1949年、詩人であり作家のボリス・レオニドヴィッチ・パステルナークの愛人、オリガ・フセーヴォロドヴナ・イヴィンスカヤは、秘密警察によって拘引された。そこで尋問官の「ドクトル・ジバゴは何についての本かね?」の質問に「知りません」と答えたが、小説はロシア革命に批判的で、ボリスは社会主義リアリズムを拒絶しており、国家の影響を受けずに心のまま生きて愛した登場人物たちを支持しているとは言わなかった。しかし、オリガの娘イーラの英語教師だったセルゲイ・二コラエヴィッチ・ニキフォロフの証言「オリガのパステルナークと国外逃亡計画、反ソ的ラジオ放送(ヴォイス・オブ・アメリカ)の聴取」に至り、5年間をモスクワから500キロ離れたポチマにある矯正収容所で過ごさなければならなくなった。これが東側。
一方ワシントンDCのCIAでは職員採用の手続きに入っていた。受験希望のロシア系移民イリーナ・ドロツドヴァがいた。勿論コネでその場にいるのだが、「きみ、タイプはできる?」だけで採用された。ソ連部の上司ウォルター・アンダーソンの
「我々は君に可能性を感じているのでね」
「何のことですか?」
「我々は隠れた才能を発掘するのが得意でね」
女性スパイの人選をしてるということだ。二種類の女性スパイが考えられる。華やかで誰もが注目する女。逆にほとんど目立たない隠れた存在の女ということになる。これが西側。
ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営が東ヨーロッパに集まっていたことから「東側」といわれ、アメリカ合衆国を盟主とした資本主義陣営が西ヨーロッパに集まっていたことから「西側」といわれ、この本でも東、西と地域を交互に表記されて、それぞれの物語が展開する。冷戦時代のお国柄が著者の表現力によって生々しく描かれる。
登場人物は、CIA職員のイリーナ・ドロツドヴァ、サリー・フォレスター、パステルナークの愛人オリガ・フセーヴォロドヴナ・イヴィンスカヤの三人の視点からの愛の物語なのだ。オリガの不倫の愛、イリーナとサリーの同性愛。
著者のプレスコットが「ドクトル・ジバゴ」について次のように言っている。「ドクトル・ジバゴは、戦争の物語であり、愛の物語である。とはいえ、長い年月を経て、わたしたちの記憶に強く残るのは愛の物語のほうだ」
1949年から1961年は、ソ連では、スターリンからフルシチョフへと移り、アメリカではトルーマン、アイゼンハワー、ケネディへと指導者の変遷があった。特にソ連のスターリンは粛清で名を残し、民衆にとっては暗黒の時代といってもいい。
そんな時代に生きたパステルナークとオリガの愛は、凍土をも溶かすほどの熱情に包まれていた。収容所からやせ細り若さをどこかに置き忘れたようなオリガを見ても、パステルナークは「愛しているよ」と言う。れっきとした妻がありながらだ。男性優位の時代だったのだろうか。
それはアメリカにおいても言えるのだ。CIAは多くの女性タイピストを採用しているが、それは男の上司の口述を即時にタイプすることだった。ということは、女性たちが最高機密に触れる機会があるということなのだ。絶対他に漏らしてはならない不文律があった。この本の原題The secrets we kept(私たちは秘密を守った)に現れている。
CIAは「ドクトル・ジバゴ」をソ連国内にバラまこうとしている。ベルギーのブリュッセルで開かれた1958年の万国博覧会が手始めだった。文化を通じてソ連の体制を変えようとしていた。
ソ連国内で禁書となっている「ドクトル・ジバゴ」は、ノーベル賞受賞もあって世界的関心が高まり、ソ連国内にも闇のルートで入ってきた。秘かに人々は読んでいた。もし、パステルナークが西側の国民なら巨万の富を築いていただろう。政府から与えられた家に住み、平凡な日常の中、1960年70歳で他界した。
女のスパイには二通りあって、「ツバメ」に属するのはサリー・フォレスターで、超のつく美人なのだ。一目見たら凝視するというのが彼女の持ち味だ。
「運び屋」としているのは、イリーナ・ドロツドヴァだ。彼女も美人だが目立ち方はサリーの比ではない。
サリーがイリーナを訓練することから、二人の感情が徐々に変化していく。イリーナの中にサリー・フォレスターの何かが消えずに残っていた。昼食に一緒に出たとき、サリーが腕を組んできた。通りすがりの男たちの熱い視線。彼女と一緒にいるのがうれしかった。サリーとのスパイ技術訓練が進んでいるとき、サリーは私の手をぎゅっと握り、そのまま握り続けた。私の中のどこかが特定できない場所でなにかが花開いた。
サリーのほうも、それはすでに何か別のもの――はっきり言えないわけではないけれど、まだそうする心の準備が出来ていない何かに変化していた。そして寒い夜、イリーナはサリーの頬を両手で包み、唇にそっとキスをした。だが次の言葉ですべてが変わった。イリーナに「愛している」と言われたとき、サリーは、自分もあなたを愛していると告げる代わりに、彼女から身を離し、あなたはもう帰った方がいいと言った。そしてイリーナは帰った。
それ以後二人とも、ものすごく気にかけているが、時代は同性愛者を許容する雰囲気ではなかった。サリーは同性愛者が発覚してCIAをクビになった。
そして現代、ワシントン・ポストはロンドンで89歳のアメリカ人女性がスパイ容疑で捕まり、アメリカ合衆国へ送還されるのを待っている。何十年も前にソ連に情報を漏らした罪だという。その写真を見ていたかつてのタイピストたちは、
「驚いたなんてもんじゃないわよ」
「彼女よね」
「疑いの余地はないわ」
「昔のままね」
記事によれば、女は50年間イギリスで暮らしていたという。2000年代初めに亡くなった名もなき女性とともに30年のあいだ稀覯本を扱う古本屋を経営していたという。かつてサリーはイリーナに言っていた。「いずれ古本屋を開業したい夢がある」と。最後はちょっと切なくなる。
著者のストーリーテリングの秀逸さもさることながら、特異な文体に魅了されているのは私だけか。例えばこのブログにも引用した「私の中のどこかが特定できない場所でなにかが花開いた」とか「それはすでに何か別のもの――はっきり言えないわけではないけれど、まだそうする心の準備が出来ていない何かに変化していた」など、ほかの人ならどう表現していただろうと思ってしまう。
とにかく、久しぶりに大好きな料理に巡り合ったような満足感に満たされた。
著者のラーラ・プレスコットは、アメリカ合衆国ペンシルベニア州グリーンズバーグ生まれ。本作がアメリカ探偵作家クラブのエドガー賞最優秀新人賞にノミネートされた。
1965年デヴィッド・リーン監督によって映画「ドクトル・ジバゴ」が創出され、アカデミー賞で脚色賞、撮影賞、作曲賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞を受賞している。作曲賞の内「ラーラのテーマ」が親しまれている。耳に優しいパーシー・フェイス・オーケストラで聴いてみましょう。
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