大糞を さげていまだに まよひては ないものさがす 流せるトイレ
*糞の歌は採用したくないと思いつつ、あまりにも見事なのでとりあげてみました。
これは大火でなくては詠めない。できそうで絶対できない。鬼才怪才、ほんとに歌集を出してしまいたくなるほどたくさん、こんなのを作ってくれます。
歌集を出したら、おそらく売れるでしょうね。出すなと言いつつ、やめろと言いつつ、人はみんな大火のこれを待っている。ずばり、大スターです。
ほんとの大スターというのは、今の時代、表向き全く売れてないものですよ。かのじょがそうだったようにね。無名の普通の主婦として田舎に生きながら、あれほど有名になれる人はいないでしょう。時代のスターというのは奇妙なものだ。
ツイッターでもあれほど暴れていながら、表向き彼の周りは静かなどというものではない。暴言も吐きまくりなのに、炎上のえの字もない。不思議なことです。普通ぶすだくそだなどということを言えば、大炎上を起こしかねませんよ。
それはそれとして、表題の歌はこういう意味ですね。大きな糞を尻に下げて、そんなものはどこにもないと言うのに、流せるトイレを探して、未だに迷っている。つまりは、自分のしたことがあまりにもひどすぎるので、それを何とかいいことにできる何かがないかと、未だに捜している。
本当のことを認めれば、自分があまりにも馬鹿になるからです。
しかし本当は、いつまでも逃げ続けていることこそが馬鹿なのだ。真実は真実、すっきりと認めてしまうことのほうがずっと賢いのだが。ひどいことをしすぎた人間はそれがつらいなどというものではない。
認めたほうがいいとは思いつつ、つい逃げてしまう。しかしいつまでも逃げていては、大変なことになりますよ。いいえ、もうなっているのだが。気づきたくなくて、ひどい大糞にも無理矢理蓋をし続けている。
この項を書いているのは五月の中旬です。いつもひと月くらいの時差があるのだが、これが発表される頃くらいには、少し進展があってほしいですね。いつまでもそのままではいけませんよ。
どうでしょうか。