mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

ルーマニアの秋、ドラキュラのモデルとなったブラン城

2016年12月12日 | 旅行記
 前回のブログでは、ブラン城の入口までをお伝えしました。
 まず、ドラキュラのモデルとなったブラン城の場所ですが、ブルガリアの国境方面が南と考えていただいて、南のシナイアと北のシギショアラの間にあるブチェジュ山麓のブランという村にあります。

 それにしても、小生も若いころは、テレビでドラキュラをよく見ていましたが、その舞台となるところに自分が行くとは思いもしませんでした。
 というより、モデルの城がルーマニアにあること自体を知りませんでした。
 などという小生の独り言はさておいて、旅行雑誌では、この城のことを次のように説明しています。

 この城は、1377年、ドイツ商人がワラキア平原からブラショフに入ってくるオスマン朝群をいちはやく発見するために築いたとされる。
 14世紀には、ワラキア公ュヴラド1世がここを居城とした。ドラキュラのモデル、ヴラド・ツェベシュ(串刺し公)の祖父にあたる。
 現在はルーマニア国王フェルナンド1世の末裔に返還されたが、博物館として開放しており、王の執務室などたくさんの部屋が見学可能になっている。

 でも、これもよく勉強しないと、何を言いたいのか理解しずらいと思います。
 この文章から小生が考えますと、テレビで何度も見たドラキュラは3代目ということになると思います。また、3代目の後がどうなったのかは分かりませんが…
 初代からと3代目が分かっていますので、2代目ですが、1431年から1435年までシギショアラに幽閉されていたヴラド・ドラクルという方だそうです。

 ところで、このドラキュラのモデルとなった3代目の王様は、人間を串刺しにする刑を実施したそうですが、こういう残忍なな話を聞きますと、この人がモデルになったのもやむを得ないのかも知れませんね。

 さて、ドラキュラの話が長くなってしまいましたが、まず、前回も掲載した門の様子をご覧ください。

 <入口の門がある広場にて>


  <広場のお土産店>

 広場には多くの店が並び、大勢の観光客でごった返していました。
 門から中に入りますと、案内の看板がありました。

 <構内の案内看板>

 ここから中に入りますと、坂道になっている城への進入路があり、あたりは鬱蒼と茂った黄葉の樹木と瓦葺の苔むした屋根が印象的な平屋の建物などが間に飛び込んできました。

 <敷地内の黄葉した樹木>


 <苔むした建物>

 お城に入って、中から外を見ますと、お城の建物の配置や近辺の山々などを見ることができました。

 <城の建物>


 <同じく三角屋根>


 <緑のブラン城近辺の山々>

 この建物は、先ほど博物館になっているといいましたが、絵画や彫刻などが展示されていました。

 <展示品の数々>











 こうして、お城の中を見学して出入り口に戻りましたが、その時に見えた苔むした家屋と黄葉した落ち葉に集まる子供たちの写真をご覧ください。

 <苔むした家屋>


 <落ち葉で遊ぶ子供たち>

 最後に門を出てから撮影したお城の遠景をご覧ください。

 <黄葉に染まるブラン城>

 この後は、お城が見えるレストランCASA DI BRANで昼食です。
 味の方は、全体に「イマイチ」だったのですが、メインの「名物サマーレ サワークリーム添え」をご覧ください。

 <名物サマーレ サワークリーム添え>


 昼食が終わりますと、中世の街並みを残す美しい古都ブラショフに向かいます。
 その模様は、次回レポートしします。

 では、またお会いしましょう!