粗さがし せねば保てぬ 人の見栄 夢詩香
*たまには俳句もやりませんと。一応このブログは、最初俳句がメインでしたからね。
いつからか、短歌ばかりをやるようになってしまいました。やはり17文字では語れることが少なすぎる感があるのです。しかし、やってみれば面白い。短詩を繰るというよりは、人に痛いことを言うって時に、俳句は効くような気がしますね。
馬鹿ばかりやっている馬鹿に、痛烈な一言を言ってやりたいなんて気分の時に、俳句を詠むといいのができるような気がします。
表題の句は季語がありませんから俳句とは言えないかもしれませんが。別に無理して季節を読み込むことはないと思いますよ。歳時記にも面白い言葉があるので捨てがたいのだが。もっと自由に面白くやってみたい気がしますね。
まあとにかく。表題の句は解説せずともすぐにわかるでしょう。よくこういう人がいます。人のあらばかり探している人。文句ばかり言っている人。
身近にもいますがね。口を開けばいつも人を馬鹿にしている。あんたまた太ったんじゃないのとか、食器の洗い方がまずいとか、靴の並べ方がおかしいとか。よくそういうことにいちいち気が付くものだというところをついて、人を馬鹿にするのです。
そういう人に限って、夜テレビをつけっぱなしにして寝ていたり、朝から酒を飲んでいたりするのだが。
人にそういうところをつかれると、それを正当化するために変な理屈をこねたりする。すべて自分が正しいわけではないのに、そういうことにしたいようだ。
自分がつらいのだ。ほんとは人様ほど勉強ができていないことを、自分で知っているのです。それならば自分も勉強すればいいのに、それをせず、人を馬鹿にして自分が勝とうとする。
こういう人は、年をとってくると、誰にも相手にされなくなります。近所にもいませんか、こういう人。姿を見るだけで、逃げるでしょう。つかまったらまた嫌なことを言われますから。
人を馬鹿にしてばかりいると、誰にも相手にされなくなるということを、もうわからなくてはいけませんね。人間、今までそういうことばかりしてきましたが。
この時代、とうとうそれをやりすぎた人が、どういうことになってしまったか、見てしまった。
そろそろ、やめませんと。