19世紀には、金沢八景は、庶民が遊山に来るところだったそうです。なので浮世絵にもなりました。安藤広重の有名な作品です。今、歩くとどうなんだろうと思い、12月17日(日)行ってみました。
〇 「小泉夜雨(こいずみのやう」
小泉は、今の手子神社付近だということで、まずは、手子神社に言ってみました。
この辺りなのか全く解りません。
〇 「平潟落雁(ひらがたのらくがん)」
絵には、平潟での潮干狩りが描かれていますが、今は平潟プロムナードになっているようです。
上の写真の奥の小高いのが野島です。
〇 「内川暮雪(うちかわのぼせつ)」
今の侍従川の付近ではないかと言われているそうです。侍従川は下の写真です。
安藤広重の絵は、塩田に雪が降っているのだそうです。
〇 「乙舳帰帆(おつとものきはん)」
「この辺りかな。」と思い、撮影しました。左手が乙舳グランドだと思います。
かなり埋め立てられてしまったようです。
〇 「野島夕照(のじまのせきしょう)」
今は陸続きになっていますが、安藤広重が絵を描いたころは、本当に島だったそうです。トップの写真です。
〇 「須崎晴嵐(すざきのせいらん」
絵では、瀬戸橋付近の松林が描かれているとのことです。下の写真は須崎公園です。
公園から平潟湾を眺めたのが下の写真です。
なかなかいい景色だと思いました。
〇 「称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)」
今は埋め立てられ、一部は海の公園になっているそうです。海の公園に行ってみました。
「こちらの方角が描かれているのかな。」と思い、撮影しました。
ウィンドサーフィンをしている人がいました。安藤広重の絵に描かれている、山にある建物は、「称名寺」でしょうか。
〇 「瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)」
昔は、瀬戸橋付近には料亭が多くあったそうです。今は、多くは釣り船屋さんです。
その事を物語る「明治憲法起草の地」の案内が有ります。
18887年(明治20年)6月ころより、ここにあった料亭「東屋」に伊藤博文、伊東巳代治、金子堅太郎、井上毅が集まり、草案が練られたそうです。
かなりの年月が経っているので、「それなりの美しさはある。でも、絵との関係はあまりよく解らんな(下調べが甘かったかな)。」と思います。
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