ひこばえの 細きみどりや まだ生きむ 夢詩香
*写真は神社の境内に生えた銀杏の木です。この銀杏はつい最近見るも無残に伐られてしまったのですが、そのわきから小さな緑の芽が出ていたので、写真に撮ってみました。
人里に生えた木の悲哀というものですかね、人間の都合によっていつ伐られるかわからない。わたしたちが親しんでいたセンダンやモクレンの木も伐られてしまった。伐られてしまうと、中には生きる気を失ってそのまま死んでいく木もあるのですが、この銀杏の木は、傷ついてもまだ生きていくことを選択したようだ。
か弱いが、確かに美しい緑をともらせている。これからどうやって樹勢をよみがえらせていくのか、伐られようから見ると事態は絶望的でさえあるのですが、それでも銀杏は生きることを選んだみたいだ。
何度伐られようと、まだ自分をあきらめない。それが痛々しいほど美しく思え、表題のようなのを詠んでみました。
なお、「ひこばえ」は、「ひこばへ」ではなく、「ひこばえ」です。古語には「ひこばゆ」という動詞があり、それは伐った草木の根株から新しい芽が出てくることを意味します。ひこばえはその名詞形です。
ひこばえの小さな緑から、この木の未来は再び始まってゆく。これからどういうふうに発展していくのか、見守っていきたいと思います。