オークランド州立大の頃から、キャサリン・ワトソン(ジュリア・ロバーツ)は“家柄より頭脳で勝負する講師”と言われ、リベラル志向で個性的な彼女が、全米で最も保守的と評判の女子大ウェルズリー大学の美術史講師の席を獲得する。そして校風に同化するのでなく、自分ならではの変化をもたらしたいという野心も抱いていた。
1953年秋、新学期が始まって最初の授業が散々な結果に終わり、学校側から次回はもっとしっかりしたものにという注文がつけられる。その散々な結果になった原因が、良家の子女だかなにか知らないが、小生意気な鼻持ちならない連中で、予習を完璧にこなし、スライド映像を次から次に解説してしまう。挙句の果てにワトソンが話している最中にも拘らず、一人の女子学生がさえぎって“お話がなければ自習します”といってワトソンの承諾も待たず退席して最大の侮辱を与える。映画は観客が「生意気な小娘め!」と思ってくれれば導入部は成功だ。
そして、ワトソンは次の授業で逆襲する。観客はほっとしてワトソンいいぞ!と心の中で叫んでいるはずだ。その授業で彼女が言いたかったのは、“絵を越えてその先にあるものを見るの、新しいアイデアに心を大きく開いて”自分というものをしっかりと理解し他人の言葉に惑わされずに見極めていくということなのだろう。大の大人でも難しいことではあるが。
今から50年前の時代背景で、このDVDのメイキング・ドキュメンタリ集に「大学の今と昔」のメニューで1953年と現在の比較数字が出ていて興味深い。
アメリカ女性の結婚年齢 1953年21歳、2003年28歳
卒業後就職する女性の割合 1953年40%、2003年95%
入学時、自分は処女だと答えた女子学生 1953年85%、2003年22%
婚前セックスを経験した女子大生 1953年24%、2003年95%
当時のウェルズリー女子大では高い教育のほかに、同じボストンにあるハーバード大の彼を見つけるのが目的だった。卒業後すぐ結婚というパターンが多く結婚年齢21歳がそれを物語っている。したがって良妻になる教育が徹底されていた。ディナーパーティのマナー、食前食後の会話術など。
主要キャストの俳優たちには2週間の合宿形式で、当時のテーブルセッティング、舞踏会のマナー、カップの持ち方やタバコの吸い方、足の組み方の作法まで教え込まれたという。二十歳位の若い女優たちが映画の主要な部分を占めていて、決して美形ではないが、クローズ・アップで捉える表情は高度な演技者への自信が窺える。
1950年代から約10年後頃から男が持つ“あるべき女性像”を崩した女性解放運動(ウーマンリブ)が始まり、1970年代に入ってピークを迎える。女性が進歩したのに比べ、男は保守性を維持したがっているように見える。この映画が「人生は選択」というテーマを扱っていながら、あまり印象に残らないのは何故なのだろう。描き方が散漫なせいなのかもしれない。
ウェルズリー女子大は、ヒラリー・クリントンの母校でもある。なるほど、夫が大統領時代、研修生のモニカ・ルインスキーとのセックス・スキャンダルにも、動じないで良妻振りを発揮したのも良妻教育の賜物か。
2003年度のこの映画の監督はマイク・ニューウェル1942年イギリス生まれ。1980年から監督業、2005年は「ハリー・ポッターと炎のコブレット」を監督。キャストジュリア・ロバーツ(キャサリン・ワトソン)1967年10月ジョージア州生まれ。キルステン・ダンスト(ベティ)1982年4月ニュージャージー州生まれジュリア・スタイルズ(ジョーン)1981年3月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。「ボーン・スプレマシー」にも出ている。マギー・ギレンホール(ジゼル)1977年11月ロスアンジェルス生まれ。ジニファー・グッドウィン(コニー)ドミニク・ウェスト(ビル)1969年イギリス、イングランドシェフィールド生まれ。ジュリエット・スティーヴンソン(アマンダ)1958年生まれ。マーシャ・ゲイハーデン(ナンシー)1959年8月カリフォルニア生まれ。「スペース・カウボーイ」「ミスティック・リバー」他があるが記憶にない。エルトン・ジョンの「The heart of every girl」がゴールデングローブ、放送映画批評家協会賞の歌曲賞でノミネートされている。
1953年秋、新学期が始まって最初の授業が散々な結果に終わり、学校側から次回はもっとしっかりしたものにという注文がつけられる。その散々な結果になった原因が、良家の子女だかなにか知らないが、小生意気な鼻持ちならない連中で、予習を完璧にこなし、スライド映像を次から次に解説してしまう。挙句の果てにワトソンが話している最中にも拘らず、一人の女子学生がさえぎって“お話がなければ自習します”といってワトソンの承諾も待たず退席して最大の侮辱を与える。映画は観客が「生意気な小娘め!」と思ってくれれば導入部は成功だ。
そして、ワトソンは次の授業で逆襲する。観客はほっとしてワトソンいいぞ!と心の中で叫んでいるはずだ。その授業で彼女が言いたかったのは、“絵を越えてその先にあるものを見るの、新しいアイデアに心を大きく開いて”自分というものをしっかりと理解し他人の言葉に惑わされずに見極めていくということなのだろう。大の大人でも難しいことではあるが。
今から50年前の時代背景で、このDVDのメイキング・ドキュメンタリ集に「大学の今と昔」のメニューで1953年と現在の比較数字が出ていて興味深い。
アメリカ女性の結婚年齢 1953年21歳、2003年28歳
卒業後就職する女性の割合 1953年40%、2003年95%
入学時、自分は処女だと答えた女子学生 1953年85%、2003年22%
婚前セックスを経験した女子大生 1953年24%、2003年95%
当時のウェルズリー女子大では高い教育のほかに、同じボストンにあるハーバード大の彼を見つけるのが目的だった。卒業後すぐ結婚というパターンが多く結婚年齢21歳がそれを物語っている。したがって良妻になる教育が徹底されていた。ディナーパーティのマナー、食前食後の会話術など。
主要キャストの俳優たちには2週間の合宿形式で、当時のテーブルセッティング、舞踏会のマナー、カップの持ち方やタバコの吸い方、足の組み方の作法まで教え込まれたという。二十歳位の若い女優たちが映画の主要な部分を占めていて、決して美形ではないが、クローズ・アップで捉える表情は高度な演技者への自信が窺える。
1950年代から約10年後頃から男が持つ“あるべき女性像”を崩した女性解放運動(ウーマンリブ)が始まり、1970年代に入ってピークを迎える。女性が進歩したのに比べ、男は保守性を維持したがっているように見える。この映画が「人生は選択」というテーマを扱っていながら、あまり印象に残らないのは何故なのだろう。描き方が散漫なせいなのかもしれない。
ウェルズリー女子大は、ヒラリー・クリントンの母校でもある。なるほど、夫が大統領時代、研修生のモニカ・ルインスキーとのセックス・スキャンダルにも、動じないで良妻振りを発揮したのも良妻教育の賜物か。
2003年度のこの映画の監督はマイク・ニューウェル1942年イギリス生まれ。1980年から監督業、2005年は「ハリー・ポッターと炎のコブレット」を監督。キャストジュリア・ロバーツ(キャサリン・ワトソン)1967年10月ジョージア州生まれ。キルステン・ダンスト(ベティ)1982年4月ニュージャージー州生まれジュリア・スタイルズ(ジョーン)1981年3月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。「ボーン・スプレマシー」にも出ている。マギー・ギレンホール(ジゼル)1977年11月ロスアンジェルス生まれ。ジニファー・グッドウィン(コニー)ドミニク・ウェスト(ビル)1969年イギリス、イングランドシェフィールド生まれ。ジュリエット・スティーヴンソン(アマンダ)1958年生まれ。マーシャ・ゲイハーデン(ナンシー)1959年8月カリフォルニア生まれ。「スペース・カウボーイ」「ミスティック・リバー」他があるが記憶にない。エルトン・ジョンの「The heart of every girl」がゴールデングローブ、放送映画批評家協会賞の歌曲賞でノミネートされている。