来ぬ親を 待つ子の空に 星は澄み 憂きことのみの 世にはあらずと
*昨日と同じ作者の歌です。うまいですね。心を詠むにも、ここまでくっきりとやられると、返って憎い気がします。
来てはくれぬ親を待つ子供が見る空に、星は澄んでいる。まるで悲しいことばかりがある世界に産まれてきたのではないよと言うように。
わたしたちはこの媒体を共有していますので、かのじょが積んできた人生経験の記憶も共有しています。あの人がこの人生でどんな気持ちを味わってきたかも深く知ることができる。だからこんな美しい歌も詠んでくれるのですが。
もう一つ行ってみましょう。
背く子に 思ひ重ぬる ゆふぐれは 星もしづかに 空にありぬる
自分に背いている子に、思いを重ねる夕暮れは、星も静かに空に光っているのだ。
哀しいことがある時には、人間はいつも空を見るものだ。どなたかがそこにいて、思いを吸い上げてくれることを知っているかのように、見上げてしまう。そしてなんとなく、心の悲しみが減る。そして何とか生きていこうとする。
愛する子に背かれるということは、実につらいものですよ。親であれほど苦労したというのに、自分と同じ思いを子にはさせたくないと思って、我慢できないことでも我慢してきたのに、その心をわかってもらえないのはつらい。だがそれでも、何とか生きていかねばならない。つらいことは重なるものだが、何とかやっていこう。
だがそうはいかなかった。これ以上耐えられないということも、耐えようとすれば耐えられるものだと思って耐えようとした、その瞬間に、あの人は倒れてしまった。
あの人のこの人生は、悲しいことしかなかったのか。
もう一つ詠んでくれました。すごいでしょう。ほとんど間髪入れず、こういうのがすぐに出てくる人なのです。
浅からぬ 絆を断ちて 去る月の 荷をかろめむと れてを注げり
浅いはずはない絆を絶って、去っていく月の、その心の重荷を軽くしようと、レテの水を注いだ。
レテはギリシャ神話に伝わる冥界の川です。その川の水を飲むと、人間は生きていたころのことをすべて忘れてしまうという。日本でいう三途の川ですね。三瀬川(みつせがわ)ともいう。死者が冥途にいく途中で渡る川のことです。川は向こう岸とこちらの岸を隔てるものですから、現世と異界を分ける境界のようなものとして、よく川が考えられる。
レテの川の水を飲んだものは、もう帰っては来ない。あの人はもう、すべてを忘れてしまった。この世界に染み込んだ、美しい心の跡を残して。
子供のことも忘れてしまったろう。それでもう苦しむことはない。だが。
哀しいのは誰なのか。この、ないかのような形をして、重くみなをふさぐものは何なのか。涙が誰かに呼ばれて出てくる。
みつせがは 越えて去りぬる 人の背を 見ずと伏す目に 水の流るる
とどめも彼の作品です。