今、患者さんとなっている方から、お知らせをいただいた。
全国公募2009
地球の一部を焼きました。
-陶芸財団展。
「私の作品も、あるんだよ」とのこと。
考えてみると、今の職場の利用者は、全国を渡り歩いた商社マンの方だったり、今も配管の設計のお仕事をなさっている方だったり、リストラにあって路上生活者になった方だったり、元特攻隊(生き残り)の方だったり、タクシーの運転手さんだったり、不思議なお一人暮らし?の方だったり、とさまざまな方がいる。
-前の職場でもそうだが、さまざまな家庭や人生を見、触れるわけで、
学ばさせていただくことも多く、
いろいろな味わいがある。
陶芸展のお知らせをくださった方は、-祖母同様-私にリンパドレナージの勉強をさせたくなるような(リンパ)浮腫を呈していたり、疼痛コントロールのため、すでに強オピオイドを使用している。
あの手で、陶芸をしていたのか、と
お知らせをいただいたとき、
驚いた。
「この手じゃなかったら、もっと大きいものを出すつもりだったのになぁ・・・」
彼は入院中で、まだ自分の作品が飾られているのを見に行っていないらしい。
―――見に行こうかな。
時間が作れるかどうか不明だったが、どうにか、
深夜明けの日の夕方なら、行けるだろうとふんでいるキャベツ。
というわけで、ひさびさに、国立新美術館に行きましょか。
***************
ほんじつのひとこと。
『そこでヨブよ。
どうか、私の言い分を聞いてほしい。
私のすべてのことばに耳を傾けてほしい。
・・・・・・・
実に、神にとって、私はあなたと同様だ。
私もまた粘土で形(かたち)造(づく)られた。
・・・・・・・
聞け。私はあなたに答える。
このことであなたは正しくない。
神は人よりも偉大(いだい)だからである。
なぜ、あなたは神と言い争うのか。
自分のことばに
神がいちいち答えてくださらないといって。
神はある方法で語られ、
また、ほかの方法で語られるが、
人はそれに気づかない。
・・・・・・・
神は人のたましいが、
よみの穴に、はいらないようにし、
そのいのちが槍で滅びないようにされる。』
(旧約聖書・ヨブ記 33章1-18節)
そう言いたくなる局面はあるんだ。ただ、その前に・・・
それを取り次ぐ者が、伝えることをよく吟味しなければならないわけで。
みことばそれ自身、福音それ自体に人がつまづくのは仕方がない。
だが、
それを取り次ぐ者-公で語る語らないにかかわらずすべてのキリストにある者-の、
言動不一致や、みことばの内容と自分の語っていることの相違があったり、
あいまいなことを断定したり、
物事を思い込みで語ったり判断したり、
自分自身を欺くことがあった場合、
良くて失笑、
時には「口ではいいことを言っているけれど・・・」と憤慨させたり
-いや、憤慨してくれるほうが、まだいい。-
することを、見聞きし、その都度、つらかった。
もちろん、多くの方々はそうではないだろう。
だが、そう見聞きした自分自身は、というと、
そのかいもなく、やはり甘えてばかりいるわけで、
日々切磋琢磨していかなければ、と
思うのみ。
全国公募2009
地球の一部を焼きました。
-陶芸財団展。
「私の作品も、あるんだよ」とのこと。
考えてみると、今の職場の利用者は、全国を渡り歩いた商社マンの方だったり、今も配管の設計のお仕事をなさっている方だったり、リストラにあって路上生活者になった方だったり、元特攻隊(生き残り)の方だったり、タクシーの運転手さんだったり、不思議なお一人暮らし?の方だったり、とさまざまな方がいる。
-前の職場でもそうだが、さまざまな家庭や人生を見、触れるわけで、
学ばさせていただくことも多く、
いろいろな味わいがある。
陶芸展のお知らせをくださった方は、-祖母同様-私にリンパドレナージの勉強をさせたくなるような(リンパ)浮腫を呈していたり、疼痛コントロールのため、すでに強オピオイドを使用している。
あの手で、陶芸をしていたのか、と
お知らせをいただいたとき、
驚いた。
「この手じゃなかったら、もっと大きいものを出すつもりだったのになぁ・・・」
彼は入院中で、まだ自分の作品が飾られているのを見に行っていないらしい。
―――見に行こうかな。
時間が作れるかどうか不明だったが、どうにか、
深夜明けの日の夕方なら、行けるだろうとふんでいるキャベツ。
というわけで、ひさびさに、国立新美術館に行きましょか。
***************
ほんじつのひとこと。
『そこでヨブよ。
どうか、私の言い分を聞いてほしい。
私のすべてのことばに耳を傾けてほしい。
・・・・・・・
実に、神にとって、私はあなたと同様だ。
私もまた粘土で形(かたち)造(づく)られた。
・・・・・・・
聞け。私はあなたに答える。
このことであなたは正しくない。
神は人よりも偉大(いだい)だからである。
なぜ、あなたは神と言い争うのか。
自分のことばに
神がいちいち答えてくださらないといって。
神はある方法で語られ、
また、ほかの方法で語られるが、
人はそれに気づかない。
・・・・・・・
神は人のたましいが、
よみの穴に、はいらないようにし、
そのいのちが槍で滅びないようにされる。』
(旧約聖書・ヨブ記 33章1-18節)
そう言いたくなる局面はあるんだ。ただ、その前に・・・
それを取り次ぐ者が、伝えることをよく吟味しなければならないわけで。
みことばそれ自身、福音それ自体に人がつまづくのは仕方がない。
だが、
それを取り次ぐ者-公で語る語らないにかかわらずすべてのキリストにある者-の、
言動不一致や、みことばの内容と自分の語っていることの相違があったり、
あいまいなことを断定したり、
物事を思い込みで語ったり判断したり、
自分自身を欺くことがあった場合、
良くて失笑、
時には「口ではいいことを言っているけれど・・・」と憤慨させたり
-いや、憤慨してくれるほうが、まだいい。-
することを、見聞きし、その都度、つらかった。
もちろん、多くの方々はそうではないだろう。
だが、そう見聞きした自分自身は、というと、
そのかいもなく、やはり甘えてばかりいるわけで、
日々切磋琢磨していかなければ、と
思うのみ。