2025年02月25日(火)、放送分。
興味ある人は、
NHKの聞き逃し配信から聞いてください。
間違いあれば、
私の聞き間違いか、理解不足です。
また、" " 内は感想だったり私が追記したものです。
興味ある人は、
NHKの聞き逃し配信から聞いてください。
間違いあれば、
私の聞き間違いか、理解不足です。
また、" " 内は感想だったり私が追記したものです。
9.鉄と古代権力
・人類が最初に利用した鉄は、隕鉄(隕石)だったといわれている。
・人類が鉄を作り出すのは、紀元前(BC)1400年ころのアナトリア半島が最初だったといわれている。
・鉄加工の技術はアナトリア半島から始まり、周辺に広がっていった。
エジプトなどへ。
・BC1000ころには東北アジアで、
鉄器の使用が確認されている。
・中国へ伝わったのはBC700年頃と考えられている。
・AD108、楽浪郡設置以降、中国の鉄器文化が朝鮮半島に本格的に入ってくる。
貝塚から鉄の斧が出土している。
・鉄は朝鮮半島南東部から多く出土している。
・鉄はBC1世紀~AD1世紀に、朝鮮半島南部に入り、すぐに生産が行われていたと考えられる。
・弁辰地域の鉄は、倭にも入ってきていた。
弥生時代に使われていたのは、朝鮮半島の鉄だということになる。
・韓から楽浪郡、帯方郡に貢もとして納めていたと考えられる。
楽浪郡、帯方郡が鉄を欲していたことがうかがわれる。
・世界史的には鉄器時代は青銅器時代の次に来ると位置づけられているが、
日本では青銅器時代と鉄器時代が、ほぼ同時に起きている。
弥生時代初めまで石器時代であったが、朝鮮半島から青銅器と鉄器がほぼ同に伝わってきたためと考えられる。
・日本で発見されている最も古い鉄器の一つは、
愛媛県の大久保遺跡から発見されている。
BC5世紀の燕で作られた鉄の斧。
斧として使われていたのではなく、
分けられて違う道具として使われていたといわれている。
・↑朝鮮半島の加工方式ではないため、
燕から直接伝わったと言う考え方もある。
実際、釧(腕輪)など朝鮮半島を経由せずに入ってきたものがいくつかあるので、
遼東半島付近と日本列島がダイレクトに繋がっていたというルートを、今後は注目すべきかもしれない。
・日本では鉄を作り出すのは、6世紀後半くらいからといわれている。
・鉄生産は小さな集団で、できるものではない。
国レベルで行っていた。
従って、弥生時代では鉄の流通は国単位で行われていた。
・鉄器の出土は、弥生中期は九州北部に集中している。
弥生末期は九州はそのままだが、
近畿で増加している。
九州北部が力を維持したまま、近畿が力をつけてきた。
連合体が形成され、近畿にも鉄器が分配されたとも考えられる。
・弥生時代には鉄は採掘は確認されていないが、加工技術はあった。
遺構は九州に集中している。
この時期の技術は、朝鮮半島と比べるとだいぶ劣る。
最先端の技術は政治的理由で、もたらされなかったと考えるのが妥当。
・2世以降半の倭国の乱が、鉄器の分布に変化をもたらしたと言う考え方もある。
・同時期の朝鮮半島では狗邪韓国でも環濠集落がつくられている。
朝鮮半島と日本列島の騒乱が、関連していたのかもしれない。
・狗邪韓国は鉄が産出する地域だったので、
倭国の乱の一因は、鉄の入手をめぐるものだったかもしれない。
・弥生時代後半から、古墳時代では、新技術が伝わる。
鞴(ふいご)の羽口、により送風技術があがり、火の温度を上げることが出来、純度の高い鉄をつくれるようになった。
・古墳時代始めになると、東日本にも鉄が広がりはじめる。
・九州以外にも鉄が広がっても、依然として九州で鉄が多く見つかっているのは、
経済的な価値でなく、政治的、祭祀の価値があったと考える指摘もある。
・古墳時代になると鉄はその重要性から、多量に持っているほど権力があると見られるような、
権力の象徴みたいな側面がでてくる。
・鉄のインゴットが、朝鮮半島からもたらされるようになる。
板状鉄斧(いたじょうてっぷ)、袋状鉄斧。
鉄の斧は鉄の塊としての意味を持つ。
日本列島内で再加工されるようになった。
・古墳時代前期に板状鉄斧は鉄鋌(てってい)に変わる。
古墳の副葬品にもある。権力の象徴である。
・313年ころの、楽浪郡、帯方郡の滅亡により、
弁辰は鉄を自主的に管理できるようになり、
外交的つながりを持った倭に、鉄が大量に入ってきたという状況が想定される。
・日本列島では4C後半~5Cでは、武具、馬具などが大量に作られるようになり、
資源として鉄が使われるようになる。
・↑そのとき、朝鮮半島からの鉄の供給ルートを、
最大限に抑えていたのが、ヤマト王権であったのではないかと考えられる。
・ゆうりょうけい鉄鏃(?)、首長のために作られた特注品と考えられる。
国産であることが分かっている。
王権に管理されていて、王権のために鉄製品を作る工人がいた。
・古墳の副葬品として、鉄製品が重要なものになってゆく。
・鉄器の生産は権力者のための道具と、農具や武器の二つに分かれてゆく。
・古墳時代前期の鉄供給は、権力の動向に強く影響を受けるようになっている。
・↑九州北部の圧倒的優位が、横並びに近づいて行くのがこの時代。
・まとめ。
王権が鉄技術者を掌握し、
特殊な鉄製品を作らせ、王権は自身を権威化する。
ただし、有力な豪族も共有するところがあり、
王権はまだ隔絶した権力ではなかったと、いえるかもしれない。
・人類が最初に利用した鉄は、隕鉄(隕石)だったといわれている。
・人類が鉄を作り出すのは、紀元前(BC)1400年ころのアナトリア半島が最初だったといわれている。
・鉄加工の技術はアナトリア半島から始まり、周辺に広がっていった。
エジプトなどへ。
・BC1000ころには東北アジアで、
鉄器の使用が確認されている。
・中国へ伝わったのはBC700年頃と考えられている。
・AD108、楽浪郡設置以降、中国の鉄器文化が朝鮮半島に本格的に入ってくる。
貝塚から鉄の斧が出土している。
・鉄は朝鮮半島南東部から多く出土している。
・鉄はBC1世紀~AD1世紀に、朝鮮半島南部に入り、すぐに生産が行われていたと考えられる。
・弁辰地域の鉄は、倭にも入ってきていた。
弥生時代に使われていたのは、朝鮮半島の鉄だということになる。
・韓から楽浪郡、帯方郡に貢もとして納めていたと考えられる。
楽浪郡、帯方郡が鉄を欲していたことがうかがわれる。
・世界史的には鉄器時代は青銅器時代の次に来ると位置づけられているが、
日本では青銅器時代と鉄器時代が、ほぼ同時に起きている。
弥生時代初めまで石器時代であったが、朝鮮半島から青銅器と鉄器がほぼ同に伝わってきたためと考えられる。
・日本で発見されている最も古い鉄器の一つは、
愛媛県の大久保遺跡から発見されている。
BC5世紀の燕で作られた鉄の斧。
斧として使われていたのではなく、
分けられて違う道具として使われていたといわれている。
・↑朝鮮半島の加工方式ではないため、
燕から直接伝わったと言う考え方もある。
実際、釧(腕輪)など朝鮮半島を経由せずに入ってきたものがいくつかあるので、
遼東半島付近と日本列島がダイレクトに繋がっていたというルートを、今後は注目すべきかもしれない。
・日本では鉄を作り出すのは、6世紀後半くらいからといわれている。
・鉄生産は小さな集団で、できるものではない。
国レベルで行っていた。
従って、弥生時代では鉄の流通は国単位で行われていた。
・鉄器の出土は、弥生中期は九州北部に集中している。
弥生末期は九州はそのままだが、
近畿で増加している。
九州北部が力を維持したまま、近畿が力をつけてきた。
連合体が形成され、近畿にも鉄器が分配されたとも考えられる。
・弥生時代には鉄は採掘は確認されていないが、加工技術はあった。
遺構は九州に集中している。
この時期の技術は、朝鮮半島と比べるとだいぶ劣る。
最先端の技術は政治的理由で、もたらされなかったと考えるのが妥当。
・2世以降半の倭国の乱が、鉄器の分布に変化をもたらしたと言う考え方もある。
・同時期の朝鮮半島では狗邪韓国でも環濠集落がつくられている。
朝鮮半島と日本列島の騒乱が、関連していたのかもしれない。
・狗邪韓国は鉄が産出する地域だったので、
倭国の乱の一因は、鉄の入手をめぐるものだったかもしれない。
・弥生時代後半から、古墳時代では、新技術が伝わる。
鞴(ふいご)の羽口、により送風技術があがり、火の温度を上げることが出来、純度の高い鉄をつくれるようになった。
・古墳時代始めになると、東日本にも鉄が広がりはじめる。
・九州以外にも鉄が広がっても、依然として九州で鉄が多く見つかっているのは、
経済的な価値でなく、政治的、祭祀の価値があったと考える指摘もある。
・古墳時代になると鉄はその重要性から、多量に持っているほど権力があると見られるような、
権力の象徴みたいな側面がでてくる。
・鉄のインゴットが、朝鮮半島からもたらされるようになる。
板状鉄斧(いたじょうてっぷ)、袋状鉄斧。
鉄の斧は鉄の塊としての意味を持つ。
日本列島内で再加工されるようになった。
・古墳時代前期に板状鉄斧は鉄鋌(てってい)に変わる。
古墳の副葬品にもある。権力の象徴である。
・313年ころの、楽浪郡、帯方郡の滅亡により、
弁辰は鉄を自主的に管理できるようになり、
外交的つながりを持った倭に、鉄が大量に入ってきたという状況が想定される。
・日本列島では4C後半~5Cでは、武具、馬具などが大量に作られるようになり、
資源として鉄が使われるようになる。
・↑そのとき、朝鮮半島からの鉄の供給ルートを、
最大限に抑えていたのが、ヤマト王権であったのではないかと考えられる。
・ゆうりょうけい鉄鏃(?)、首長のために作られた特注品と考えられる。
国産であることが分かっている。
王権に管理されていて、王権のために鉄製品を作る工人がいた。
・古墳の副葬品として、鉄製品が重要なものになってゆく。
・鉄器の生産は権力者のための道具と、農具や武器の二つに分かれてゆく。
・古墳時代前期の鉄供給は、権力の動向に強く影響を受けるようになっている。
・↑九州北部の圧倒的優位が、横並びに近づいて行くのがこの時代。
・まとめ。
王権が鉄技術者を掌握し、
特殊な鉄製品を作らせ、王権は自身を権威化する。
ただし、有力な豪族も共有するところがあり、
王権はまだ隔絶した権力ではなかったと、いえるかもしれない。