ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

魔道の砂

2022-04-15 09:55:36 | 短歌





たとへその おのれがいかに つらくとも 魔道の砂に われを捨つるな





*古語辞典によると、「魔道(まどう)」とは、悪魔の住む世界のことだそうです。

たとえその自分がいかに重く、つらいものでも、悪魔の住む世界に、自分を捨ててはならない。要するに、人間をあきらめて、自分を悪魔に落としてはならない。

悪魔とは何でしょう。それは人間の愛を捨て、獣じみた我欲にわれを明け渡した、かつて人間だったもののことです。馬鹿なことをしすぎて、自分がつらくなりすぎた人間が、悪の方が正しいのだと、理屈を逆さまにして、すべてを愚弄して生きる、馬鹿者のことなのです。

悪魔は自分を守るために人を傷つけたり、嘘をついたりが平気なのです。呵責などつぶしてしまい、自分をよくすることだけを考え、自分以外のものはみなそのための道具のようなものだと考える。愛を愚弄し、それは弱い者の甘えだとあざける。

そういうものになってしまってはおしまいなのです。だから今の自分がどんなにつらくても、けして自分を捨ててはならない。その自分がどんなに愚かなことをしたものでも、自分で背負い、すべての責任を負って、生きていかねばならない。

表題の歌はある著名な人物を想定して詠んだものです。その人は大きな間違いを起こし、多くの人間を傷つけ、世界に混沌の嵐を吹き起こしている。こういえばだれのことを言っているかわかるでしょう。全人類に嫌われ、孤独の極みにいる魂のことだ。そういう自分を生きている人の気持ちはどういうものだろう。

自分が恐ろしいことをしている。重すぎる罪を犯している。そんな自分を引き受けて、彼は神の正義のもとに帰ってくることができるだろうか。魔道に自分を落とさずに、自分を立て直すことができるだろうか。

わかりません。だがわたしたちは見つめている。あまりにも厳しい試練だが、一縷の望みは抱いている。もし彼が自分の愛に気づいて、すべてを背負い、すべての責任を取ると言えば、神の救いが来る。

神の心に自分を捨てて、みなの幸福のために死ねば、自分自身も国も救われるのです。




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