ひたき来て うれひの日々の 明かりかな 夢詩香
*小鳥の句ですから、小鳥の写真を使いたいところですが、手元にないので、仕方なくツワブキの写真で代用です。なんの関係もありませんけどね。
今の季節、ここらへんではジョウビタキをよく見かけます。翼に印象的な文様を持った、とてもきれいな小鳥。
表題の句は、かのじょの実経験をもとにしています。いろいろと世間に誤解されて、夫にすら理解されない、憂いの多い日々を送っていたある日、玄関の門柱の上に、きれいなジョウビタキが来てくれたのです。ただそれだけで、かのじょは憂いの日々に温かいともしびがともったように感じ、少し苦労が軽くなるような気がしたのでした。
小さな生き物というものは、時々神の使いをするのですよ。その小さなジョウビタキは、もちろん神の使いだったのです。憂いの日々を耐えているかのじょのもとに、神の愛のことばを送り届けにきたのです。
愛しているぞと。いつも見ているよと。
ひたきは、ヒタキ科の小鳥の総称。「火焼」とも書き、鳴き声が火打石を打つ音に似ているからついた名だそうです。句は、「火焼」と「明かり」を何となくかけています。ひたきは、かのじょの憂いの日々に、明かりをつけにきてくれたのだと。
悲しみの多い日々に、きれいな一羽の小鳥が訪ねてきてくれた。たったそれだけのことで、かのじょはまた憂いの日々を強く耐えていけるような気がしたのでした。そして耐えていってくれたのです。
人生には時に、そういう忘れられない、印象的な出会いがあるのです。