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読書「夜は終わらない」ジョージ・ペレケーノス 2010年刊

2021-02-26 13:06:06 | 読書
 1985年12月の寒い雨の夜、ワシントンDCのサウスイースト地区のグリーンウェイ33番通りとE通りに挟まれた犯行現場で、二人の若いパトロール警官と40代半ばの殺人課巡査部長が佇んでいた。傍らには14歳の少女の遺体が雨に濡れていた。

 ワシントン市警パトロール警官の一人は、イタリア系のガス・ラモーン巡査、もう一人は白人のダン・ホリデー巡査、そして巡査部長は、黒人のT・C・クックだ。

 そして20年後の2005年にラモーンは、市警暴力犯罪班の巡査部長で黒人の妻レジーナ、息子ディエゴ、娘アラナという家庭を築いている。

 ホリデー巡査は、退職して送迎サービスの会社を仲間二人と営んでいる。独身でソウル・ミュージックが流れるバーのカウンターが憩いの場所。

 T・C・クックは、引退して一人ぼっちの生活を毎日警察無線の傍受で時を過ごしている。それは、20年前の少女殺害犯を何としてでも割り出したいという執念からなのだ。しかも脳溢血の後遺症で体はガタガタ、にもかかわらず車で標的の後をつけたりする。

 この3人が、ラモーンの息子ディエゴの友達エイサー・ジョンソンが、20年前に少女が殺された同じ場所で遺体で見つかったのを機に再び力を合わせる。

 ある作家が次のようなことを言ったのを読んだことがある。「作品を書くとき、映画やテレビドラマを意識する」と。この本もまさにそれを連想させるような作りになっている。とは言っても軽い感じはなく、銃撃戦の場面やクックが亡くなる場面を、このベテランは情緒豊かに書き上げる。

 それにしても人種というのが重くのしかかる。2020年の混乱のアメリカ。この本の時代背景2005年から少しも進歩していないアメリカ。

 この本からは、人種の体の匂いやウィスキーの香り、数々のソウル・ミュージックやカントリー・ミュージック、車、銃が目まぐるしく迫ってくる。

 ホリデーは、仕事帰りにホテルのバーに立ち寄った。 『バーは申し分なかった。スポーツバーのたたずまいながらも、客同士が喧嘩腰になるほど荒々しくはない。グループで来た客が立ち飲みができるように背の高いテーブルがあちこちに置かれ、座って飲みたい者のためにスツールも据え置かれたいた。アプソルート・ウォッカのロックを味わいマールボロを吸い込んだ。

 30代半ば過ぎの魅力的な赤毛の女が隣のスツールに腰を下ろした。スカートとジャケットのビジネス・スーツはほんのりと緑色がかかって髪の毛の赤とよく調和し、緑色の瞳を際立たせている。目の表情は生き生きとしてベッドの中では激しいのだと語っていた。ホリデーは女を一瞥しただけでそのことを見抜いた。これが特技なのだ。ホリデーは火の付いたタバコを指の間にはさんだまま持ち上げた。「タバコは気にならない?」』これ以上、本の中身を書くと全部書く羽目になるのでこの辺でやめよう。

 まあ、言いたいことは作家が女性を描くとき自分好みだろうか。 ということなのだ。多分そうなんだろう。実は私も遊びで小説を書いたことがある。その時の女性描写は、読んだばかりのバージニア・ウルフの本にあったウルフ本人の写真が影響した。スラリとした体に淡いコートを着流すというスタイルなのだ。そして名前を「浅見けい」とした。この名前はふいに出てきたもので、何の因縁もない。日本人作家の作品を読んでいると、「浅見」が出て来たり、「けい」も見つけて苦笑いしたことを思い出す。

 余談が過ぎたが、赤毛の人を現実に見たことがないが、この作家が言うように情熱的なんだろう。こんな寄り道をしながら、深刻な学校の描写もある。死んだエイサー・ジョンソンが通っていた中学校に、捜査の一環として訪問したラモーンが目にしたのはひどい校舎の現状だった。

 「授業時間終了のベルが鳴りラモーンのまわりにあふれた子供たちは、ほとんど黒人やヒスパニックだ。彼らの中でも――とくに家庭が崩壊している子は、すでに悪の道へ入り込み、その分岐点に立っている子もいないわけではないが、ほとんどの子供たちは問題もなく暮らしている。
 開いたドアのわきを通りながら、校舎の様子に目がいってしまう。壁は塗装する必要があるし、トイレにはドアがなく、使えそうな便器もなかった。雨が漏る天井の下にはバケツが置かれ、備品類は皆無だった」これが2005年当時の現状なのだろう。おそらく2021年でもあまり変わってないかもしれない。

 日本では、全校にエアコンを取り付けるというから、設備の面では恵まれているのかもしれない。しかし、作家がストーリーに何の影響も与えない描写をあえてしたのか。告発的意図があるのかもしれない。

 欧米の作家は、リアリストが多いのか場所や固有名詞を現実のものを取り上げる。ワシントンDCをW市としないように……。私はこのリアリスト派が好みなのだ。ロサンゼルスを舞台に書くマイクル・コナリーなどは、すし店も実名で書く。本作は、余情の残る挽歌となっている。

 ジョージ・ペレケーノスは、ギリシャ系アメリカ人で1957年2月生まれ。ワシントンDC出身。映画やテレビのプロデューサーや脚本家としても仕事をしている。

 歌手も多く書かれているが、私はスウェーデン出身のカントリー・シンガー、ジル・ジョンソンがいい。長身でやや男っぽい。1973年5月24日生まれだから、今年48歳になる。彼女の「Desperado」をどうぞ!
コメント (3)
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