かなはぬと おもはざりけり とほかれど ひとのすくひの まことの夢を
*今日も一年前のツイートからとりました。ひとつ、間違っていたところがあったので、そこを直してあります。
元の作では、「とほかれど」が「とほけども」になっていました。どうも、短い間にすらすら詠んで打ち込んでいるので、勢いで「とほけども」になってしまったのかと推察します。簡単な間違いですからね。
わたしたちは、ツイッターではほとんどのツイートを即興でやっていますから、時にこういう間違いも混じっているのです。
かなわないとは、おもいはしない。それは遠いけれど。人間の、ほんとうの救いの夢を。
かのじょのために歌ったものでしょう。かのじょが生きていた頃、世界には嘘が吹き荒れていました。自閉の籠に閉じこもっていなければ、心がずたずたに傷ついて死んでしまいそうなほど、人間の心の嫌な影が、鎌のように風に混じって吹き荒れていた。
みな、自分が苦しかったのです。あまりに自分が嫌なことをしているのが、つらかったのです。だから人間は他人ばかり見て、他人を馬鹿にしてばかりいた。少しでもまともにやっているやつを見つけたら、みんなでいじめてつぶしていました。
そういう世界の最中にいて、人間の、本当の自分への正しい救いの夢を語るのは、深海の暗闇で大空を飛ぶ鳥を恋うことに似ている。絶望的な叫びです。
ですがかのじょはかなわない夢だとは思わなかった。自分の心が本物であれば、必ず神が見てくださっていると思っていた。
そしてそれは本当だったのです。
もう詳しくは言いますまい。かのじょはそれをやりとげたのですから。大嵐の中をひとりで突っ切って、人類に本当の自分の真実を教えた。それだけで、すべての人類を救ったことになったのです。
神を信じていればこそできたことでした。
あれはぶっつけ本番の賭けでした。原稿を推敲するひまなどない。時に間違っている語句もある。リアルタイムの、天使による、創造だったのです。
本当の救いは、そういうものなのです。