病み上がりのジュリー
1980年4月15日 過労・ストレスによる胃潰瘍のため
(31歳) 世田谷区の小倉病院で35日間の闘病生活
YouTube動画で ワイドショーその2 ワイドショーその3 で
検索すると 見られる
【リクエストによる埋め込み無効】になっているで貼り付けは不可)
退院後 ライブ 5/24横浜スタジアム 5/31万博お祭り広場
あと もう一個 何か選んで発表します
自主学習
楽曲提供 田中裕子
作詞 松本一起 作曲 沢田研二
チャイナドール 1986年 シングルEP
作詞 沢田研二 作曲 沢田研二
プリマドンナ 1986年 アルバム「泳いでる…」収録
リラの男 1986年 同
作詞 阿久悠 作曲 沢田研二
夢飾り 1987年 アルバム「女が男を愛せる瞬間」収録
ロマンチストは肩身がせまい シングルEP「純愛のススメ」B面
不倫なのかあ… きゃっ すてき
てゆうか
1975年12月 東京駅新幹線ホーム 1976年5月 いもジュリー事件
続けて2回あった暴力事件が すごく恥ずかしかったって って言ってて
こんなに 恥ずかしい思いをしたのだから もう何も恥ずかしいことはない
と思って それからの仕事を やっていった
事件後 休んでいたのも 事務所から言い渡された謹慎ではなくて
自分の判断で休んだ
多くの芸能人が いろんな問題を起こして ファンをがっかりさせているけど
沢田研二は その後ほかに 問題が見当たらない
2007年の交通事故の時も ちゃんとしてるし これだったら
わたしが ジュリーの車にぶつかりたかった
実に品行方正 それも ただ一生懸命仕事をし続けてきた結果
そうなっているだけ
kさんが にわかに集めた 少ない情報による
勝手な分析ではありますが
やっぱり 沢田研二 好き 勝手に好き
1980年4月15日 過労・ストレスによる胃潰瘍のため
(31歳) 世田谷区の小倉病院で35日間の闘病生活
YouTube動画で ワイドショーその2 ワイドショーその3 で
検索すると 見られる
【リクエストによる埋め込み無効】になっているで貼り付けは不可)
退院後 ライブ 5/24横浜スタジアム 5/31万博お祭り広場
あと もう一個 何か選んで発表します
自主学習
楽曲提供 田中裕子
作詞 松本一起 作曲 沢田研二
チャイナドール 1986年 シングルEP
作詞 沢田研二 作曲 沢田研二
プリマドンナ 1986年 アルバム「泳いでる…」収録
リラの男 1986年 同
作詞 阿久悠 作曲 沢田研二
夢飾り 1987年 アルバム「女が男を愛せる瞬間」収録
ロマンチストは肩身がせまい シングルEP「純愛のススメ」B面
不倫なのかあ… きゃっ すてき
てゆうか
1975年12月 東京駅新幹線ホーム 1976年5月 いもジュリー事件
続けて2回あった暴力事件が すごく恥ずかしかったって って言ってて
こんなに 恥ずかしい思いをしたのだから もう何も恥ずかしいことはない
と思って それからの仕事を やっていった
事件後 休んでいたのも 事務所から言い渡された謹慎ではなくて
自分の判断で休んだ
多くの芸能人が いろんな問題を起こして ファンをがっかりさせているけど
沢田研二は その後ほかに 問題が見当たらない
2007年の交通事故の時も ちゃんとしてるし これだったら
わたしが ジュリーの車にぶつかりたかった
実に品行方正 それも ただ一生懸命仕事をし続けてきた結果
そうなっているだけ
kさんが にわかに集めた 少ない情報による
勝手な分析ではありますが
やっぱり 沢田研二 好き 勝手に好き
どんな主婦だあ
そうかあ 田中裕子 拒否かあ
わたしは ザ・ピーナッツ姉伊藤エミさん
の方が あんまり 年上で なんで?!って
思った気がする
不倫が いやだったんだね
わたしは 一般人だったから
別に だったんだな
ワイドショー3 5月24日横浜球場ライブで
4月13日 自覚症状があり 二日間七転八倒し 痛み止めを打ってもらったけど
薬で抑えるのが嫌い 癖になるのがいや
と言っている
ここにも 沢田研二の
強い信念がうかがい知れて 好きになる
だから 沢田研二の お話が好き
あけましておめでとうございます。
今年もよろしゅ~お願い申し上げます
まだ皆寝てる
新年早々パソコンチェック…どんな主婦だ
8月以降YouTubeで彷徨う時あったから
コレ知ってる→胃潰瘍(ワイドショーその2・3)
横浜スタジアムでの野外ライブビデオを
(またまた)ジュリ友から借りて見た。
すんごい痩せてて痛々しいお姿でした。
「無理してやってたんだなぁ~」と思った。
私が結婚した1980年。
ライブ行ってないんだな…きっと。
バッドチューニング・アンドロメダ・ミュータント…
何か私には興味のない宇宙っぽい…
異次元の沢田研二やったんや
ココから汚い?怖い?化粧のジュリーへと
化して行った
六番目のユウウツ…とかも苦手。
晴れのちブルーボーイも苦手。
1975年12月 東京駅新幹線ホーム
1976年5月 いもジュリー事件
↑コレはファン真っ最中
まだ10代だったから(20才前後)ショック受けた。
でもこれを契機に再出発ジュリーしたんやね。
「さよならをいう気もない」
伝説の金キャミ
テレビでもライブでも見た
本当に妖艶なキレイな艶やかなジュリー。
私の中でのジュリー第二黄金期
(ちなみに第一黄金期は危険なふたり
の頃の、思春期真っ最中の高校生時代)
そうなんや…こうやって私の歴史を紐解いてみると
1967~TG・PYG時代は
単にテレビで見るだけのジュリー
1974~ロックンツアーが始まった頃から
本当に沢田研二の真髄を知り
男性としてスキになったのかも
まだまだ研究の余地あるなぁ…
ゴメンナサイ。年表は未着手です
コレ→楽曲提供・田中裕子…興味ないし・拒否
どうも「田中裕子」って文字がキライみたい
新年早々…とりとめも無く…すまぬ