たとへその おのれがいかに つらくとも 魔道の砂に われを捨つるな
*古語辞典によると、「魔道(まどう)」とは、悪魔の住む世界のことだそうです。
たとえその自分がいかに重く、つらいものでも、悪魔の住む世界に、自分を捨ててはならない。要するに、人間をあきらめて、自分を悪魔に落としてはならない。
悪魔とは何でしょう。それは人間の愛を捨て、獣じみた我欲にわれを明け渡した、かつて人間だったもののことです。馬鹿なことをしすぎて、自分がつらくなりすぎた人間が、悪の方が正しいのだと、理屈を逆さまにして、すべてを愚弄して生きる、馬鹿者のことなのです。
悪魔は自分を守るために人を傷つけたり、嘘をついたりが平気なのです。呵責などつぶしてしまい、自分をよくすることだけを考え、自分以外のものはみなそのための道具のようなものだと考える。愛を愚弄し、それは弱い者の甘えだとあざける。
そういうものになってしまってはおしまいなのです。だから今の自分がどんなにつらくても、けして自分を捨ててはならない。その自分がどんなに愚かなことをしたものでも、自分で背負い、すべての責任を負って、生きていかねばならない。
表題の歌はある著名な人物を想定して詠んだものです。その人は大きな間違いを起こし、多くの人間を傷つけ、世界に混沌の嵐を吹き起こしている。こういえばだれのことを言っているかわかるでしょう。全人類に嫌われ、孤独の極みにいる魂のことだ。そういう自分を生きている人の気持ちはどういうものだろう。
自分が恐ろしいことをしている。重すぎる罪を犯している。そんな自分を引き受けて、彼は神の正義のもとに帰ってくることができるだろうか。魔道に自分を落とさずに、自分を立て直すことができるだろうか。
わかりません。だがわたしたちは見つめている。あまりにも厳しい試練だが、一縷の望みは抱いている。もし彼が自分の愛に気づいて、すべてを背負い、すべての責任を取ると言えば、神の救いが来る。
神の心に自分を捨てて、みなの幸福のために死ねば、自分自身も国も救われるのです。