空低く かかる月をぞ あなどりて 届くものとて 弓をしぼりぬ
*まあ、何度も詠まれているテーマですから、きついと思うでしょうが、また取り上げてみました。こういうことは違う表現で何度も詠うのがおもしろいのです。恋の歌も何万首もある。同じようなシチュエーションでも、人により時により表現が違うのがおもしろい。
「ぞ」は係助詞ですが、この場合は流れているので、結びの連体形はありません。こんな感じで、「ぞ」は単なる強調として、字数が足りないときになど多用しています。いつでも使えて便利だ。
空低くかかっている月を、近いから届くと思って侮って、弓を引き絞ってしまったということだ。
完了の助動詞「ぬ」が効いています。こうするとどうしようもないことをしてしまったという感が強くなる。きついですね。
月の年が若い頃は、時に黄昏時に、大地にすれすれのところにかかっていたりしますが、別にそれは大地に近いわけではない。高空にかかっている月と同じ距離で離れている。
だがそんなことなど知りもしない馬鹿は、月が落ちてきたと思って、達者なつもりで弓を絞るのです。そこはそれ、それなりに自分には弓の技が高いと思っている。実際弓でいろいろなものを射落としたことはある。
だが、なんでもそれでいけると奢るのが馬鹿なのだ。
どんな強弓でも、月になど届くわけがない。
美しすぎるものは、たとえそれが風一枚向こうの近くにいるとしても、空の月ほどに遠いことがあるのですよ。
物理的には近くても、心が遠すぎれば、何もできないのです。
永遠にも似た年月を、その人は神のため、世のため人のために、様々なよいことをしてきた。その美しさが、透明だが金剛石よりも硬い、愛の壁を作っているのです。
もう二度と同じ失敗をしないために、このことは深く覚えておきなさい。