日本列島、今日は真夏並みの暑さだったそうです。東京都心で33.2℃。こんな日には外に出たくないものですね。が、出なくてはいけないときは・・・水分補給や帽子着用などをしっかり!!
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さて、この前、キャベツは具合が悪かったというのに―いや、体調不良だけでなく、頭もおかしかったのでしょうか―、片道1時間20分、自転車をこいでいました。
・・・西東京市にある家から、府中市にある府中キリスト集会まで・・・
普段は、
西武新宿線・田無駅→どこかで乗り換え→JR国分寺駅→JR西国分寺駅→JR武蔵野線・北府中駅
または、自転車で15分ほど南下して、JR中央線・武蔵境駅→JR西国分寺駅→JR武蔵野線・北府中駅
なのですが、
ある朝、小金井公園まで散歩&ジョギングを試みたのをきっかけに、「チャリで府中まで行こう!!」とキャベツは考えました
もちろん、ママチャリです。
Yahooで地図も検索しました。
朝の体調は・・・かなりヨロシクナイ様子。なにせ、休日の朝でも、7:30に起きようものなら、「ヤバイ!! 遅刻だ!!」としばし恐慌(きょうこう)状態に陥ります。ペースを未だにつかめていないためか、実際、まだまだ体調管理が万端とは言えませぬ
やっとこさ、体調が戻ってきたところでGo!
小金井公園通過~~~
JR武蔵小金井駅横を通過~~~
「前原坂上」から「交番前」まで、とにかくひたすら、坂、坂、坂。下り坂。交差点名違っていたら、ごめんなさい。
・
・
・
その後、ところどころ迷いつつ、
府中キリスト集会所に無事到着
なかなか疲れました(体力低下実感ス)。が、武蔵野(むさしの)の台地 1)を駆けている!!という妙な達成感もアリ。
もちろん、静岡は浜松市から日光までチャリか何かで行った高校生や、日本横断などした方々には比ぶべくもありませんが。
が、絶対真夏日は避けよう。
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今日の通読箇所から
兄弟たち 2)。私 3)が心の望みとし、また彼ら 4)のために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。
私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基(もと)づくものではありません。
というのは、彼らは神の義(ぎ) 5)を知らず、自分自身の義(ぎ) 6)を立てようとして、神の義に従わなかったからです。
キリストが律法を終わらせたので、信じる人はみな義と認められるのです。
モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いています。
しかし、信仰による義はこう言います。
「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」
それはキリストを引き降ろすことです。
また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」
それはキリストを死者の中から引き上げることです。
では、どう言っていますか。
「みことばはあなたの近くにある。
あなたの口にあり、あなたの心にある。」
これは私たちの宣(の)べ伝えている信仰のことばのことです。
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主(しゅ)と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。
「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
(新約聖書・ローマ人への手紙10:1~11)
【注】
1)武蔵野台地:関東平野西部の荒川と多摩川に挟まれた地域に広がる台地。
実は、西東京市(又は田無) 7)は武蔵野台地のほぼ中央に存在する。
実は、皇居も武蔵野台地上に存在する。
参考にコピペ
武蔵野台地―Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E9%87%8E%E5%8F%B0%E5%9C%B0
2)兄弟たち:ここでは、直接にはローマにいる、クリスチャンの方々のことを指している。クリスチャン同士の場合、お互いを兄弟姉妹として呼ぶ。
3)私:ここでは、パウロさんのこと。
4)彼ら:ユダヤ人のこと。
5)神の義:
6)自分自身の義:こちらはわかりやすいかもしれない。たとえば、
「私はこんなに頑張っている」
「私は正しい」 8)
「私は罪を犯したことがない」
「私は、周りの人より優れている」
「私は、良い行いをしている」
7)西東京市:けっこうトリビア知識満載でした↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%B8%82
8)正しい:に関連して。
面白いことに、神様がいないと思う方々にとっては、「聖書のことば」さえも、「正しくはない」。結局、自分が良い、自分の都合に良い、自分の今までの考えや風習に合致する、その考えに共感できる、という基準で判断するからなのかもしれない。
ちなみに、今、新約で読んでいるローマ人への手紙などには、一見さんでは難しいことが多い。何度読んでも難しい箇所もある。
が、今の自分に理解できないからといって、無視するにしても、少しだけ頭の片隅に残しておくにしても、選んだ責任は、自分ナリ
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さて、この前、キャベツは具合が悪かったというのに―いや、体調不良だけでなく、頭もおかしかったのでしょうか―、片道1時間20分、自転車をこいでいました。
・・・西東京市にある家から、府中市にある府中キリスト集会まで・・・
普段は、
西武新宿線・田無駅→どこかで乗り換え→JR国分寺駅→JR西国分寺駅→JR武蔵野線・北府中駅
または、自転車で15分ほど南下して、JR中央線・武蔵境駅→JR西国分寺駅→JR武蔵野線・北府中駅
なのですが、
ある朝、小金井公園まで散歩&ジョギングを試みたのをきっかけに、「チャリで府中まで行こう!!」とキャベツは考えました
もちろん、ママチャリです。
Yahooで地図も検索しました。
朝の体調は・・・かなりヨロシクナイ様子。なにせ、休日の朝でも、7:30に起きようものなら、「ヤバイ!! 遅刻だ!!」としばし恐慌(きょうこう)状態に陥ります。ペースを未だにつかめていないためか、実際、まだまだ体調管理が万端とは言えませぬ
やっとこさ、体調が戻ってきたところでGo!
小金井公園通過~~~
JR武蔵小金井駅横を通過~~~
「前原坂上」から「交番前」まで、とにかくひたすら、坂、坂、坂。下り坂。交差点名違っていたら、ごめんなさい。
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その後、ところどころ迷いつつ、
府中キリスト集会所に無事到着
なかなか疲れました(体力低下実感ス)。が、武蔵野(むさしの)の台地 1)を駆けている!!という妙な達成感もアリ。
もちろん、静岡は浜松市から日光までチャリか何かで行った高校生や、日本横断などした方々には比ぶべくもありませんが。
が、絶対真夏日は避けよう。
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今日の通読箇所から
兄弟たち 2)。私 3)が心の望みとし、また彼ら 4)のために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。
私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基(もと)づくものではありません。
というのは、彼らは神の義(ぎ) 5)を知らず、自分自身の義(ぎ) 6)を立てようとして、神の義に従わなかったからです。
キリストが律法を終わらせたので、信じる人はみな義と認められるのです。
モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いています。
しかし、信仰による義はこう言います。
「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」
それはキリストを引き降ろすことです。
また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」
それはキリストを死者の中から引き上げることです。
では、どう言っていますか。
「みことばはあなたの近くにある。
あなたの口にあり、あなたの心にある。」
これは私たちの宣(の)べ伝えている信仰のことばのことです。
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主(しゅ)と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。
「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
(新約聖書・ローマ人への手紙10:1~11)
【注】
1)武蔵野台地:関東平野西部の荒川と多摩川に挟まれた地域に広がる台地。
実は、西東京市(又は田無) 7)は武蔵野台地のほぼ中央に存在する。
実は、皇居も武蔵野台地上に存在する。
参考にコピペ
武蔵野台地―Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E9%87%8E%E5%8F%B0%E5%9C%B0
2)兄弟たち:ここでは、直接にはローマにいる、クリスチャンの方々のことを指している。クリスチャン同士の場合、お互いを兄弟姉妹として呼ぶ。
3)私:ここでは、パウロさんのこと。
4)彼ら:ユダヤ人のこと。
5)神の義:
6)自分自身の義:こちらはわかりやすいかもしれない。たとえば、
「私はこんなに頑張っている」
「私は正しい」 8)
「私は罪を犯したことがない」
「私は、周りの人より優れている」
「私は、良い行いをしている」
7)西東京市:けっこうトリビア知識満載でした↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%B8%82
8)正しい:に関連して。
面白いことに、神様がいないと思う方々にとっては、「聖書のことば」さえも、「正しくはない」。結局、自分が良い、自分の都合に良い、自分の今までの考えや風習に合致する、その考えに共感できる、という基準で判断するからなのかもしれない。
ちなみに、今、新約で読んでいるローマ人への手紙などには、一見さんでは難しいことが多い。何度読んでも難しい箇所もある。
が、今の自分に理解できないからといって、無視するにしても、少しだけ頭の片隅に残しておくにしても、選んだ責任は、自分ナリ