ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

ネフェルティティ

2017-05-12 04:20:13 | その他






いにしへの 奢りを悔いよ ネフェルティティ     夢詩香






*久しぶりに俳句です。かなり奇抜な句ですね。ネフェルティティは古代エジプトの美女です。アマルナ革命を実行したファラオ、アクエンアテンの正妃でした。その美しさを伝える胸像が、今に残っています。確か本館の、虹のコレクションで一度紹介されていましたね。

アマルナ革命は、アメン神を中心とした多神教から、アテン神のみを唯一神として信仰する一神教に改革するという、おもしろい宗教革命でした。この革命にはアクエンアテンの理想がふんだんに盛り込まれていたのだが、彼の高い心を人々は理解できず、様々な謀略を行って革命を汚し、革命は一世代で倒れ、アクエンアテンが死ぬと、人々は早々にアテン神を捨て、また古くからのアメン信仰に戻ったのです。愛という言葉がなかった当時、アクエンアテンが提示したアテン神そのものが、愛の象徴でした。あらゆるものがそこから生じ、その恵みを受けているという理想の美を持つ愛の観念を、アクエンアテンはアテン神によってこの世界に表現しようとしたのだが。

残念ながら、当時の人間にその真意が理解されるはずもない。改革はファラオの意志を無視して曲がり放題に曲がり、アクエンアテンは誤解の中で死んでいったのです。

今は「愛」という言葉があるから、あなたがたにもわかりやすいが、昔は愛を表す言葉はありませんでした。ですから、この世界に来ていた高い存在は、いつでも愛をこの世界に表現するために、あらゆる苦労をしていたのです。孔子が言った「仁」という言葉も、その試みの一つだ。

ところで、ネフェルティティという名は、「美しいものが訪れた」という意味だそうです。その名の通り、ネフェルティティはとても美しい女性だった。その名を誰がつけたのかは知らないが、かのじょがファラオの元を訪れたとき、誰かがそう言ったのかもしれませんね。愛という理想の美が、この世界に訪れた。そういう意味にもとれる。アクエンアテンは愛の幸福がこの世界に降りてくることを願っていた。そのことを教える一つの現象であるかもしれません。

ところが、このネフェルティティはこの時はとても美しい女性だったのだが、実はこののちにそれを鼻にかけて少し痛いことをしてしまい、今はあまり美しくないのですよ。霊魂の経歴というものを調べれば、そういうことはわかるのです。
彼女の魂は未だに迷っている。一度でもすばらしい美女になったことがある女性は、そのときに味わった幸福が忘れられませんから、とてもプライドが高い。それなのに自分が美女ではありませんから、今はとても苦しんでいる。

女性にはよくある試練です。だからわたしは十分に教えてあげたい。

美しかったときの奢りの心を捨てなさい。そして、自らおかめになって自分を下げ、人々のために端女のようになって働きなさい。そうすれば、あなたはもっと美しくなれる。

アクエンアテンはこの世界に来ていた天使の一人でした。ネフェルティティをとても愛していた。二人で革命の理想のために生きていた。あの頃のあなたが美しかったのは、王を愛してその理想のために生きていたからだ。愛していたから、美しかったのだ。

あの頃の本当の心に戻り、やり直していきましょう。







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