<ロンドンのビッグベン>
昨日、久しぶりにこのブログに記事を書いていましたら、70歳を迎えると、健康面ばかりではなく、人生の先が見えてくるのか?人の生き様が気になってきました。
そうした中で、近所の本屋さんで気になっていた本を読んでいます。
NHKの「あさイチ」で元厚生事務次官の村木厚子さんが紹介!「この本に救われました」という「一日一生」という本です。
著者は、天台宗大阿闍梨の酒井雄哉さんです。
その第1章が「一日一生」となっていて、この章には、8つの題名のような言葉が書かれています。
今日の記事は、その最初の言葉を紹介したいと思います。
「一日が一生、と思って生きる」
行に入ると、毎朝毎朝、草鞋を履いて出て行く。登りが10キロ。わりと平坦な道が10キロ、下りが10キロの道を毎日ぐるぐる歩く。そうして一日山を歩き通して帰ってくると、、草履がくたびれてボロボロになっている。翌日はまた、新しい草履を履いていかないといけない。
それを毎日毎日、繰り返していたら、ある時、草履が自分に見えてきたんだ。
草履はボロボロになっちゃった。もし自分が草履だったら、今日でおしまいなんだなあって。明日になるとまた新しい草履を履く。それは、また生まれ変わるみたいだなあって。一日が終わって、また生まれ変わる。草履も人間も同じなんじゃないかなって。
山の中をトットコトットコ歩いてる時は、動きの世界。一日履いた草履を脱いで、お経を上げたり、横になったりしている時は、静かな世界だ。静かな世界が終わると、朝になり、また動きの世界が始まる。動と静というのは背中合わせ。動があるから靜があり、靜があるから動がある。
人生で置き換えるなら、「動」というのは生きること。「靜」というのは死の世界。生まれるから死んで、死ぬからまた生まれる。
今日の自分は草履を脱いだ時におしまい。そこからは明日生まれ変わるために、一生懸命反省すればいい。復習するわけだな。今日はなぜこういう悪いことがあったのか。じゃあ明日は二度と再び同じことは起こらないように努力しましょうって・・・・・。
そしてまた、新しく蘇って出て行く。今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。
一日が一生、だな。今日失敗したからって、へなへなすることはない。落ち込むこともない。明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない。
それには、今日を大切にしなかったら、明日はありませんよっていうことでもある。今が一番大切だってことだよ。
今自分がやっていることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないのかな。
というものです。
最初の方を読んでいますと「何じゃ!これは?」と思いましたが、副題のように「一日が一生と思って生きることが大切なんだ」と言いたいのだと思います。
小生などは、一日一日を大切に生きていないのでは?と反省したものです。
さて、この次のページですが、「身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す」になっています。
そして次のページでは「仏さんは、人生を見通している」となり、続いて「足が疲れたなら、肩で歩けばいい」、「ありのままの自分としかった向き合い続ける」、「人からすごいと思われなくたっていいんだよ」、「「一日」を中心に生きる」、「人は毎日、新しい気持ちで出会える」となって第一章が終わります。
小生のような凡人でも「なるほど!」と同感したり励まされる内容になっていると感じました。
なお、この本の続編である「続一日一生」という本が並んでいましたので、あわせて購入しました。
小生の独断と偏見で「これは面白い!」と感じましたら、またこのブログで紹介したいと思います。
それでは、今日はこれで失礼いたします。
巻頭写真は、2016年の5月に訪問したロンドンです。
昨日、久しぶりにこのブログに記事を書いていましたら、70歳を迎えると、健康面ばかりではなく、人生の先が見えてくるのか?人の生き様が気になってきました。
そうした中で、近所の本屋さんで気になっていた本を読んでいます。
NHKの「あさイチ」で元厚生事務次官の村木厚子さんが紹介!「この本に救われました」という「一日一生」という本です。
著者は、天台宗大阿闍梨の酒井雄哉さんです。
その第1章が「一日一生」となっていて、この章には、8つの題名のような言葉が書かれています。
今日の記事は、その最初の言葉を紹介したいと思います。
「一日が一生、と思って生きる」
行に入ると、毎朝毎朝、草鞋を履いて出て行く。登りが10キロ。わりと平坦な道が10キロ、下りが10キロの道を毎日ぐるぐる歩く。そうして一日山を歩き通して帰ってくると、、草履がくたびれてボロボロになっている。翌日はまた、新しい草履を履いていかないといけない。
それを毎日毎日、繰り返していたら、ある時、草履が自分に見えてきたんだ。
草履はボロボロになっちゃった。もし自分が草履だったら、今日でおしまいなんだなあって。明日になるとまた新しい草履を履く。それは、また生まれ変わるみたいだなあって。一日が終わって、また生まれ変わる。草履も人間も同じなんじゃないかなって。
山の中をトットコトットコ歩いてる時は、動きの世界。一日履いた草履を脱いで、お経を上げたり、横になったりしている時は、静かな世界だ。静かな世界が終わると、朝になり、また動きの世界が始まる。動と静というのは背中合わせ。動があるから靜があり、靜があるから動がある。
人生で置き換えるなら、「動」というのは生きること。「靜」というのは死の世界。生まれるから死んで、死ぬからまた生まれる。
今日の自分は草履を脱いだ時におしまい。そこからは明日生まれ変わるために、一生懸命反省すればいい。復習するわけだな。今日はなぜこういう悪いことがあったのか。じゃあ明日は二度と再び同じことは起こらないように努力しましょうって・・・・・。
そしてまた、新しく蘇って出て行く。今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。
一日が一生、だな。今日失敗したからって、へなへなすることはない。落ち込むこともない。明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない。
それには、今日を大切にしなかったら、明日はありませんよっていうことでもある。今が一番大切だってことだよ。
今自分がやっていることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないのかな。
というものです。
最初の方を読んでいますと「何じゃ!これは?」と思いましたが、副題のように「一日が一生と思って生きることが大切なんだ」と言いたいのだと思います。
小生などは、一日一日を大切に生きていないのでは?と反省したものです。
さて、この次のページですが、「身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す」になっています。
そして次のページでは「仏さんは、人生を見通している」となり、続いて「足が疲れたなら、肩で歩けばいい」、「ありのままの自分としかった向き合い続ける」、「人からすごいと思われなくたっていいんだよ」、「「一日」を中心に生きる」、「人は毎日、新しい気持ちで出会える」となって第一章が終わります。
小生のような凡人でも「なるほど!」と同感したり励まされる内容になっていると感じました。
なお、この本の続編である「続一日一生」という本が並んでいましたので、あわせて購入しました。
小生の独断と偏見で「これは面白い!」と感じましたら、またこのブログで紹介したいと思います。
それでは、今日はこれで失礼いたします。
巻頭写真は、2016年の5月に訪問したロンドンです。
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