ほととぎす 下手に歌へば とほほぎす 夢詩香
*歌ばかりでは何なので、俳句にしようと思ったのですが、こんなのができてしまいました。川柳という言葉は好きではないので、雑句に入れましょう。川に柳では弱すぎる。17文字の句というものは、もっと痛いものですよ。
これは、正岡子規を皮肉った句です。子規はもちろんほととぎすのことですね。子規は現代では大きく評価されていますが、わたしは評価しません。彼の歌は、はっきり言って偽物です。大方は他人が詠んだものを霊的技術で盗んでいる。自分で詠んだものもあるが、それもどこか素人っぽい。
久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも 子規
けっこう有名な歌ですが、平明というより平板だ。こんなのは素人でも詠めます。阿保っぽい歌なのだが、そこらへんは半ば無視されているような感じで、子規が褒められているのは、完全に偽物だからです。みんなが子規はすごいと言っているので、そうなのだろうと思って読んでいるのだが、読んでいても、どこか何かおかしいという疑念がいつもつきまとってくる。そんなことはないですか。偽物だからですよ。
馬鹿はよくこういうことをやる。盗みや本人の下手な技術で作った作品を、ほとんど無批判で、大勢の馬鹿を使ってほめさせ、架空の評価を作るのです。そしてその人間を、無理にいいものにしてしまう。
子規はそういう馬鹿が作った偽物の芸術家の、見本の一人です。頭からすべて偽物だと言ってかまいませんね。作品の中には、明らかに他人からの盗みだとわかるものがある。これなどそうです。
真砂ナス 数ナキ星ノ 其中ニ 吾ニ向ヒテ 光ル星アリ
完璧に盗作とわかります。子規にしては痛いことがわかっている。なぜならこれは比喩でも幻想でもない。事実に近いことだということが、感性でなんとなくわかっている者でなければ、ここまで児戯的な内容を、まっすぐには歌えない。
現代の歌人には、こんな風に、馬鹿が大勢の勢力を利用して、無理矢理作った偶像のような歌人がたくさんいますよ。俵万智も、実はそうです。歌集はよく売れたらしいが、果たして誰があれをいいと言っているのか、よくわかりませんね。
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの 俵万智
あまり紹介したくないが、例としてあげてみました。これくらいのものは、はっきり言って、素人でも詠めます。発想も切り取り方も初歩的だ。初心者に毛が生えた程度の詠み手と言っていいでしょう。普通は、どこかの歌誌に投稿しているくらいが関の山ですよ。歌集など出せるはずがない。
口語調の崩した言い方もあまりよくない。わたしなら擬古調でこう詠みますね。
酒二杯 飲まねば言へぬ 言の葉と 知りてうなづく 我妹かなしき 夢詩香
ださいなどと言ってはいけない。こっちのほうがいいのです。歌というのは心に静かにすべってくるものでなくてはいけない。万智の歌はざわついていて、聞いていても快くない。街中で聴く雑音のようだ。
今のところ口語調で出色と感じる歌には出会っていませんね。まだそれほど現代歌人の歌を読んではいませんが。古語の方が、心を整理するのによいですよ。古文の助詞や助動詞は少ない文字で大きな意味を作れる。使いこなすことができれば、31文字で豊かな心が表現できます。