家族を語るなんてどうよ・・・であるが
最近 ありのまま
浮かぶまま 自然体に・・・がモットーなため
こんなことに なった(笑)
別に参考にとか 教訓にとか まるでないので
書き流すだけである
そして 根本的に 母として 母業があるとすれば
産んだことだけは 事実だが
自分は一緒に 時間を生きただけなのだと 先に宣言しておく
へりくだりではなく 本当のことだから
長男について
結婚してからも 数年間は 働いていたのだが
子供を授かることは
自然で簡単なことだと なぜか思い込んでいて
若いころは 本当に何もわかっていないことだらけだった(今もか)
若く結婚したため 親戚からは、会うたび 子供はまだか まだかと
言われることが 増え
さすがに だんだん イラッとするくらいになったころ
人に言われるからではなく もちろん 自分たちの意志で
そろそろ 子育ての時期に入ってもいいかと考えはじめた
しかし いざ 簡単には 妊娠しないのであった
はじめは もちろん のんびりしていたのだが
半年をすぎるくらいから 生理が来るごとに 焦りはじめ
だんだん 悲しく つらくなってきた
生理がくることに 涙するように なってしまったころ
ふと 自然体になろう と 思う瞬間があった
無理なら無理で 楽しく人生を過ごそうと自分でそう思えて
心が解放される瞬間があった
その後 不思議なもので
その心を待ってたよ という感じで 息子を授かった
そして なぜだかわからないけど
すごい パワーの持ち主が 生まれてくるよ!という 知らせがあった
頭に 勝手に浮かんだ感じだけなので うまく説明できない
先にことわって おくが 成長した息子は 普通の?人である
ただ なんだか 覚悟しておきなさいと(たぶん自分が へたれだからか)
浮かんだのも 無理からぬことかもしれない
お腹から 心配になって 息子が 母に 頼むぜ!ということだったのかもしれない
あまりに 母が 天然ぼわーっと 生きているものだから
慎重派の息子は 気が気でなかったのだろう
そして 息子は生まれてきた
十月十日を十日ばかりも過ぎて・・・・
あまりに出てこないので どんだけ心配したか・・・
慎重派を物語る 生まれっぷりであった
しかも 腹の中での成長に万全を期したかったのか
3200グラムというデカさ(我が家一番である)
なのに・・・今では兄弟一、小さくなりかねない危険ゾーンに突入中である
長男172センチ 娘171センチ 次男181センチ
まあ しょうがない
長男は そのころの流行でもあった 無痛分娩で生まれた
姑の指示でその産院だったため そうなった
ただ 次男からは 自分で選択して決めた
だんだん 自分も 少しずつ 強くなっていったのだ
話は戻るが 長男は
とんでもなく 活発な子だった
人に対して 乱暴なことをすることは 全くなかった
ただ・・・エネルギーがたくさんあるため
常に動いていた
同じ赤ちゃん同士で 公園で遊ばせていても
なかなか一緒には遊べない
母同士の会話もできない
なぜか・・というと
興味の対象の方へ 次々と息子が移動してしまうため
常に 母は 息子の後を 必死で追いかけるので
全て自分の友人との話が途中になってしまうのだった
子供らしいといえば そうかもしれないが
自分は じっとしているタイプなため
自分から生まれてきたとは思えないほどの 違和感を常に持ちながら
息子を理解できず 途方にくれて眺めていた・・・・
彼にとっては たぶん無理解な母から 生まれてしまったのだから お気の毒だった
だけど わたしの友人とか
エネルギーありありのため
うちの長男を理解し、解説してくれたりするので 非常に助かった
持つべきものは 違う視点である
しかし、その友人の子供は静かで
一緒に公園で食事をしても、じっともくもくと食べている
だけどその子はその子で静かだけどパワフルで起きているため
睡眠時間が少ないのがその友人の悩みだった
ひとりひとり、子供のタイプもいろいろである
うちは一口口に入れたら 待ちきれず走り去っていく
食べることより 興味あることに飛んでいくために・・・・
食べてから遊んでほしいと願う母とは噛みあわないのであった
わたしから 生まれたのかしら?
よく そんなことを 思ったものだ
全く・・・母としてのダメダメ度がお分かりだと思う
ただでさえ 自信がない初めての子育てが自分には全く推測の範疇を超える行動をとられると
対応できない 思考ストップだった
はぁ~ はぁ~ ためいきつきながら 追いかける
じっとしてね とかいってももちろん無理
今から思えば 自分の力量不足だっただけで 子供らしかっただけなのに気の毒な長男だった
幼稚園に3年保育で入ってからは ようやくのびのびと
思い切り遊びまわれる状況になり
親子ともども よかったぁ~~な生活に入った
自分は 子供のころは ゴムとび、ドッジボール、ブランコ、もちろん 外で
飛び跳ねて遊んでいたが
母になり、いざ幼い子供と同じ目線で相手になって遊んでやる・・・ということが苦手だった
ふりかえれば 自分の母とも
そんな感じに遊んだ記憶はなくて
思い浮かぶのは 読書している母の姿ばかりである
たまに お手玉してくれたな
たまに あやとりしてくれたな
たまに おはじきしてくれたな
女の子の遊びだ
自分の育ち方も十分影響していると今はわかる
シャイな自分に比べて
長男は生まれつき 声が大きい それも母には恥ずかしく
目立ってしまうのが 困って困って困っていた
どうして長所だとほめてあげなかったのか 今は悔やまれる
ダメ母の所以である
舞台で学年を代表して 暗記した長文を挨拶として発表しなければならないことがあり
紙も持たず暗記だけでやりきったこともあった
そのときには さすがに感心した すごいねって思った
勉強も自分よりずっと頑張っていた それもすごいねって思った
そんな長男だが 小学校高学年になるころから
だんだん 普通に 静かに?なっていき
声の大きさは変わっていないが
それほど 他より突出する場面もなくなっていった
思春期にエネルギーが変化していったためか・・・・
スポーツに転換させてあげられなかった自分のフォローミスか・・・
いったん卓球部に入ったが 自分でやめてしまったしな・・・
そしてなぜか そのエネルギーは スポーツには向けられず
アニメやら パソコンやら 音楽やらに消費されて今にいたる
不思議なものである もちろん勉学にも励んでいた。
今も 笑い声は家中に響き渡り大迷惑だが
運動エネルギーは カラオケやコンサート、自転車等で発散されていたりする
長男なのに なんだか 母が絶句や とまどいの中にあるうちに・・・・
しょうがないなぁ・・・・と勝手に育ってくれた気がするのである
次々 下も生まれたし 手伝いもしてもらったし お兄ちゃんは偉いよだった
成長とともに 受験だなんだで 心配もしたが
気付けば もう大きくなって彼女までいる年齢になっている
はしょりすぎだが(笑)子供が自分で大きくなってくれた・・・としかいいようがない
おむつは替えたし、乳もくれたが 育てた認識はあまりない(+_+)
母らしくない母だ・・・という自覚だけはある自分である
何はともあれ 元気に 生きていてくれるだけで ありがたいと思う昨今である
写真だけは長男が一番たくさん持っていることだけは、親らしかったか・・・
最近 ありのまま
浮かぶまま 自然体に・・・がモットーなため
こんなことに なった(笑)
別に参考にとか 教訓にとか まるでないので
書き流すだけである
そして 根本的に 母として 母業があるとすれば
産んだことだけは 事実だが
自分は一緒に 時間を生きただけなのだと 先に宣言しておく
へりくだりではなく 本当のことだから
長男について
結婚してからも 数年間は 働いていたのだが
子供を授かることは
自然で簡単なことだと なぜか思い込んでいて
若いころは 本当に何もわかっていないことだらけだった(今もか)
若く結婚したため 親戚からは、会うたび 子供はまだか まだかと
言われることが 増え
さすがに だんだん イラッとするくらいになったころ
人に言われるからではなく もちろん 自分たちの意志で
そろそろ 子育ての時期に入ってもいいかと考えはじめた
しかし いざ 簡単には 妊娠しないのであった
はじめは もちろん のんびりしていたのだが
半年をすぎるくらいから 生理が来るごとに 焦りはじめ
だんだん 悲しく つらくなってきた
生理がくることに 涙するように なってしまったころ
ふと 自然体になろう と 思う瞬間があった
無理なら無理で 楽しく人生を過ごそうと自分でそう思えて
心が解放される瞬間があった
その後 不思議なもので
その心を待ってたよ という感じで 息子を授かった
そして なぜだかわからないけど
すごい パワーの持ち主が 生まれてくるよ!という 知らせがあった
頭に 勝手に浮かんだ感じだけなので うまく説明できない
先にことわって おくが 成長した息子は 普通の?人である
ただ なんだか 覚悟しておきなさいと(たぶん自分が へたれだからか)
浮かんだのも 無理からぬことかもしれない
お腹から 心配になって 息子が 母に 頼むぜ!ということだったのかもしれない
あまりに 母が 天然ぼわーっと 生きているものだから
慎重派の息子は 気が気でなかったのだろう
そして 息子は生まれてきた
十月十日を十日ばかりも過ぎて・・・・
あまりに出てこないので どんだけ心配したか・・・
慎重派を物語る 生まれっぷりであった
しかも 腹の中での成長に万全を期したかったのか
3200グラムというデカさ(我が家一番である)
なのに・・・今では兄弟一、小さくなりかねない危険ゾーンに突入中である
長男172センチ 娘171センチ 次男181センチ
まあ しょうがない
長男は そのころの流行でもあった 無痛分娩で生まれた
姑の指示でその産院だったため そうなった
ただ 次男からは 自分で選択して決めた
だんだん 自分も 少しずつ 強くなっていったのだ
話は戻るが 長男は
とんでもなく 活発な子だった
人に対して 乱暴なことをすることは 全くなかった
ただ・・・エネルギーがたくさんあるため
常に動いていた
同じ赤ちゃん同士で 公園で遊ばせていても
なかなか一緒には遊べない
母同士の会話もできない
なぜか・・というと
興味の対象の方へ 次々と息子が移動してしまうため
常に 母は 息子の後を 必死で追いかけるので
全て自分の友人との話が途中になってしまうのだった
子供らしいといえば そうかもしれないが
自分は じっとしているタイプなため
自分から生まれてきたとは思えないほどの 違和感を常に持ちながら
息子を理解できず 途方にくれて眺めていた・・・・
彼にとっては たぶん無理解な母から 生まれてしまったのだから お気の毒だった
だけど わたしの友人とか
エネルギーありありのため
うちの長男を理解し、解説してくれたりするので 非常に助かった
持つべきものは 違う視点である
しかし、その友人の子供は静かで
一緒に公園で食事をしても、じっともくもくと食べている
だけどその子はその子で静かだけどパワフルで起きているため
睡眠時間が少ないのがその友人の悩みだった
ひとりひとり、子供のタイプもいろいろである
うちは一口口に入れたら 待ちきれず走り去っていく
食べることより 興味あることに飛んでいくために・・・・
食べてから遊んでほしいと願う母とは噛みあわないのであった
わたしから 生まれたのかしら?
よく そんなことを 思ったものだ
全く・・・母としてのダメダメ度がお分かりだと思う
ただでさえ 自信がない初めての子育てが自分には全く推測の範疇を超える行動をとられると
対応できない 思考ストップだった
はぁ~ はぁ~ ためいきつきながら 追いかける
じっとしてね とかいってももちろん無理
今から思えば 自分の力量不足だっただけで 子供らしかっただけなのに気の毒な長男だった
幼稚園に3年保育で入ってからは ようやくのびのびと
思い切り遊びまわれる状況になり
親子ともども よかったぁ~~な生活に入った
自分は 子供のころは ゴムとび、ドッジボール、ブランコ、もちろん 外で
飛び跳ねて遊んでいたが
母になり、いざ幼い子供と同じ目線で相手になって遊んでやる・・・ということが苦手だった
ふりかえれば 自分の母とも
そんな感じに遊んだ記憶はなくて
思い浮かぶのは 読書している母の姿ばかりである
たまに お手玉してくれたな
たまに あやとりしてくれたな
たまに おはじきしてくれたな
女の子の遊びだ
自分の育ち方も十分影響していると今はわかる
シャイな自分に比べて
長男は生まれつき 声が大きい それも母には恥ずかしく
目立ってしまうのが 困って困って困っていた
どうして長所だとほめてあげなかったのか 今は悔やまれる
ダメ母の所以である
舞台で学年を代表して 暗記した長文を挨拶として発表しなければならないことがあり
紙も持たず暗記だけでやりきったこともあった
そのときには さすがに感心した すごいねって思った
勉強も自分よりずっと頑張っていた それもすごいねって思った
そんな長男だが 小学校高学年になるころから
だんだん 普通に 静かに?なっていき
声の大きさは変わっていないが
それほど 他より突出する場面もなくなっていった
思春期にエネルギーが変化していったためか・・・・
スポーツに転換させてあげられなかった自分のフォローミスか・・・
いったん卓球部に入ったが 自分でやめてしまったしな・・・
そしてなぜか そのエネルギーは スポーツには向けられず
アニメやら パソコンやら 音楽やらに消費されて今にいたる
不思議なものである もちろん勉学にも励んでいた。
今も 笑い声は家中に響き渡り大迷惑だが
運動エネルギーは カラオケやコンサート、自転車等で発散されていたりする
長男なのに なんだか 母が絶句や とまどいの中にあるうちに・・・・
しょうがないなぁ・・・・と勝手に育ってくれた気がするのである
次々 下も生まれたし 手伝いもしてもらったし お兄ちゃんは偉いよだった
成長とともに 受験だなんだで 心配もしたが
気付けば もう大きくなって彼女までいる年齢になっている
はしょりすぎだが(笑)子供が自分で大きくなってくれた・・・としかいいようがない
おむつは替えたし、乳もくれたが 育てた認識はあまりない(+_+)
母らしくない母だ・・・という自覚だけはある自分である
何はともあれ 元気に 生きていてくれるだけで ありがたいと思う昨今である
写真だけは長男が一番たくさん持っていることだけは、親らしかったか・・・
思い詰めた声で「男の子って…ああなん…?」
と未婚子なしの私に問い掛けるほど。
私は田舎育ちなので、遊ぶ年齢が幅広く、
下に弟も居て都会っ子よりちびっこを数見てましたから、
「あいつら猿やで」と言ったら、
「ウチの子普通やなかったらどうしようって悩んでた」と。
すべてが衝撃的やったそうです。
実は我が母も息子達を見て「アホかも知れん」と悩んでました
愛すればこその不安。ダメやないです。
ほんまにあかんのは「自分は絶対正しい」と思い込んでる人やと思います。
「私は子供を愛しています!完璧な母親です!」…っていう人に会うたことはないですけど、もし会うたらそっちの方が怖いです。
一人目はとくに、肩に力が入っていて、自分の客観視なんてまるでできず・・・
大昔のある日、会社の後輩(出産経験者)が我が家の赤ん坊を見に来てくれたときにも、
もくもくと無言でおむつを必死に替えることに集中しているわたしに
目を見てあげれば、笑うのに・・・って教えてくれて目の前であやしてくれました・・・ボー然 絶句の自分・・・
そんなことさえ、わかっていずに、必死に世話していたんですね(+_+)
今ではバカだね~って思えますが
自分がなんぼのもんじゃいって思えたころから
下の子供たちにいくにつれ経験値が増え肩の力は抜けていきますが
それでも、やはり、永遠に一番目は親の実験台なんですよね、初心者なんで仮免許状態なわけで・・・お気の毒です
常に未来への経験値がないことによる不安がつきものなんですよね~この先もきっと
猿かぁ・・・確かに~!
うちのこたち全員(娘も)のぼり棒一番てっぺんまで軽々いきましたもん(笑)猿ですわ!