ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

いちご噛む

2023-05-31 04:51:06 | 




歯にしみる 酸きをたへつつ いちご噛む     夢詩香




*今日は俳句です。今週は一首だけ歌が詠めたのですがね、こっちのほうが良い感じがしたので、これを取り上げました。

古語では、「しみる」は「しむる」ですが、この場合「しみる」のほうが感覚的に痛い気がして、「しみる」にしました。

先日、息子がいちごを買ってきて、少しわたしに分けてくれたのですが、その赤いみごとないちごを噛むと、とてもすっぱくて、歯にしみてくる。その痛みを感じながら、自分の罪を認めて受け入れるというのは、こんな感じなのだろうかと思いました。

いちごやりんごなどの赤い実は、罪の隠喩でもあります。

自分のまいた種が育って、大きな実がなり、それを自分で食わねばならない。それはあまりに苦い実だ。自分のやってきたことがそのままこもっている。

いちごを食べながら、自分の中にもある苦い思い出をかみしめ、それらをすべて認めていく。あれもわたしであったのだ。未熟で何も知らなくて、馬鹿なことばかりしていたわたしも、わたしなのだ。

いちごは歯に刺さるほどすっぱくて、食べていると少し涙がにじんだ。

馬鹿だった自分を飲み込み、また自分を始めていく。二度と馬鹿なことはしない。新しい自分をかけて、この世の幸せのために、よいことをやっていこうと、心に決める。

少し句を発展させてみましょう。

あやまちの 酸きをこらへて いちご噛む    夢詩香

どうでしょう。どっちがいいでしょうか。




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ひなげしの

2023-05-10 06:20:03 | 





ひなげしの 風にうなづく 日向かな     夢詩香





*今週も歌が一つも詠めませんでした。このスランプは危機的ですね。馬鹿はますます深くわたしたちの感性を妨害してくる。詩はなんとか書けているのですが、歌は詩よりももっと高い感性のアンテナが必要なようだ。

で、表題の作は、ある眠れない夜に、何とか歌をひねり出そうと苦心していた時に、ようやくちびりと感性が吐き出してくれた、小さな俳句です。あまり良いものと思えないが、今週はこれしかないので、これをとりあげました。

ナガミヒナゲシは、かのじょの好きな花でした。それは帰化植物で、少し問題があるらしいのですがね、かわいらしい色と姿が好もしく、かのじょはその花を愛したのです。きれいな色で、派手になりすぎないほど華やかで、こんな服を女の子が来たら、どんなにかわいらしいだろうと、そんなことをかのじょは言ってましたね。実にかわいい感性だ。

明るい日向の色で、空き地の隅などで、風に揺れながら群れて咲いていると、とても美しい。外来植物として、生態系が云々と言って嫌うよりは、なんとか日本の自然界の仲間に入れてもらえないかと、そういう思いを抱きます。あまりに可憐な花だから。

五月になると、町のあちこちで咲いているのを見かけますが、それほど破壊的に環境を乱す植物ではないと思えるのですが。どうでしょう。もうすっかり、この国になじんでいるようにも思える。

ひなげしが、風の中に揺れている様子を、風にうなづく、としてみました。それは風が、花に、この国の自然界の愛に従うかと、尋ねてきたのに、うなずいたのだということも、暗示しています。花は奢り高ぶらない。きっと、次第次第に、新しい環境の中で、生きる自分を確かめていくでしょう。そしてそれはこの国の新しい風景の色にもなるような。

ナガミヒナゲシは、五月の光を浴びながら、まだ少し遠慮深げな顔をして、野の隅などに咲いています。





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ぴらかんさ

2023-04-05 08:24:40 | 





おほかたは 鳥のためかな ぴらかんさ     夢詩香





*久しぶりに俳句です。今週は歌が詠めなかったので、日ごろ温めていた一句を出しました。

うちの庭には小さなピラカンサの木が生えています。初夏のころには小さな白い花を咲かせ、秋にはたくさんの赤い実が生って、楽しませてくれる。その赤い実をついばみに、小鳥が庭を訪れてくれるのも、楽しみだ。

そんなピラカンサの木を眺めながら、表題のようなのが思い浮かびました。ピラカンサはたくさんの実をつくるけれど、それは大方鳥のためではないかと。もちろん、自分の子孫を残すという戦略もありますがね、あれは小さな鳥たちを養うためでもあるのだ。そう考えると、とてもあたたかな愛を感じる。

以前、テレビで、サンゴの産卵の風景を見たことがありますが、それは見事に美しかったですね。サンゴが、無数の薄紅の卵を海中に放出すると、それを大喜びで、小さな魚たちが食べていた。あれは愛なのだ。サンゴは、小さな魚たちに愛を送っているのだ。大切な卵を食べられるのは痛いだろう。でも、この世界を形作っている、大きな愛に資するために、サンゴは無数の卵を産むのだと考えれば、サンゴが実に美しいものに思える。

赤いピラカンサの実も、薄紅のサンゴの卵も、実に美しい。それは、自分のための戦略だけではないからだ。美しい愛のために、自分をささげているからこそ美しい。

海に生きるイワシの群れが、輝くばかりに美しいのは、それが愛のひとつの姿であるからではないか。イワシは食べられるのは痛いだろう。でもイワシを食べたら、鳥や大きな魚たちや、人間が、ひと時幸せになれる。そのために自分をささげている。それが、この世界の愛の一面ではないか。

弱肉強食などと言いますが、愛でこの世界を見れば、それは美しい真実が見えるような気がします。食べられるものは、最も尊い愛を行い、それで魂の富を積んでいるのではないかと。

この世界は、美しい愛に満ちている。




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菜の花の

2022-12-07 09:06:11 | 





菜の花の 風に揺れ浮く 黄色かな     夢詩香




*今週はあまりいい歌が詠めませんでした。相変わらず妨害は続いていて、言葉を繰る感性がうまく働いてくれません。こういう状況では、毎週このブログを更新するのも苦労です。でも水曜日には必ずこれを書くと決めているので、働かない頭に鞭を打ってでも書きましょう。そうしているうちに、感性もだんだん元通りに開いてくるかもしれません。

今日は久しぶりに俳句です。季節が違いますが、ご勘弁を。

実はこれ、夢の中で詠んだ句です。朝方、半分目覚めて半分眠っているような意識の中で、ふと浮かんできたのです。

普通、夢の中で作った作品にはあまり良いものはないのですがね、これはまあまあいけると思って、ここで取り上げることにしました。

春先の菜の花の鮮やかな黄色が、風に揺れ動いている。浮く、としたのは、風の中で菜の花の黄色だけが光って浮いているように見えるからです。菜の花がたくさん群れて咲いていると、黄金の海が野に浮いているように見える。実に美しいですね。

今は冬に入ったばかりで、野には菜の花の影もありませんが、やがて来る春にはまたあの黄色の海と出会える。季節の約束を果たすために、菜の花は今もひそやかに冬を耐えている。冬を超えれば、必ず春が来ることを、花は信じているのだ。

それは星を操る大いなる神への信頼です。わたしたちは、あまりにも大きな、すばらしい愛に囲まれて、生きている。

あたたかな菜の花の黄色にまた出会える日を夢見て、わたしたちも冬を乗り越えていきましょう。




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きゅうりぐさ

2022-05-05 08:44:23 | 





野にひそむ 星と夢見る きゅうりぐさ     夢詩香




*歌が今まるで詠めませんので、俳句をやってみました。これもあまりよくありませんが、俳句だとなんとかなるようだ。頭の中の感性をそれほど酷使せずすらりと出てくる。

きゅうりぐさは春先から夏にかけて咲く米粒くらいの小さな青い花です。道端の草むらなどに、小さく光るその花を見つけると、少し心が躍りますね。あまりに小さいのに、しっかりとした花をつけている。こんな小さな花にも色があり美しいかたちがある。それが誇り高い魂のありかを示しているようで、なんだか頼もしい。

花を地上の星と例える詩はいくつもありますから、これも少し平凡な句のうちに入りますね。でもきゅうりぐさを見ると、どうしても空の小さな星を思い浮かべてしまう。迷いもなく空に輝く小さな星が、野に降りてきたら、こんな花になるのではないかと、そんな幻想を抱いてしまう。

空に何百億と輝く星々をまねしたのかと思うくらい、この世に星の数ほども咲く花々。その花それぞれが、美しい魂を有し、この世に愛を投げかけている。

星々もまたそうなのだ。空に光りながら、永遠の愛を宇宙に歌いかけている。その愛が空に満ちていることを、いつか地球人類も気づくだろう。

野に咲く一つの、目に見えないくらい小さな花にも、愛が隠れていることにも。

星も花も、美しい愛のかたちなのだ。だから花を星と幻想しても、それはあながち誤りではないのです。






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ぴらかんさ

2022-02-21 08:55:35 | 





実をささげ 冬を耐へ行く ぴらかんさ     夢詩香




*歌が続いたので、久しぶりに俳句でもやりましょう。

拙宅の庭先には、小さなぴらかんさの木が生えています。植えたのではなくて、いつの間にか生えてきたのです。生えてきたところがちょうどよかったので、亭主が刈り込んで生垣代わりにしているのですが。

春には見事な花を咲かせて、秋口には赤い実を鈴なりにつけて楽しませてくれました。しかし今は、その実もみんな鳥に食べられて、裸の寂しい姿になっています。

盛りのころは、毎日のようにヒタキやヒヨドリが訪れて、楽しませてくれましたが、もうすっかり実を食べつくされた後では、鳥もよりつかなくなりましたね。だからぴらかんさも少し寂しそうだ。

赤い実はだれのためになしたものでしょう。花は何のために、あれだけたくさんの実をつけるでしょう。自己保存欲だけが目的ではないと思う。花も実も、見る人やそれを食べる小鳥のことを思いながらなすものではないだろうか。

この世には美しいものがたくさんある。花は放っておけば自然に咲くのではない。花自身が毎年のように自分の努力をして咲いているのだ。美しい実をなすことも、人知れずこつこつと営まれているその花の美しい努力のたまものなのだ。自分のためだけではないから、そんな努力ができる。喜んでくれる人や鳥がいるから、たくさんの実をなす苦労もがんばれるというものだ。

きれいな実を全部ささげて、裸同然になったぴらかんさに冬の寒い風が吹いている。でもそれほど悲しげではないのは、みなのために役立った自分の美しさがあるからでしょう。そしてまた春に向けて、がんばっていける。

また次の季節にも、美しい花や実を見せてくれるに違いないのです。




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ひこばえの

2021-12-01 09:18:13 | 





ひこばえの 細きみどりや まだ生きむ     夢詩香




*写真は神社の境内に生えた銀杏の木です。この銀杏はつい最近見るも無残に伐られてしまったのですが、そのわきから小さな緑の芽が出ていたので、写真に撮ってみました。

人里に生えた木の悲哀というものですかね、人間の都合によっていつ伐られるかわからない。わたしたちが親しんでいたセンダンやモクレンの木も伐られてしまった。伐られてしまうと、中には生きる気を失ってそのまま死んでいく木もあるのですが、この銀杏の木は、傷ついてもまだ生きていくことを選択したようだ。

か弱いが、確かに美しい緑をともらせている。これからどうやって樹勢をよみがえらせていくのか、伐られようから見ると事態は絶望的でさえあるのですが、それでも銀杏は生きることを選んだみたいだ。

何度伐られようと、まだ自分をあきらめない。それが痛々しいほど美しく思え、表題のようなのを詠んでみました。

なお、「ひこばえ」は、「ひこばへ」ではなく、「ひこばえ」です。古語には「ひこばゆ」という動詞があり、それは伐った草木の根株から新しい芽が出てくることを意味します。ひこばえはその名詞形です。

ひこばえの小さな緑から、この木の未来は再び始まってゆく。これからどういうふうに発展していくのか、見守っていきたいと思います。




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さくらぎの

2021-11-27 09:13:44 | 





さくらぎの とほきそなへや 冬来たる     夢詩香




*写真は近くの公園の桜です。もうすっかり葉を落とし、寒そうな枝を空に伸ばしている。

しかしその枝にはもうしっかりと冬芽ができていて、冬が来る前にもう春の備えがしてあるのでした。

桜は冬の次に必ず春が来るのを信じている。遠い遠い昔から果たされてきた季節の約束がまた繰り返されることを、信頼している。

それが妙に愛おしく、表題のようなのを詠んでみました。

だんだんと寒くなってきましたね。今年の冬は寒いという予報がなされていますが、どうでしょう。ここは南国なので、それほど雪は厳しくないでしょうが。

堅く守られた桜の冬芽を眺めながら、わたしも遠い春の約束を信じつつ、冬を乗り越えていきましょう。




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ほとけのざ

2021-11-12 09:56:04 | 




野の隅に 細き紅おく ほとけのざ     夢詩香




*秋も深まり、だんだん寒くなってきましたが、ほとけのざは咲いています。

野原の隅っこで、小さく遠慮深げに、でもはっきりと紅を主張して咲いている。

寒い季節に、小さくとも紅い色を見つけると、寄っていきたくなりますね。そこにあたたかなものがあるような気がする。

咲いても、明日には消えてしまうかもしれない小さな花。でも花は決して消えていかない。季節が廻ればまた咲いてくれる。永遠の約束のように。

春も夏も秋も冬も、めぐる季節の約束を守るために、だれかが見えないところでたゆまぬ努力をしてくれている。その大きな愛があるからこそ、わたしたちは季節ごとに出会える。

美しいですね。

冬に傾く季節の中で、見つけた野の隅の小さな紅の花。しばし心を温めてくれる。

すばらしいこの世界で、たびたびと結ばれ、生きることをうれしくしてくれる出会い。

だれかのためによいことをしたくなるような、幸せな気分になれる。





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枯れ松

2021-11-06 09:31:39 | 




くづれゆく 枯れ松ありて 秋さびし     夢詩香





*松の写真がないので、エノコログサで代用です。

この近くに小さな空き家があって、その荒れ放題の庭の隅に、枯れた松の木が立っているのです。

誰も世話をしませんから、その松の木は枯れたままだんだん崩れてゆく。そのさまが寂しく悲しく、表題のようなのを詠んでみました。

松という木は、人間に秩序感覚を呼び覚まします。見ているだけで人間の心に作用し、美しいことをしようという心を刺激するのです。

松の木があるだけで、人間はかなり整ってくる。そういう木なのですが。

それが今、見る影もなく枯れてしまっている。それはこの世界で、秩序というものが崩れてきている表現ではないかと探ります。

世の中には偽物ばかりが繁栄し、本当の自分で働くよい人間がめったにいない。そういう世の中になってしまっては、松の木も青々と茂ることが難しいのではないか。

田舎の隅の小さな空き家の庭で、だれに振り向かれることもなく、枯れて崩れてゆく松の木を見ながら、この世を嘆いてみました。





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