5日目 アテネ<バス>メテオラ<バス>アテネ
[午前]世界遺産メテオラの修道院観
メテオラの修道院は、ビザンチン時代後期およびトルコ時代には、
迫害を受けたキリスト教修道僧たちの聖域でした。
彼らはこの不毛の人を寄せつけない高さ400mもの岩山に、
ビザンチン芸術の中心を築き上げたのです。その歴史は、11世紀に始まります。
しかし、既に9世紀頃より隠者たちが岩の割れ目や洞窟に住み着いていました。
そして時代とともに修行僧の数が増え、僧院が建てられるようになったのです。
15世紀から16世紀にかけて最盛期には24を数えた修道院も、
今日では5つの修道院にしか人が住んでいません。
これら修道院と、それを支える奇岩群が織りなす景観はまさに幻想的で、
世界中からの観光客を引きつけて止みません。
ヴァラーム修道院です。
隠遁者ヴァルラアムが建造した隠遁所跡に、1517年にイオアニナの裕福な一族出身の
兄弟修道士テオファニスとネクタリオスによって、建てられた修道院です。
付属の諸聖人教会堂のフレスコ画は、聖人伝画家フランコ・カテラノが1548年に描きました。
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メテオラは9世紀頃から隠者等が、岩の割れ目や洞窟に住みついて、
宗教を守り抜いていました。
この頃、地中海沿岸地域ではキリスト教は迫害されていました。
メテオラの原語メテオランは“空中に浮いている”という意味です。
ビザンチン時代後期の11世紀頃、セルビア王国や、つづくオスマン帝国時代に、
戦乱や異教徒迫害を避けるため、多くの修行僧がメテオラにやってきました。
修行僧は「神との交信/合一」を求めるために、世俗との交信を一切断つ生活を行った。
メテオラの奇岩群(高さ20~600mくらい)は、こういう修行僧の聖域になり、
集団生活を行う僧院が建てられるようになりました。
統治者の保護もあり、僧院建築は15~16世に紀最盛期をむかえ、
その数は24。いづれもビサンチン様式で建てられました。
修行僧は、絶壁に垂直のハシゴを立てたり、張り出した滑車に縄袋を吊り、
これを上下させて、建築材料、食料、僧を運びました。
だがメテオラ一帯を治めていた統治者からの保護が受けられなくなってくると
(18世紀半ば~19世紀末)、修行僧は他の地に去っていきました。
今日では6つの修道院にのみにしか修行僧はいません(うちひとつは、尼僧院)。
1988年に世界遺産に登録されました。
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アギア・トリアダ修道院
際立って美しい奇岩上にあり、この岩の高さは525m。
絵ハガキなどによく使われます。
1458~1476年にかけて修道僧ドメティウスによって建造されました。
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イコンの部屋や眺めが
素晴らしいメガロ・メテオロン修道院へ。
メテオラの中で一番大きく重要な修道院です。
この修道院は多くの寄付により自治権を持ち、たくさんの貴重な美術品を所有しています。現在博物館になっている修道院の食堂や、写本や書籍が所蔵されている図書館などがあります。
その昔は梯子を繋いだり、滑車につるした網袋で修道院に登りましたが、
現在は、岩面に掘られた115段の階段を登りたどり着くことができます。
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メガロ・メテオロン修道院の壁画です。
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[午後]一路、アテネへ
★昼食はスブラキ(肉の串焼き) 朝食:ホテル
昼食:スブラキ
夕食:中華料理 アテネ
2016-03-24 19:35:09に再掲示しました。
囲碁と無我自然体 トップへすすみます。背景黒色
[午前]世界遺産メテオラの修道院観
メテオラの修道院は、ビザンチン時代後期およびトルコ時代には、
迫害を受けたキリスト教修道僧たちの聖域でした。
彼らはこの不毛の人を寄せつけない高さ400mもの岩山に、
ビザンチン芸術の中心を築き上げたのです。その歴史は、11世紀に始まります。
しかし、既に9世紀頃より隠者たちが岩の割れ目や洞窟に住み着いていました。
そして時代とともに修行僧の数が増え、僧院が建てられるようになったのです。
15世紀から16世紀にかけて最盛期には24を数えた修道院も、
今日では5つの修道院にしか人が住んでいません。
これら修道院と、それを支える奇岩群が織りなす景観はまさに幻想的で、
世界中からの観光客を引きつけて止みません。
ヴァラーム修道院です。
隠遁者ヴァルラアムが建造した隠遁所跡に、1517年にイオアニナの裕福な一族出身の
兄弟修道士テオファニスとネクタリオスによって、建てられた修道院です。
付属の諸聖人教会堂のフレスコ画は、聖人伝画家フランコ・カテラノが1548年に描きました。
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メテオラは9世紀頃から隠者等が、岩の割れ目や洞窟に住みついて、
宗教を守り抜いていました。
この頃、地中海沿岸地域ではキリスト教は迫害されていました。
メテオラの原語メテオランは“空中に浮いている”という意味です。
ビザンチン時代後期の11世紀頃、セルビア王国や、つづくオスマン帝国時代に、
戦乱や異教徒迫害を避けるため、多くの修行僧がメテオラにやってきました。
修行僧は「神との交信/合一」を求めるために、世俗との交信を一切断つ生活を行った。
メテオラの奇岩群(高さ20~600mくらい)は、こういう修行僧の聖域になり、
集団生活を行う僧院が建てられるようになりました。
統治者の保護もあり、僧院建築は15~16世に紀最盛期をむかえ、
その数は24。いづれもビサンチン様式で建てられました。
修行僧は、絶壁に垂直のハシゴを立てたり、張り出した滑車に縄袋を吊り、
これを上下させて、建築材料、食料、僧を運びました。
だがメテオラ一帯を治めていた統治者からの保護が受けられなくなってくると
(18世紀半ば~19世紀末)、修行僧は他の地に去っていきました。
今日では6つの修道院にのみにしか修行僧はいません(うちひとつは、尼僧院)。
1988年に世界遺産に登録されました。
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アギア・トリアダ修道院
際立って美しい奇岩上にあり、この岩の高さは525m。
絵ハガキなどによく使われます。
1458~1476年にかけて修道僧ドメティウスによって建造されました。
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イコンの部屋や眺めが
素晴らしいメガロ・メテオロン修道院へ。
メテオラの中で一番大きく重要な修道院です。
この修道院は多くの寄付により自治権を持ち、たくさんの貴重な美術品を所有しています。現在博物館になっている修道院の食堂や、写本や書籍が所蔵されている図書館などがあります。
その昔は梯子を繋いだり、滑車につるした網袋で修道院に登りましたが、
現在は、岩面に掘られた115段の階段を登りたどり着くことができます。
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メガロ・メテオロン修道院の壁画です。
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[午後]一路、アテネへ
★昼食はスブラキ(肉の串焼き) 朝食:ホテル
昼食:スブラキ
夕食:中華料理 アテネ
2016-03-24 19:35:09に再掲示しました。
囲碁と無我自然体 トップへすすみます。背景黒色
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