号の26、27ページにおいて、大々的にフィラのスパイク「ファッシノ2」が掲載されています。
2000年代初頭はフィラのスパイクを履く選手は相当多く、彼らのおひざ元であるイタリアでは、代表選手であるルイジ・ディ・ビアージョが愛用していました。
この2ページにわたる特集では、契約選手である中田英寿も登場し
1・彼がスパイクに求める希望内容
2・木型を作成するための採寸内容
3・日本人スタッフとの確認作業
など、このファッシノ2のリリース直後、唐突にナイキに切り替える中田の姿はまるで想像できません。
中田のマネージメント側から
「フィラとの契約を終了し、ナイキに契約先を変更します」
と言及された際のフィラ側の驚きも、相当なものだったのではないでしょうか。
この時期はディアドラの影響も強く、ローマにジャージの提供をしているだけでなく、ロベルト・バッジョ、アルバロ・レコバ、そしてクリスティアン・ヴィエリとインテルの主力たちが契約していました。
またロットもブラジル代表カフー、ウクライナ代表アンドリュー・シェフチェンコを支援するなど、スパイクの市場は現在のようなナイキ、アディダス一辺倒、というわけではなかったのです。
NBAもAND1やコンバースの影響力が減少し、アンダーアーマー、リーニンの台頭があったように、サッカー・スパイクにも時流があることは確かです。
今後は3Ⅾプリンターの導入など、より製造コストを気にするようになるのでしょうが、僕個人は2000年代初頭の
「選手たちの足元を見る楽しさ」
が捨てがたいんですよね。
2000年代初頭はフィラのスパイクを履く選手は相当多く、彼らのおひざ元であるイタリアでは、代表選手であるルイジ・ディ・ビアージョが愛用していました。
この2ページにわたる特集では、契約選手である中田英寿も登場し
1・彼がスパイクに求める希望内容
2・木型を作成するための採寸内容
3・日本人スタッフとの確認作業
など、このファッシノ2のリリース直後、唐突にナイキに切り替える中田の姿はまるで想像できません。
中田のマネージメント側から
「フィラとの契約を終了し、ナイキに契約先を変更します」
と言及された際のフィラ側の驚きも、相当なものだったのではないでしょうか。
この時期はディアドラの影響も強く、ローマにジャージの提供をしているだけでなく、ロベルト・バッジョ、アルバロ・レコバ、そしてクリスティアン・ヴィエリとインテルの主力たちが契約していました。
またロットもブラジル代表カフー、ウクライナ代表アンドリュー・シェフチェンコを支援するなど、スパイクの市場は現在のようなナイキ、アディダス一辺倒、というわけではなかったのです。
NBAもAND1やコンバースの影響力が減少し、アンダーアーマー、リーニンの台頭があったように、サッカー・スパイクにも時流があることは確かです。
今後は3Ⅾプリンターの導入など、より製造コストを気にするようになるのでしょうが、僕個人は2000年代初頭の
「選手たちの足元を見る楽しさ」
が捨てがたいんですよね。