甘くロマンティックな雰囲気のないラブ・ストーリーは珍しい。すべてにおいて異次元。通常は出演俳優の役名、たとえばこの映画ではコリン・ファレルがデヴィッド役という具合。
そしてこの映画では、コリン・ファレルのデヴィッド以外はまったく役名がない。あるのはその人物の特徴を表す言葉だけ。レイチェル・ワイズが「近視の女」、ジョン・C・ライリーが発音や発声の悪い「滑舌の悪い男」、レア・セドウ「独身者たちのリーダー」、ベン・ウィショー「足の悪い男」など。
三次元の空間では、一人身を罪悪とみなす次元、一人身しか存在できない次元があった。一人身を罪悪とみなす次元では、45日以内にパートナーを見つけなければ、最初に登録した動物になる。オオカミ、ペンギン、カバ、ラクダ以外の動物を求められる。
妻と別れたデヴィッドは、犬になった兄を連れて、あるホテルにやってきた。ここは45日以内にパートナーを見つける矯正施設。施設の周辺は森になっていて、その中には動物にされたウサギや孔雀ほかいろいろな生き物がうろついている。45日以内にパートナーを見つけられず動物になった人たち。
一人身だけの次元では、恋愛やセックスはご法度。踊るのも一人。音楽は電子音。オープニングは衝撃的だった。年配の女性が車を乗りつけ、草を食む馬を射殺する。映画を観終わってこの場面を考えると、馬になった夫への恨みが晴れず射殺したという私の推測だが、ここでも女の怖さが表れているような気がする。
それにしても、なんだこりゃという訳で、一体どんな話になるのか予測がつかないし、理解したと思えないままラストを迎える。私にとっては消化不良、もともとSF物は嫌いで借りなきゃあよかった。
しかし、分かる人は分かるらしく『批評家の総意として、本作品を「野心的でぞっとするほど奇妙であり、間違いなく見るたびに好きになっていく作品だ」としたうえで、「ヨルゴス・ランティモスの風変わりな感性が観客に理解されるためには、この作品が健全で映画として楽しめるものであることを示す必要がある」と評している』とウィキペディアにある。
これは、今のところ観客に理解されているとはいえないが、もう少し分かりやすい娯楽性を求めているのだろうか。風変わりといえば、ホテルの受付で裸にされるというのも理解に苦しむし、一日だけ左手を手錠に縛られるのも分からない。「一つよりも二つのほうがどれだけ楽かを体感する」ためと言うが。
が、現実世界の常識を捨てて観たほうがいいのかもしれない。あれやこれやと色々あって観終わって疲れだけが残った気がする。
しかし、時間を置いて考えてみると、一人身を否定する次元も一人身だけを認める次元も、人間の多様性を否定している点が共通している。したがって相手を認めないということは、この次元と同じだぞと言っているようだ。人種差別や男女による差別を否定する逆説的描写と言えなくもない。
こういう見方からすると、「裸にされる」のも「左手を縛られる」のも意味があると思うから不思議。裸にされるのは、衣服は虚飾と言うのかも。裸はその人そのもの、年齢や健康状態、食生活、日常が推測できる。でぶでぶと太っていると、食生活への配慮が欠けているし、運動不足も表している。
左手を縛るのは、不自由を体験して初めて両手の便利さが分かるし、体の不自由な人への気配りが出来るようになる。
ちなみに題名の「ロブスター」は、デヴィッドが希望した生き物。その理由「100年以上生きられるし、貴族みたいに由緒があって死ぬまで生殖能力がある」
この映画の公式サイトでは、生年月日を入れると「自分のなりたい動物」が示される。私の場合は、「マニアックな犬と出て、一人が好きで自分の流儀を持っている。身内びいきで初対面はとっつきにくい」とある。当たっているところもあれば、当たらないところもある。
なお、本作は第68回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞している。
監督
ヨルゴス・ランティモス1973年ギリシャ、アテネ生まれ。
キャスト
コリン・ファレル1976年5月アイルランド、ダブリン生まれ。
レイチェル・ワイズ1971年3月イギリス、ロンドン生まれ。2005年「ナイロビの蜂」でアカデミー賞助演女優賞受賞。
ジョン・C・ライリー1965年5月イリノイ州シカゴ生まれ。
レア・セドウ1985年7月フランス生まれ。
ベン・ウィショー1980年10月イギリス、イングランド生まれ。
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