蟷螂の おのれをひかぬ ものありて われをとふそを をのことぞいふ
*これは本歌取りですね。わかる人も多いでしょうが一応元歌を紹介しておきましょう。これです。
わがたまを つらぬく糸の 細かりて 絶ゆるなきそを まこととぞいふ
かのじょの作品の中でも出色の品です。確かにかのじょはこういう人だ。その姿はまるで女性のように頼りなげだが、その根性と来たら鋼鉄のように硬く、崩れるということがない。
この作品を借りて、表題の作は「男」というものを語ってみたかったのです。「蟷螂の」は「おのれ」を呼ぶための枕詞として使っています。
自分というものをひかないものがあって、その自分というものを世間に問う、それが男というものだ。
なにかしら言い足りないところもありますが、たしかに男はそういうものです。男というものは、時にずうずうしいほど自分を前に出し、自分というものの真価を世間に問うていくものだ。
しかしこの男の使命というか真実というものを、まるで馬鹿にしているような男も最近多い。嘘と盗みで自分を美形にして、女をだまして生きようとする、腐ったような男もたくさんいるのです。
世は天使が流行っていますからね、その天使の真似をして、女性並みに美しい男、という感じのものに自分を作ったりする。それがいやらしいなどというものではない。かのじょは確かに女性のように美しいが、しかしその正体は、鋼鉄のように硬いという男なのです。いやなことはしない、ずるいことはしない、ただ神のためにまっすぐに生きる。
そういう生き方を貫き通す男なのですよ。
それを軟弱な男が、表面だけきれいに真似をしている。それがまた目を覆いたくなるほどたくさんいる。
馬鹿というもののあさましさがわかる現象です。