ロレッタは手を伸ばして、私の指に触れた。彼女の手は柔らかくて暖かかった。もう何年も味わっていない感触だった。この文脈から、俄然ロレッタとフィリップとの間に起こる微妙なさざ波を感知した。
ロレッタはジュリアン・ウェルズの妹で、50代に入ったばかりだが若いころの美しさを脱ぎ捨てたのと引き換えに、洗練された美しさを手に入れ、息をのむほど優雅のしぐさでそれを纏っている。 と著者が言うが、洗練された美しさ? 息をのむほど優雅なしぐさ? となると誰を思い浮かべばいいのか。ハリウッドの女優でもすぐには思い浮かばない。やっとイメージしたのは、今は亡きダイアナ妃なのだ。
「こんな素敵な人を放っておくのか、トマス」と思いながら読み進む。もともとジュリアンの自殺に伴うどうして自殺したのかという「何故」がテーマのミステリーで、ロレッタとフィリップのロマンスは、サイド・ストーリーの扱いではある。トマス・H・クックの上品な筆致で、さりげなく情熱が内に秘めたような表現が心に残る。
ジュリアンは殺人事件の現場に赴き殺人者を分析するという異色の作家で、目を覆うような殺戮の現場を文章で再現したりする。なぜ自殺したのか、どうして助けられなかったのかという思いを抱き続ける友人の文芸評論家フィリップ・アンダーズとロレッタが謎を解き進めると、なんとフィリップの元国務省に勤めていた父が最後の扉を開けることになる。
ミステリーの中でロマンスを強調するのも僭越に思うけれど、後半の大事な取り合わせということで以下文中の引用をしてみたい。
ロレッタとともに謎を追いかけるのだが、フィリップの内面に変化が起こりつつあった。晴れ渡ったブエノスアイレス。目的地に向かうタクシーの中、フィリップの胸の奥から沸き起こったのは、過ぎ去った時間への懐かしさではなく、今も現在進行形で私の人生に難しい試練と目的を与えている謎めいた出来事への新たな決意だった。もちろん、それらの試練と目的はすでに私だけではなく、隣に座って窓から街路を見つめているロレッタをも巻き込んで、別の局面を迎えているのだった。
「きみはいまも初めて会ったときと変わらないね」私は彼女に言った。
彼女は私を見た「そんなことないわよ」
「いや。本心からそう思っているんだ」私は言った。「前になにかの本で読んだんだが、恐怖というのは人間にとって最後まで断ち切れない反応だそうだ。だが君に限っては違うね。好奇心のほうが勝ちそうな気がするよ」ロレッタは私の顔をまじまじと見た。
「まあ、フィリップ、そんな素敵な言葉をもらったのは生れてはじめてよ。これまで言われた中で一番うれしい言葉だわ」
こんなことがあった後、終盤では
「今夜は一人でいたくないんだ、ロレッタ」
「もう一人きりじゃないわ。これからは」彼女は言った。
「もう一人きりじゃないね、これからは」私は同じ言葉を繰り返した。ロレッタは微笑んだ。この二人は、人生で最良の時を迎えたのである。
さて、このような場面での音楽は? やはりクラシック音楽から選んだほうが小説の背景にマッチするだろう。 ということでマスネーの「タイスの瞑想曲」を選んだ。指揮 カラヤン ヴァイオリン ミシェル・シュヴァルベ 演奏 ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラで聴きましょう。
著者トマス・H・クック1947年9月19日 生まれは、アラバマ州デカルブ郡フォート・ペイン出身。1980年コロンビア大学大学院生のとき「鹿の死んだ夜」でデビュー。1997年『緋色の記憶』でエドガー賞 長編賞を受賞。現在75歳ケープコッド在住。著者は文中哲学的な蘊蓄(うんちく)を披露する。
「老いることとはたんに歳を取ることではなく、衰えて不快感が増すこと。今日の夜明けよりも明るい夜明けは来ない」そうだろうとは思うが、明るい夜明けも来ると思う。その人の生き方次第では。